第14話 ぐうたら、それはきっと世界を救う。
「――さあっ。いざ出陣よメイベル、お昼寝をしに!」
「リリアーナ殿下。まだお昼前ですわ」
メイベルが疲れきった様子で肩を落とす。……うぅん、それはわかっているのだけどね?
遅めの朝食を済ませたあと。
自室のお気に入りクッションを抱き締めた私は、メイベルを従えてガイウス陛下の執務室へと旅立った。あえて足音を立てながら歩くのは、怯みそうになる気持ちを奮い立たせるためだ。
後ろを歩くメイベルに、歌うように説明する。
「今はね、単なる様子見なのよ。私が執務室で寛いでも、陛下がお怒りにならないかどうかの」
問題なさそうだったら、午後から改めてお昼寝すればいい。
声音だけは威勢よく話す私に、メイベルが深々と嘆息した気配がした。
「……僭越ながら。わたくしがガイウス陛下だったら、間違いなく怒り狂うと思いますわ。仕事の邪魔以外の何物でもありませんもの。一発……いえ二発、いいえやっぱり三発は手が出てしまうやも……」
「…………」
たいへん。
今日が私の命日になるかもしれないわ。
さあっと血の気が引いて足を止めた。そのまま回れ右して、意気揚々と今来たばかりの道を戻る。
「さあっ。いざ退却よメイベル、私の部屋に!」
「おっと、そいつぁ駄目だぞ姫さん。一度した約束は、ちゃあんと守らねぇとな?」
いきなり頭上から含み笑いが降ってきた。
ひょいと体を持ち上げられ、足が宙に浮いてしまう。
「きゃっ……!? ――ちょっと、何するのっ」
まるで荷物のように軽々と私を担ぎ上げたのは、熊の獣人イアンだった。
整った顔に片頬だけ上げ、赤毛の大男は野性的に笑む。
「強制連行だよ。姫さんアンタ、ガイウスにぐうたらを教え込むんだろっしょおおおおぉっ!!?」
私を押さえていた圧力が吹っ飛んだ。
地面に叩きつけられそうになるのを、素早く伸びてきた腕が受け止めてくれる。私をお姫様抱っこをしたのは、我が怪力侍女のメイベルだった。
つややかな黒の巻毛を揺らし、メイベルがふわりと微笑む。
「――お怪我はございませんか? リリアーナ殿下」
「……っ。は、はい……!」
やだ、素敵……!
メイベルの背後に、きらきら輝く後光が見えちゃうわ!! もしくは大輪の花々かしらっ?
手を組んでうっとりと見惚れていると、壁に激突したイアンが跳ねるように起き上がった。
「うおおっ、さすがはオレの認めた姐さんだ! アンタこそ生まれながらのタラシだぜっ」
子どものように瞳を輝かせる。……いや、いくらなんでも復活早すぎるでしょ。
頬を染めてきゃーきゃー興奮するイアンに、目を吊り上げたメイベルが雷を落とした。
「ちょっと馬鹿弟子っ。女性に気安く触れるだなんてどういうつもり!? ましてや担ぐだなんて言語道断よっ」
「す、すまねぇ姐さん……。なら、オレも次からは姫さん抱っこを」
「しなくていいっ。アンタがやったら単なる変熊よっ」
……へんぐまって何?
変態の進化系?
