第11話 これぞ文化的衝撃というものです。
「我々獣人は、普段は人型を取ることの方が圧倒的に多いのだ。獣型は開放感にあふれて寛げる分、公的な場には相応しくないと考えられているからな」
「では、皆さん家では獣型で過ごしておられるのですか?」
隣に座るメイベルが、生真面目に挙手して質問する。先生役のディアドラは無表情に小首を傾げた。
「それは人それぞれだ。ちなみに私は眠るときは獣型派だな。でも夏は暑いから人型派だな。要は気分次第だ」
「成程。……今度、イアンにも聞いてみなくっちゃ。というか、イアンは何の獣人なのかしら」
独り言ちたメイベルに、ディアドラはあっさりと肩をすくめてみせる。
「あいつは熊だ。無意味にでかいだろう、熊だけに」
淡々とした返答に、メイベルは手を叩いて喜んだ。瞳をいたずらっぽく輝かせる。
「ふふっ、確かに――って。……どうされました、リリアーナ殿下? 先程から一言もしゃべっておられないではないですか」
メイベルからゆさゆさと揺さぶられ、私は仏頂面で二人を見比べた。……変態呼ばわりされた傷が深すぎて、盛り上がる気にもなれないのよ。
深々と嘆息して、私も力なく手を挙げる。
「では先生、私からも質問を。――今の話を聞く限り、ガイウス陛下が獣型を取っているのはおかしくありません? 執務室は公的な場なんだから、『人型を見せて』と頼むのは正当な要求なんじゃありません?」
あわれっぽく訴えたのに、ディアドラは無情にも首を横に振った。
「獅子の獣人――つまり王族は例外だ。王とは全獣人を統べる存在、一点の弱みなく毅然と在らねばならない。鋭い牙と爪、そして雄々しい鬣――……。これらは全て強き王を象徴するための、必要不可欠な要素なのだ」
ふぅん。
ひとり開放感にあふれて寛いでるのじゃないわけね。怠けてるのじゃないわけね。
頬をふくらませると、ディアドラは手を伸ばして私の額をぺんと弾いた。
「全ぐうたらを統べる君と一緒にしないでもらおうか。……結論を述べよう。強き王に無防備な人型を見せろと言うのは、己に心を開け、弱みも全てをさらけ出せと言うも同義なのだ」
ディアドラの言葉に愕然とする。
「……心、を……」
それは……。
確かに出会って初日でお願いすることじゃなかったわね。
知らなかったとはいえ、随分と図々しいことを言ってしまったものだ。
顔から火が出るような心地で俯いていると、ディアドラがふっと微笑う気配がした。
「そう。心――すなわち真っ裸を見せろと、君はガイウスに強要したわけだ」
そこがよくわからない!!
カッと目を見開いて、医務室のテーブルを叩きつけて立ち上がる。座ったままのディアドラを憤然と見下ろした。
「私、そんな助平発言は断じてしてませんっ。というか、心と裸とじゃ大違いでしょう!?」
「獅子の獣人にとっては似たようなものなのだ。なぜなら人型は、歯も小さければ爪も丸く、虚仮威しの鬣も無い――」
鬣って虚仮威しなの?
目を点にする私をよそに、ディアドラは芝居がかった仕草で己を抱き締める。情感たっぷりに身悶えた。
「ああ恥ずかしい、照れくさい。秘密の花園を覗こうだなんて破廉恥よ! いやっ変態近寄らないでー! ……そのときのガイウスの心情を代弁するならば、大方こんなところだろう」
本当に?
本当にそんな乙女なの?
大真面目な顔に戻った彼女に、思わず疑いの眼差しを向けてしまう。
困り果ててメイベルに助けを求めようとしたら――隣りに座っていたはずのメイベルが忽然と姿を消していた。
「えっ、メイベル!?」
慌てて辺りを見回すと、なぜかメイベルは壁際まで後退していた。頬を真っ赤に染めて、潤んだ瞳を両手で覆って隠してしまう。
「で、殿下……。その、いかに婚約者とはいえ、いきなり大胆すぎやしませんか……? まままま真っ裸だなどと……っ」
「違うから!? 真っ裸じゃなく、人型が見たいって言っただけなのよーーー!」
つられて私まで赤くなりながら、身振り手振りで弁解する。我がぐうたら人生で、ここまで必死になったのは初めてかもしれない。
どうやら。
一度生まれた誤解を解くというのは、なかなか難しいことであるらしい……。
***
「……はあ。なんだかくたびれちゃったわ。傷ついた心を癒やす方法は、ひとつしかないわよね」
自室から持ってきたふわふわクッションを抱き締めて、広大な城内をひとりで散策する。
探すはもちろん、素敵お昼寝スポットだ。陛下からお墨付きはいただいているし、どこで寝ようが問題ないものね。
獣人は皆のんびりした気質のようで、王の婚約者が徘徊していても「おやこんにちは」程度でほとんど私を気にしていない。……ここは、もしや楽園ですか?
上機嫌でスキップする。
気付けば人気は全くなくなり、奥まった静かな場所に到達した。きょろきょろと周りを見回す。
(……ここ、もしかして……?)
慎重に歩を進めると、思った通り重厚な扉に辿り着いた。――精霊廟の入口だ。
「……この辺、なんだか不思議と涼しいのよね」
クッションを敷き、扉の前にすとんと座り込む。改めてじっくり扉を観察した。
精霊の絵はひとつひとつ違っているものの、どれも個性的な姿をしていた。獣人の想像力の豊かさに舌を巻く。
お昼寝するのも忘れて、扉に彫り込まれたとりどりの精霊に見入った。うっとりと手を伸ばす。
「翼の生えた馬……。素敵ね。空を散歩できたなら、どんなに楽しいかしら」
「――そうかな? 僕は、結構怖いと思うけど」
笑みを含んだ声が降ってきて、びくりと体をすくませた。慌てて発言の主を振り返り――驚きのあまり絶句する。
「……あれ。何をそんなにびっくりしているのかな」
目の前に立っていたのは、十歳をいくつか超えたばかりの小柄な少年だった。
抜けるように白い肌、やわらかくカールした眩いばかりの銀の髪。瞳はとろりとした琥珀色だ。
こてん、と可愛らしく首を傾げた少年を、瞬きすら忘れて凝視した。――正確には『彼を』ではなく、彼の耳――……
黙りこくる私に歩み寄り、彼はごく自然な所作で片膝を突いた。至近距離から私に目線を合わせる。
「はじめまして、イスレアのお姫様。よければ、リリアーナと呼んでも構わない?」
にこりと笑んだ、少年の頭には。
新雪のように真っ白な、ふかふかしたうさぎの耳が生えていた。




