第15話 いつの間にやら教祖です。
破廉恥なんだーーーっ。
なんだーーっ。
なんだー……
ガイウス陛下の雄叫びが、尾を引きながら遠ざかっていく。
陛下に向かって伸ばした手をそのままに、私は茫然と立ち尽くした。人生二度目の破廉恥呼ばわり。なぜに、どうして?
疑問がぐるぐると脳裏を駆け巡る。
周囲の誰もが言葉を発しない。重苦しい沈黙が満ちる中、突然メイベルが顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
「リリアーナ殿下っ。どうするのです、ガイウス陛下に誤解されてしまったではありませんか!」
誤解……?
鋭い叱責に、はっと正気を取り戻した。勢い込んで肯定する。
「そ、そうよね。今日は人型を見せてだなんてお願いしてないものね。……一体、陛下は何を勘違いされたのかしら」
唇を噛んで考え込んでいると、イアンが陛下の去った方向と私とを面白そうに見比べた。にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべる。
「姫さんがおかしな宗教勧めてたからじゃねーの? ガイウスとはまるっきし真逆だもんな。リリアーナのぐうたらーな教」
「だ、堕落の宗教ですぞおおおぉっ!!」
いつ私が布教活動したというの。
しかも勝手に名前を付けないでほしい。もっとこう……可愛い名前があるでしょう?
リリアーナのお昼寝大作戦、とか。
みんなで一緒に怠け隊、とか。
謳い文句は……そうね。
『毎日たったの三時間! まさかお昼寝するだけでこんなに幸せに!?』『お昼寝したら、ふさふさの婚約者ができました』で、どうかしら?
「だあもうっ! ぐうたらーな教の詳細を詰めるのは後にしなさいっ、後に! いいからさっさとガイウス陛下を追うのよ!」
地団駄を踏んだメイベルから、びしっと廊下の先を指し示される。言われるがまま回れ右して――しかし、すぐに足を止めた。
「えぇと……。でも、陛下はどこへ?」
情けない声を出す私に、イアンがぷっと噴き出した。
「精霊廟だろ、多分。あいつは落ち込むことがあったらすぐあそこに逃げんだよ。迎えに行くついでに、姫さんも精霊に祈りを捧げてくるといい」
「わ、わかったわ」
ひとつ頷き、今度こそ走り出す。
背中に「ちなみにあたしは入信しないからねー!」「オレもー」「おととい来やがれえぇー」という声が追いかけてきたが、今は気にしないことにする。
隊員一号、二号、三号。
もう全員認定済みなんだから。逃がさないわよ?
***
三度目の精霊廟。
扉の前に佇んで、胸にそっと手を当てた。弾んだ呼吸を整える。
(失礼しまーす……)
心の中でこっそり呟き、重い扉に体重をかけた。ぎりぎり通れる程度の細い隙間だけ開けて、足音を立てずに素早く中に滑り込む。
コハクとかち合ったらどうしよう、という心配は杞憂に終わった。
廟の中には陛下しかいない。こちらに背中を向けていて――石畳の小道の一番奥で跪き、深々と頭を垂れている。
(……精霊へのお祈り、かしら……?)
だとしたら、邪魔をするのは気が引ける。
花畑には足を踏み入れず、壁に寄りかかって待つことにした。息をひそめて辺りを見回すと、前回は気付かなかったものを発見した。
(あれは……?)
精霊廟の最奥、数段程度の低い階段の上。
景色と完全に同化してしまったかのような、古ぼけた両開きの扉があった。緑の蔦がびっしりと絡まっているところを見ると、長いこと開けられていないのかもしれない。
どうやら陛下が祈りを捧げているのは、その扉に向かってらしい。正確には扉の奥、なのだろうが。
(一体、あの奥には何があるのかしら)
宝物庫……なら興味はないけれど、素敵お昼寝部屋だったらどうしよう。ぜひお邪魔させていただきたい。
扉を開けたりはしないのかしら、何があるのか気になるわ、とうずうずしていると、陛下が微かに身じろぎした。慌てて両手で口を押さえ込む。
気付かれてしまったかもしれない。
咄嗟に体を強ばらせたけれど、陛下はゆっくりと立ち上がっただけだった。一心に扉だけを見つめ、低い声で語りだす。
「――ああ、精霊よ。ランダールに豊穣をもたらす魂の守護者よ。……やはり、俺ごときでは無理だったのだ……。王になるべくして生まれながら、『眼』も持たない。役立たずのでくのぼう。もはや獅子とも言えない仔猫にゃん……。くっ……。リリアーナが、ハロルドに乗り換えるのも無理はない……っ」
……はい?
ハロルドって誰? と私が硬直している間にも、陛下のとうとうとした演説はやむ気配がない。情感たっぷりに吐息をついて、扉に向かって毛むくじゃらの手を伸ばす。
「ああ、精霊よ。俺が王に相応しくないから、姿を見せてくれないのだろう? そうだ、俺は駄目獅子なのだ……いいやむしろ駄目にゃんにゃん……」
どうしよう。
そろそろ止めるべきかもしれない。
「毎日毎日、遅寝早起きして政務に邁進。食事は噛む暇もなく飲み込むばかり。人一倍努力して、休まず仕事をするだけしか能がない……」
いやいやいや。
それじゃあ早死にまっしぐらよ?
エリオット達の危惧していた通りだ。
健康のために良質な睡眠は欠かせないというのに、このままでは大変なことになる。なんとしても陛下には、隊員第四号になっていただかなくては。
焦りながら前に出ようとするが、陛下は未だ祈りに夢中だった。
「ああ精霊よ……。俺は所詮、取るに足らない平々凡々の凡々人……。王になってすみません……。いいやむしろ、生まれてきてすみません……」
「…………」
よし、止めよう。
やっと決意して、私は一歩を踏み出した。
足音を殺して背後まで近付き、こほんとわざとらしく空咳する。陛下が弾かれたように振り返った。
ガラス玉のような黄金色の瞳に、唇を引き結んで立つ私の姿が映る。垂直にしっぽを伸ばした陛下は、あんぐりと大きなお口を開いて――……
「んにゃあああああああぁっ!!!?」
「きゃああああああああぁっ!!!?」
「にゃあああああーーーっ!!!」
「きゃあああああーーーっ!!!」
互いに戦慄の悲鳴を上げる。
いえだって、急に叫び出すからびっくりしたんだもの!
ドッドッドッドッと早鐘を打つ心臓を押さえていると、陛下はようやく悲鳴を飲み込んだ。まるで私に見せつけるかのように、ふぁさっと雄々しい鬣を振り回す。大きなお顔の両側に手を構え、鋭い爪をにぎにぎした。
「ガゥオォーーーーーッ!!!」
「…………」
いえ、今更やり直されましても。
なかったことにはできないわよ?




