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第18話 腹を割ってお話しましょう?

 収穫祭。


 それは一年の豊穣に感謝して、精霊に「真心」を捧げる秋のお祭り。国を挙げての最重要神事。

 この祭りがなければ一年は終わらない。いや、むしろ一年の始まりとも言える。

 全獣人が泣いた。笑った。叫んだ。感動の渦に巻き込まれた。


 そう。

 これぞランダールの誇る、ワクワク楽しい秋の収穫祭――……!


「…………」


 なんだろう、目が滑る。


 空虚な文字を追うのは諦めて、分厚い文献を元の場所に突っ込んだ。私の身長より遥か高い本棚を見回し、ずらりと並んだ背表紙を指で辿る。


「……おかしいわ。こんなにたくさん本があるのに、収穫祭に関してはやたらと熱くて抽象的なことしか書かれてない……。エリオットのざっくりした説明だけじゃわからないっていうのに、困ったものだわ」


 深々とため息をつき、書庫の床に倒れ込んだ。ちなみにクッションを敷き詰めているので冷たくない。むしろ、暖かい。


 ふわふわクッションに顔を埋め、だらしなく頬をゆるめる。


「ああ、いい気持ち……。うん、やっぱりお勉強は後にしましょ。だって将来のぐうたらより、目先のぐうたらとっても大事……ぐぅ」


「――意志薄弱にも程があるぞ、リリアーナ」


 ぴしりとした声が降ってきて、反射的に体を起こした。

 無表情に私を覗き込むのは、猫の獣人ディアドラだった。薄暗い書庫で、その瞳はほんのり光って見える。


「……なんだ、あなただったのね。一緒にお昼寝する?」


 欠伸を噛み殺しておいでおいですると、ディアドラはあきれたように天を仰いだ。荒々しくあぐらをかいて座り込む。


「私ではなくガイウスを誘え、ガイウスを。君はぐうたらーな教の教祖なのだろう。いや、居眠り精霊だったか?」


 残念ながらどちらも違う。

 ……って、そんなことはどうでもよく。


 先ほどまでの幸せ気分はすっかり消え去り、機嫌が急降下していく。

 ディアドラから顔を背け、床のクッションをひとつ取り上げた。(かたき)のように強く抱き締める。


「だって。ガイウス陛下ったら、毎日毎日朝から晩まで働き通しなんだもの。食事は誘っても五回に一回ぐらいしかご一緒してくださらないし……。これじゃあ布教活動なんかできっこないわ」


 むうっと唇を尖らせた。


 陛下の健康のため、私だって口酸っぱく意見してはいるのだ。「お昼寝しないならせめて早めに休みましょう」「食事だけでもゆっくり取りましょう」云々。

 けれどどんなに言葉を尽くしても、陛下は右から左へ聞き流してしまう。恐ろしいほどの集中力で日々職務に精を出している。


 そんな彼を見て感じるのは、怒りではなく焦燥感。今も胸につきんと痛みが走った。


「……陛下のお体が心配だわ。なんだか……意地になっているように見えて」


「リリアーナ。君はランダールに来てから、精霊の姿を見たことがあるか?」


 ……はい?


 会話の流れをぶった切る、ディアドラの唐突な質問に目が点になる。……私達、今そんな話してましたっけ?


 唖然としつつも、ふるふると首を左右に振って否定した。


「ううん、見たことないわ。と、いうか」


 精霊って実在するの?


 素朴な疑問が口から飛び出しかけ、慌てて両手で口を塞いだ。いけない、いけない。ランダールの獣人達は精霊を信じているのだから。

 上目遣いにディアドラの様子を窺うと、彼女は難しい顔で考え込んでいた。


「……そうか。もしかしたら、と思っていたのだが。そう都合よくはいかない、か……」


 沈んだ声音に、心配になって彼女を覗き込む。

 私の視線に気付いたディアドラが、ふっと笑んでやわらかく髪を撫でてくれた。「実は」とためらいがちに話し出す。


「君に婚約を申し込んだ理由は、いくつかあると以前教えたろう? あのとき話したことに誓って嘘はないが……、ガイウス本人にはとても本当のことは言えなくてな。我々が仕事の邪魔をしようとしているなどと知られたら、あいつは怒って婚約を拒否するに決まっている」


