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第2話 いいえ、記憶にございません。

 三日三晩、私は高熱に苦しんだ。


 四日目にようよう熱が引き、寝すぎて痛んだ半身をなんとか起こす。ベッドまで運んでもらった深皿を膝に抱き、震える手でスプーンを口に運んだ。


 ふうふう息を吹きかけて冷まし、とろりとした液体を舌に載せる。口の中いっぱいに広がる(ぬく)みと甘みに涙した。


「く……っ。()みわたるわ……」


 東方の国の主食である、『米』という名の穀物。

 それをたっぷりの水で炊き上げ、塩をぱらりとかけただけの素朴な料理、おかゆ。


 病み上がりには必ず、この真っ白で美しい料理を食べることにしている。おかゆはとても消化によく、私の弱った身体はこれしか受け付けないのだ。

 米は私のためだけに、いつも切らすことのないよう輸入してもらっている。


 スプーンですくった米をうっとりと眺めた。

 楕円形の米は炊かれて崩れてはいるものの、かろうじてまだ粒が残っている。窓から差し込む眩しい朝日を反射して、一粒一粒が私を誘惑するかのように輝いた。


 あつあつのおかゆを口に含み、噛みしめるようにゆっくり咀嚼する。


「……ああ。美味しい……」


 ほうっと大きな吐息をついた。


 不思議だ。

 体調のいいときに食べたら味も素っ気もない料理なのに、きっと今は身体が求めているのだろう、こんなにも甘くてきゅんとする。夢中になって食べ進めながら、ぽつりと呟きをこぼした。


「料理人は、せめて卵だけでも加えるべきだと言うのですが……。私……わたくしは、そうは思いません」


 傍らに座る人物に、あえかな笑みを向けてみせる。


「お米が持つ、素材本来の甘さを感じ取る――。そこに、他の食材など不要ですから」


 そもそも『米』というものは栄養満点で、おかゆはとろっとしているけれど、水を少なめにしてふっくらと炊いたら、それはもう食欲をそそる良い香りが立ち昇って、なんならお肉にもお魚にも素晴らしく調和して、一杯なんかじゃ到底足りなくて、むしろ食べれば食べるほどお腹が減って――


「……そうか。ならば、嫁入り先は東方の国が所望なのだな」


 絶対零度のように冷えきった兄――レナードの言葉が、私の長広舌を遮った。……いやいや待って待って。落ち着こうよお兄様? 人がせっかく、縁談だの嫁だのという殺伐とした話から、必死で遠ざかろうとしてるのに。


 口から飛び出しそうになる不平をなんとか飲み込み、「見た目だけならとっても儚げですね」と人から褒められる、己の華奢な体躯を抱き締めた。

 兄と同じ翠玉の瞳を瞬かせ、長い睫毛をそっと伏せる。


「……お嫁、入り……? お兄様。一体、何のお話をなさっているのです……?」


 秘技。

 高熱のせいで前後の記憶が消えました。わたくし何ひとつ覚えておりません、の術。


 戸惑ったふりをして小首を傾げると、私の動きに合わせて(はしばみ)色の髪がふわりと揺れた。柔らかで色素の薄い髪は、「見た目だけならとっても(以下略)」という最上級の褒め言葉に一役買ってくれている、私の自慢のひとつである。


 色白の肌、庇護欲をそそる上目遣い、少し力を入れるだけで折れそうな細い身体――。


 我が三種の神器を総動員して、お兄様の情に訴えかける。

 ぷるぷると小動物のように身体を震わせる病弱な妹に、案の定、兄は慈愛に満ちた眼差しを向けた。しめしめ――


「そうか、覚えていないか。――ではもう一度説明しよう。耳の穴をかっぽじってよく聞くように」


 駄目であったか。


 打ちひしがれる私をよそに、兄はひとつ咳払いして口を開く。


「つい先日、驚くべきことにお前に婚姻の申込みがあった。お相手は齢二十にして大国ランダールを統べる若き王、ガイウス・グランドール陛下。……仲立ちをしたのはセシルだ」


「――セシル兄様が!?」


 はあ!? ちょっ、裏切り者ーーー!!

 仲立ちって何、どういうこと!?


(許すまじ、あの昼行灯……!)


 自分のことは棚に上げ、ギリィッと奥歯を噛み締める。


 私の五歳上の兄である、セシル。

 彼は私達三人兄妹(きょうだい)の真ん中で――私とは違った意味で、優秀な長男・レナードの頭痛の種である。


 次男で責任がないのをいいことに、彼は「冒険が俺を呼んでいる!」と言い残しては国外逃亡し、素寒貧(すかんぴん)になっては戻ってくる――という愚行を繰り返しているのだ。

 一度など、私と同じ榛色の髪を丸刈りにして帰ってきたこともある。輝く頭をつるりと撫でて、「借金の(かた)に置いてきた!」と良い笑顔で言い放っていた。……我が兄ながら、まごうことなきアホである。


 ずきずきと痛む額を押さえ、レナード兄に取り縋った。


「お待ちください! なぜあのアホ……もといセシル兄様が、私を人生の墓場に追いやろうとするのです!?」


「結婚を人生の墓場と言い換えるのはやめろ」


 ものすごく苦い顔で返された。


 ……そりゃあ、お兄様は結婚して幸せなんでしょうけど。それはあくまでお兄様の価値観なのよ。


(私の幸せは、結婚なんかにないんだから……!)


 幸福とは、ぐうたらな惰眠にこそあり!


 決意も新たに、大きく息を吸い込んだ。お腹にぐぐっと力を込める。


「お兄様っ。私……わたくしはっ」


「無論、わたしはガイウス陛下に書簡をお送りした。弟から何とお聞きか存じませんが、リリアーナは我が妹ながら、まごうことなき怠け者です、と。嫁にもらったところで床に転がって邪魔になりこそすれ、役立つことなど決してございません、と」


「………」


 酷くない?


 あんまりな言い草にむくれるが、兄は兄でむっつりと腕を組んで続けた。


「すると、ガイウス陛下の腹心の臣下からこう返書が届いた。『我がランダール王国はご存知の通り、人族の国とは信仰から風習から何から何まで違います。真面目なお方や神経質なお方ならば、環境の変化に耐えきれないかもしれません。その点、リリアーナ殿下ならば安心です。お気楽・極楽・能天気、おまけに図太く鈍感で、三拍子どころか五拍子も揃った呑気者である、と。セシル殿下も太鼓判を押しておられました』と」


「………」


 どいつもこいつも酷くない?


 むかむかと腹が立って、無言でベッドに潜り込んだ。頭から掛け布団を引っ被り――ガバリと勢いよく起き上がる。


「待ってお兄様!? ランダール王国って……ランダール王国って、もしかして……!」


 蒼白になる私を、レナード兄は訝しそうに見返した。何を今更、と言いたげに眉を上げる。


「イスレア王国の海を越えて南にある、ランダール大陸全土を統治する獣人の国だ。――ちなみにガイウス陛下は獅子の獣人だとお聞きしている。立派な牙と(たてがみ)をお持ちの、雄々しく勇猛なお方だそうだ」

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