第十八章その2 奇跡のメンバー
押し掛けてきたラグビー部員たちを、俺は庭のよく見えるウィリアムズ家のリビングへ通す。急な来客にもかかわらず、家にいたホストマザーのマライアさんも快くOKしてくれた。本当にこの家の皆さんには頭が上がらない。
「で、亜希奈ちゃんは太一君とはこの家でいかがお過ごしですかな?」
机をぐるりと取り囲むソファに腰かけて、気味悪いくらいのにこにこ笑顔のキムが尋ねる。
あまりにも予想通りの展開に俺は「いかがも何もないよ」と悪態をついたが、南さんはいつもと変わらない様子で答える。
「ふふっ、楽しく過ごしてるよ。今日はマライアさんに名物のバーガーショップを教えてもらったし」
「そういえば君も日本ではラグビー部のマネージャーやってるんだってねぇ。どう、日本のラグビーは強い?」
ニカウがぐいっと身を乗り出して訊くと、南さんはうーんと少し考え込んだ。
「まだこっちのラグビーを見てないからよくわからないけど、日本じゃ中学は12人制がほとんどなんだ。それに身体も小さい子が多いね。だから正直ここにいるみんな、日本じゃどこへ行っても大活躍できるくらいに身体大きいと思うよ」
彼女の言う通り、ラグビー選手の体格はニュージーランドの方が圧倒的に上だろう。うちのチームの中では小柄な和久田君でも、170cmあるからな。まあ、大きければ良いとも限らないのがスクラムハーフというポジションの特徴でもあるのだけれども。
「そうか、このメンバーで日本乗り込んだら、あっという間に天下統一だな」
そんな軽口をジェイソンが叩くので、俺と和久田君は即座にブーイングで対抗する。
「舐めんなよ、日本にだって俺よりでっかいフォワードはいるし、エリオット・パルマー級のステップ踏めるセンターもいるんだぞ。何ならジェイソン以上のフルバックが、俺の同級生にもいたんだし」
そう話していると石井君、秦君、そして西川君、日本で戦ってきたラグビー少年たちの姿が次々と思い出される。彼らも今頃日本で、ラグビーに打ち込んでいるはずだ。
「ふふっ、でもそんなことになったらおもしろいね。私ね、思うんだ。この家のリビングにこれだけラグビーの上手い子が集まるのって、一期一会の奇跡なんじゃないかって」
和久田君が「奇跡?」と首を傾げる。
「そう、色んな国から色んな人が集まって、同じ学校でラグビーしてる。で、卒業したら今度は世界に散らばって敵として戦ったり、同じチームになったり。いつかそんな舞台で戦う人たちが今ここで同じソファに座っているなんて、奇跡って呼んでもいいんじゃない?」
「奇跡か、確かにそんな気もするな」
珍しくジェイソンが感慨深げにしっとりと言った。はるばるカナダから海を越えてやって来た彼だからこそ、思うところがあるのかもしれない。
それは俺にとっても同じで、日本にいたままではジェイソンに出会うことはまず無かっただろう。そして日本の中学ラグビー界で、彼ほどキックの長けた選手は見たことがない。当然、ニカウやキムも同じだ。
ふとラグビー仲間の顔を見回してみると、みんな互いに優しい微笑みを投げかけていた。このニュージーランドに来たことで、俺は中学生ながら世界を見ることができる。それにはきっと、計り知れないほど大きな意義があるだろう。
やがて部活を終えたアイリーンも帰ってきたので会話に加わり、そこからどういうわけかみんなでボードゲームをする流れになってしまった。そしてボードゲームセンス皆無のアイリーンでさえも大勝してしまうほどに、ジェイソンがボードゲームに弱いことが判明した。初めて実力で勝てたと喜ぶアイリーンの姿は、なぜだか涙を誘うものがあった。
やがて陽もだいぶ傾いてきたので迷惑な連中は帰宅する。
「オゥ・ヴォワァル、また来るぜ」
「絶対に来るな!」
塩撒いたろか!