 それは……そうかも。


 苦笑して頷くと、ディアドラは気まずそうに私から目を逸らした。口元の笑みも跡形もなく消えている。


「だから……ガイウスを説得するため、我々はもうひとつ建前上の理由を用意した。……建前、ではあるが……。そちらも決して嘘ではない」


 苦しげに告げて、ディアドラはやっとこちらを見てくれた。そのかつてないほど真剣な表情に、私も息を呑んで彼女を見返した。


 迷いを消したように、ディアドラはきっぱりと口を開く。


「リリアーナ。――君には、精霊を『見る』素質があるんだ」




***



 ドスドスと荒っぽく足音を立てて進む。

 すれ違う使用人さん達が目を丸くするけれど、私は脇目も振らずに歩き続けた。目指すはガイウス陛下の執務室だ。


「――ガイウス陛下っ!!」


 音を立てて扉を開け放つと、中にいた全員が驚いたように顔を上げた。

 すっかり事務仕事の戦力として頼りにされているメイベルが、大慌てで私に駆け寄ってくる。


「リリアーナ殿下っ。いくら婚約者とはいえ失礼ですよ、ノックもなしに開けるだなんてっ」


「小言なら後で聞くわ」


 鼻息荒く言い放ち、大股で陛下の机の前に立った。

 ガラス玉のような瞳をまんまるに見開いた陛下は、おどおどと視線を泳がせる。


「リ、リリ……? どうし……あ、いや」


 全員の視線が集中していることに気が付いたのか、陛下はふんっと胸を突き出した。悠然と(たてがみ)をかき上げる。


「――そのように急いで、何事だ? 生憎とわたしは今忙し」


「陛下! 今から私とおデートしませんかっ?」


 机に両手を叩きつけ、前のめりに迫った瞬間、陛下は思いっきり()け反った。ぐらりと(かし)いだと思ったときにはもう遅く、地響きを立てて椅子ごと後ろに倒れ込む。……あら?


「たいへん。大丈夫ですか、陛下?」


 こちら側からは、ぴくぴく痙攣する大きな靴の裏しか見えない。

 執務机を回り込もうとしたら、落ち着き払ったエリオットの声が飛んできた。


「気にされなくて結構ですよ、リリアーナ様。陛下は頭が重いのです」


「あら。そうだったの」


 陛下ってば幼児体形なのね。


 やっぱり可愛いわ、となごんでいると、「仕事の邪魔をするおつもりかっ」と叫んでハロルドが乱入してきた。殺気立った目で私を睨む。……うん、やっぱりそう来るわよね。


 妨害されるのは想定済みだ。

 しおらしく眉を下げ、両手を合わせて彼を拝んだ。


「ほんの三十分で構わないの。お願い、ハロルド」


「却下ですっ。全く、ただでさえ収穫祭絡みの業務で忙しいというのにっ。おデートするような無駄な時間があるとお思いか!?」


「……無駄、ですって?」


 突然、地を這うような低い声が聞こえた。

 ぎょっとするほど近くにメイベルが立っていて、底冷えする視線をハロルドに向ける。


「ヒィッ!?」


 ガタガタと(おこり)のように震え出したハロルドをとっくりと眺め、メイベルは口元に笑みを浮かべた。……ただし、その目はちっとも笑ってない。


「無駄。リリアーナ殿下は、ガイウス陛下のれっきとした婚約者なのに。仲を深めるのが、無駄」


「あああああああいやあのそのですな……!」


 弁解するハロルドをひと睨みで黙らせ、メイベルはゆっくりと歩き出す。未だ倒れている陛下の腕を取り、ぬいぐるみでも掴むかのようにひょいと持ち上げた。


 おひげをピンと伸ばして硬直する陛下に、今度はにっこりと優しげな笑みを向ける。


「無論、陛下はお忙しいのでしょう。ですが、休まず働くにも限界があります。……僭越ながら申し上げます。ガイウス陛下、少しばかり休憩されてはいかがでしょうか?」


「…………」


 無言でコクコク……ではなく、ふぁさふぁさと鬣を揺らしまくる陛下に、メイベルは手を打って喜んだ。嬉しそうに私を振り返る。


「リリアーナ殿下。陛下は快くおデートを承知してくださるそうですよ?」


「まっ、まあ! とっても嬉しいわ! ――さ、そうと決まったら参りましょう陛下っ」


 彫像よろしく固まっている陛下をひっ捕らえ、大急ぎで執務室を後にした。

 廊下に細く長く響きわたる、ハロルドの悲鳴が追いかけてきた気がしたが。……うん、聞こえなかったことにしましょう。

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