目をしばたたかせつつ、すとんと地面に降り立った。イアンはと見ると、照れたように鼻の下を掻いている。
「変熊、か……。へへっ、こいつぁ参っちまうな」
なぜ嬉しそうなの。
獣人の感覚ってわからないわ、と首をひねっていると、背後から指が食い込むほど強く肩を掴まれた。ぎょっとして硬直する私に、囁くような低い声が降ってくる。
「うふふふふふ……。捕まえましたよぐうたら姫様……。決して恨みがあるわけではないが、貴女にはここで消えていただきだらっしょおおおおぉっ!?」
登場、即退場。
謎の人物も壁際まで吹っ飛んだ。
きゅうと伸びている不審人物に恐る恐る近付くと、ぼさぼさの黒髪の見覚えのない男の人だった。
こけた頬に、目の下にはくっきりと隈が刻まれている。青白くやつれ果てているわりに、やはりと言うべきか彼もすこぶるつきの美形だった。
屈み込んで鑑賞していると、メイベルから首根っこを引っ掴まれて無理やり立たされた。
「リリアーナ殿下っ。どんなに見目が良くともこの男は痴漢ですよ! 見たら変態が伝染りますっ」
「そ、そうなの? ならメイベル、あなたも離れなくっちゃ駄目じゃない。今すぐ一緒に逃げ――……」
「どぁれが変態ですか失礼なっ! ワタシはれっきとした宰相補佐ですっ!!」
血走った目をカッと見開き、変態(推定)がわめき出す。……イアンといい、獣人って体が丈夫なのね。
感心する私をよそに、宰相補佐こと変態さんはぶつくさ文句を言いながら身繕いを整えた。荒んだ目付きで私を睨み据える。
「ぐうたら姫様。どうか、ガイウス陛下に余計な事は教えないでいただきたい。……ただでさえサボり魔の宰相に苦労しているというのに、この上勤勉な陛下にまで怠けられてしまったら……。ワタシは確実に過労死まっしぐらです」
「――過労死ですって!?」
私には全く馴染みのない言葉に愕然とする。
過労死、それすなわち働きすぎ。よくない……ならば、働かなければいい。――そう、皆で仲良くだらければいい。それすなわち正義なりっ。
素晴らしき結論に一歩を踏み出して、変態さんの骨ばった手を両手で包み込む。髪と同じ真っ黒な瞳を覗き込み、熱っぽく頷きかけた。
「そうなのね、よくわかりました。私ならもちろん構わないから、あなたも一緒にお昼寝しましょうね?」
「なんでそうなるっ!? あんた全然わかってないだろっ。うちの国が滅びるわっ!」
「落ち着いて。さあ一緒に唱えましょう? ぐうたらぐうたら、だらだらだら……」
「ヒイィッ!? なんという恐ろしい堕落の呪文!? やめろワタシが悪かった許してくれぇーーー!!」
感激に打ち震えるどころか、恐怖におののく彼にぽかんとしてしまう。内心首を傾げつつ、握った手に力を込めた。
「まあ、どうしたというの。大丈夫よ、私があなたを助けてあげ――……」
ドサドサッ!
突如、広い廊下に音が響く。私達は一斉にそちらに注目した。
廊下の曲がり角、茫然と立ち尽くしているのは――
「ガイウス陛下っ?」
耳もしっぽもピンと立てた獅子王だった。
その足元には本やら書類やらが散らばっている。
慌てて過労死さんの手を離し、乱れたドレスを整えた。しとやかに微笑んで辞儀をする。
「ごきげんよう、陛下。ちょうど今から陛下の執務室にお伺いしよう……と……?」
陛下の尋常ならざる様子に、言いかけていた言葉を止めた。
陛下の目はまんまるに見開かれていて、堂々たる体躯はピクリとも動かない。呼吸すら止めているのか、長いおひげもそよともしなかった。
「あ、の……。ガイウス、陛下……?」
囁くように呼びかけると、彼はごくりと喉を鳴らした。
ぶるぶるっと首を震わせて、目にも留まらぬ速さで私達の側へと飛んでくる。丸太のように太い腕を勢いよく振り上げた。
「きゃあっ!?」
もふんっ!!
痛みを覚悟して目をつぶったのに、感じたのは至極やわらかな感触だった。恐る恐る目を開くと、陛下が肉球で私の手をもにもに押して、変態過労死さんから遠ざけていく。
「き、君が来ると聞いたから迎えに来たというのに……! まさか、まさかこんな……っ」
どんな?
「い、いや別に迎えに来たわけじゃないからなっ? そ、そうあれだ単に頼まれた書類を運ぶ途中なわけで」
ふがふがと言い訳した陛下は、視線をさまよわせた挙げ句後ずさりする。牙を剥き出しにした恐ろしいお顔が、なぜだか泣き出しそうに見える。
「……や」
「や?」
慌てて追いすがる私を置いて、陛下はくるりと踵を返した。そのまま猛スピードで走り出す。
「……やっぱり破廉恥なんだあああぁっ!!!」
「…………」
なぜに?




