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第16話 一歩、進めてみたのです。

「えぇと……。ごめんなさいね? 盗み聞きしてしまって」


 精霊廟最奥の階段に並んで座り、打ちひしがれるガイウス陛下を必死で慰める。

 服の上から丸まった背中を撫でると、手の平にやわらかな感触が伝わった。……うぅん、やっぱり全身ふっかふかね。


 表面上は神妙な顔を取り繕いつつ、その毛並みをうっとりと堪能する。真面目くさってふあふあ背毛(せなげ)を撫で続けた。

 幸せ気分を噛み締めていると、やっと顔を上げた陛下が弱々しく私を見た。心なしか、おひげもぺしゃりと垂れている。


「……リ……、あ、いや……。その、どこから聞いて、いた?」


 つっかえつっかえ尋ねる陛下に、優しく頷きかけた。


「――ガイウス陛下は精霊が見えない。駄目にゃんにゃんでごめんなさい」


「ぅごッふァぁぁぁぁぁっ!!?」


 あら、いけないわ。

 せっかく立ち直りかけていたのに、傷口に塩を塗り込んでしまったみたい。


 立派な体躯をきゅうと縮め、小動物のように震える陛下に焦ってしまう。

 階段から地面へと移動して、ドレスを払って地べたに座り込んだ。下からすくい上げるように彼を見上げる。


「……ガイウス陛下。私がまだ、ランダールのことをよく知らないせいかもしれないけど。精霊を見られないってそんなに悪いこと? あなたは立派な獅子で王様だわ。駄目にゃんにゃんだなんて決して思わない」


「…………」


 反応はない。

 それでも、強ばった体が少しだけ緩んだ気がした。それに勇気づけられて、私は静かに語り続ける。


「初めてお会いしたときは、恐ろしさに足が震えてしまったぐらいよ。……でも、今はもう怖くない。だって、あなたは――……」


「……俺、は……?」


 ごくりと唾を飲み込んで、やっと陛下がこちらを見てくれた。期待と不安がないまぜになった瞳を私に向ける。

 そんな彼にそっと微笑み、毛むくじゃらの手を取った。驚いたように硬直する彼との距離を一息に詰める。


「リ、リリーー」


「だって、あなたはこんなにも。――可愛いのだもの!」


「可愛いッ!!?」


 朗らかに告白した途端、陛下は素っ頓狂な声を上げた。

 口を半開きにしたまま固まって――ずってんどうと倒れ込む。そのままピクリとも動かない。


 しかしよく見れば、お口周りの毛だけがもごもご動いていた。首をひねりつつ耳を近付けると、陛下の独り言が聞こえてきた。


「……可愛い……。可愛いは正義……。だが、俺は王……。強くあらねばならない、のに……。俺、可愛い……?」


 んん?


 虚ろに呟き続ける彼に、目を丸くした。もしや、伝わってないのかしら?


「陛下? 陛下の見た目はちゃんと強そうですよ? 私が可愛いと言ったのは、見た目じゃなくて中身の話」


 巨体をゆさゆさ揺さぶりながら主張すると、陛下はカッと目を見開いた。跳ねるように起き上がり、大きな手でがしっと私の肩を掴む。


「本当かっ? 本当に見た目は可愛くないんだなっ?」


「え、ええ……」


 内心の焦りを押し隠し、平静を装って頷いた。

 ……だって、どうかしら。改まって確かめられると、やっぱり見た目も可愛い気がしてきたわ。

 ふぁさふぁさ鬣、ふかふか胸毛にふあふあ背毛。おひげとしっぽも感情に連動して動くところが愛らしい。


 苦悩する私をよそに、爛々と目を光らせた陛下は完璧に立ち直ったようだった。

 勢いよく立ち上がり、ふんっと大きく胸を突き出す。


「さて、わたしはそろそろ仕事に戻らねば。――リ、リ、リリリリリリリリリリリリリアーナもよかったら、そのぅ……」


 鈴虫かしら。


「いつでも執務室に遊びに来るがよいっ。……あっ、いや別に招待しているわけではないがどこでも自由に立ち入ってよいとの約束だからなっ。お昼寝スポットに加えてくれてもまあ一向に構わないがなっ!」


 息継ぎなしで言い切って、陛下はくるりと回れ右した。そのまま脱兎のごとく逃げ出してしまう。


 ひとり取り残された私はぽかんと彼を見送って、ようやっと立ち上がる。……大変、足がすっかり痺れてしまったわ。


 じんじんする足を撫でさすりながらも、喜びがじわじわと溢れてきた。


(やったわ! 執務室でのお昼寝許可をいただけたわ!)