そこから夕食を済ませて一段落した俺は、いつも通り早めに部屋へと戻る。明日には包帯も外して、練習に復帰できるはずだ。
「うーん、そろそろ寝るか」
大きく伸びをしながらベッドに寝転がる。
今日はあいつらのせいでめちゃ疲れたわ。大事な試合前だってのに、まったくもう。
その時だ。ドアがコンコンとノックされたので、俺は重々しく首を上げた。
「入っていいよー」
アイリーンが洗濯物でも持ってきてくれたのだろうと気の抜けた声で返す。直後、ドアがガチャリと開けられた。
現れたのはスウェット姿の南さんだった。
「み、みな……」
「ねえ、ちょっと話さない?」
ひそひそと声を潜める南さんに、ベッドから立ち上がった俺は「う、うん」と頷く。そして音を立てないよう、ゆっくりドアを閉めたのだった。
落ち着け小森太一、神戸や修学旅行でも同じようなシチュエーションはあっただろ。
ベッドに並んで座る俺と南さん。間近で見るとダボッとしたスウェットなのに、すらっと細長い体躯が透けて見える。
「私、安心した」
そして南さんが口を開いたので、俺は「どうして?」と尋ね返す。
「太一がニュージーランドに来て、友達といっしょに楽しく過ごせてるみたいで。留学の前は行ってきなさいなんて強気で言ってたけど、実は言葉も文化も何もかも違う場所で打ちのめされないかなって不安に思ってたんだ。でも楽しそうにみんなと冗談言い合ってるとこ見ると、要らない心配で良かったって」
「俺も心配してたんだよ、南さんにちゃんとマネージャー務まるかなって」
「失礼な、少なくとも太一よりは器用に生きていけるよ」
南さんはすかさず俺を小突いてきたので、俺はわざとらしく「いってー!」と身をよじらせた。
「太一もこっちで充実した生活送れてるみたいで、私も安心して日本で待てるよ」
「そりゃ良かった。俺も日本に帰ったら、すぐにプ――」
彼女の顔を見つめ返しながら話していた、まさにそのタイミング。
「太一、パンツようやく乾いたわよー」
あまりにも突然のことだった。両手で洗濯籠を抱えて、お行儀悪くもアイリーンが足を使ってバタンと開けて屋根裏部屋のドアを開け放ったのだった。
当然、俺とアイリーンは互いに仰天した顔のまま固まり、部屋の中だけ時間が停止する。
「Oh, my god.」
そして再び時が流れ出すと、アイリーンはくるりと向きを変え、バタンと扉を閉めて急ぎ足で階段を降りていったのだった。
翌日、予定通り足の包帯は取れた。怪我もすっかり完治し、体調も万全だ。
そして週末の土曜日。俺たちオークランドゼネラルハイスクールのU-15チームは、決戦の試合会場へと向かった。
試合会場はなんとニュージーランドラグビーの聖地、イーデン・パークだ。
5万の観客席は朝から超満員。ニュージーランド代表にして世界最強軍団オールブラックスのホームとも呼べるこの舞台に立てるというこの興奮、身体の震えを抑えられるわけがない。
しかもこの日は年代ごとの決勝戦が時間をずらして順次このスタジアムで行われる。俺たちの試合が終わって別の年代の試合を挟んでから、ローレンス・リドリー率いる学校代表チームもオークランド地区優勝の座を賭けた勝負に挑むのだ。
「いよいよか……」
控え室の俺たちは皆、緊張のためかほとんど口を開くことは無かった。やはり決勝戦の重圧はこれまでの試合とはレベルが違う。
「やっべえ、心臓のバクバクが止まらねえ」
普段なら軽口を叩けるキムも、この時ばかりはベンチに座り込んで胸に手を当てている。
「何しょげてんだ、お前ららしくないぞぉ?」
だがそんな重苦しい空気を打ち破ったのは、チームの誇るキッカーにしてチーム1の軽口男ジェイソン・リーだった。突然高々と話し出すジェイソンに、俯きがちだったメンバー全員が注目する。
「俺はな、カナダ代表としてラグビーワールドカップで優勝するっていうでっかい目標があるんだ。だからわざわざ高い金払ってニュージーランドまで留学してきた。お前らだってそうだろ、何のためにここまで来たんだ? スーパーラグビーに出たい? バーバリアンズに選ばれたい? そんな目標に比べたら今日のこの試合なんて所詮通過点だろ? もっと気楽になろうぜ!」
彼の突然の口上にメンバーはつい吹き出してしまい、そのおかげで控え室に漂っていた緊張感もすっかり掻き消えてしまった。
「よし、じゃあそろそろあれやるかー」
U-15キャプテンのクリストファー・モリスも表情を緩ませてベンチから立ち上がる。その声に呼応して、メンバーは誰に言われるまでも無くひとつの大きな円を形作ったのだった。
そして全員がそろったところで、隣同士肩を組む。
「お前らー、いくぞー! 栄光は我が校にあり!」
本気の勝負に挑むときの決まり文句。クリストファーに続き、U-15全員が「栄光は我が校にあり!」と声をそろえて雄叫びを上げた。
さあ、決勝戦の始まりだ!