 これぞ怪我の功名というもの。

 それじゃあ今日のお昼寝は執務室、巨大ふかふかソファで決定ね。精霊廟は、また今度お願いするとして――


「おめでとう、リリアーナ。早くも王様と打ち解けたみたいだね?」


「ふぁああっ!!?」


 突然背後から声を掛けられて、奇声を発して飛び上がった。し、心臓がでんぐり返るかと思ったわ……!


 振り向いた先に立っていたのは、もちろん。


「――コハク! えっ、ど、どこから入ってきたのっ?」


 大混乱に陥る私をよそに、コハクは落ち着き払っていた。輝かんばかりに真っ白なうさぎ耳をそよがせて、わざとらしく首をひねる。


「どこからって……。普通に、扉から?」


 にこりと邪気のない笑顔で言い放った。

 ……いえ、でも「扉から」って……!


「そんなはずはないでしょう!? 私、今ガイウス陛下を見送ったばかりだもの。コハクが入ってきたなら、絶対に気付くはずだわ!」


 憤慨する私を面白そうに眺め、コハクはぶらぶらと歩き出す。

 花畑から白い花を一輪摘み取って、可憐な花弁を唇に当てた。うっそりと微笑む。


「でも、君は全く気付いてなかったよ? うふふふふぅ~って含み笑いまでしてたよね。正直、ちょっと怖かった……」


 えええっ?


 おかしいわ。

 私、そんなに陛下の言葉を嬉しがっていたのかしら……?


 思わず赤面してしまう。

 熱くほてった顔を俯けていると、視界の端で(はしばみ)色の髪が微かに揺れた。もぞもぞとした違和感も覚え、驚いて頭に手を伸ばす。


「……え……?」


「あげる。――よく似合っているよ、リリアーナ」


 指先に触れたのは、絹のようになめらかな花弁。コハクは私に花飾りを付けてくれたのだ。

 くすぐったさに、また少し赤くなってしまう。子どもに翻弄されるのはちょっぴり悔しいけれど、嬉しいものはやっぱり嬉しい。

 くすくす笑いながら、ふんわりとドレスをつまんで辞儀をする。


「ありがとう。つまりこの白い花は、清楚で儚い私にぴったりってことね?」


「いやいや、清楚で儚いひとは所構わずお昼寝したりしないから。……それで、リリアーナ。無事にお昼寝許可がもらえて、次は何をするの?」


 興味津々といった体で尋ねるコハクに、私も腕組みして考え込んだ。


 まず第一に、精霊廟でのお昼寝許可よね。

 でもこれは別段急ぎじゃない。私はどこでも立ち入り自由なのだから、コハクとはいつでも会えるわけだし。


(……と、なると……)


「――最優先事項は、やっぱりガイウス陛下だわ」


 きっぱりと言い切ると、コハクが大きな瞳を瞬かせた。目顔で続きを促す彼に、事情を説明してみせる。


「エリオット……って言ってもわからないわよね。宰相達と約束したの。ガイウス陛下の健康のため、彼にぐうたらを教えてあげるって。なんとしても陛下には、我がぐうたら隊の隊員四号になっていただかなくては」


 鼻高々で計画を披露したのに、なぜかコハクは遠い目をした。


「うーわー……。婚約者との関係を進展させるとかじゃないんだぁー……」


 天を仰いで、あきれたように独り言ちる。

 ひとつため息をついて私の後ろに周り、ぐいぐいと強引に私の背中を押した。


「わわ……っ?」


「はいはい、じゃあ今日はもう帰ってねリリアーナ。そろそろ昼食の時間でしょう?」


 華奢な体からは想像できない力技で、ぽいっと廟の外に放り投げられる。

 尻もちをついて茫然とする私に、コハクはひらりと手を振ってみせた。


「お昼寝もいいけどね。王様の健康のためっていうんなら、まずは食事に誘ってみるのもありじゃない? 噛まずに短時間で食べるのは、ひとの身体には毒だもの」



 ――――バタン



 言うだけ言って、扉が閉まる。


 これじゃあなんだか叩き出されたみたいじゃない、とぶつくさ文句を言いつつ私も立ち上がった。くるり踵を返しかけ――そのまま足を止める。


(……ん……?)


 変ね。

 どうして、コハクは知っていたのかしら。


 ――ガイウス陛下が、まともに食事を取っていないことを。

これにて第1章完結です!

ブックマーク&評価、ありがとうございました!

第2章はあさってから開始しますので、

ぜひぜひよろしくお願します♪

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