第十七章その1 バーサーカーのごとく
少し冷え込みが厳しいと感じる7月の朝早く。学校には何十台ものバスが詰めかけ、同時にそれをはるかに上回る人数の応援団が押し掛けていた。
「太一、頑張ってこいよ。スタンドで応援してるからな!」
「ほらこれサンドイッチ、お腹が減ったら食べなさい」
駐車場でホストファミリーのオスカーさんとマライアさんとのハグを済ませる。
「太一、絶対に勝ってくるのよ! 負けたら今日は外で寝てもらうからね」
アイリーンもハグの後に叱咤激励をとばしてくれるが、いくらなんでも無慈悲な扱いに「そりゃないよアイリーン」と俺は苦笑いで返した。
今日からいよいよオークランド地区大会本戦の始まりだ。
これから3週間、予選リーグを経て残った8強が一発勝負のトーナメントを行い、今年のチャンピオンを決定する。
俺たちU-15チームの今日の試合会場は、オークランドからもほど近いノースショアのノース・ハーバー・スタジアム。25000人収容のスタジアムで、ラグビーワールドカップ2011ニュージーランド大会では日仏戦にも使用された由緒ある競技場だ。
さすがはニュージーランド、ラグビー観戦には学校を挙げて応援に向かう。チャーターされたバスには選手の家族や部員以外の生徒だけでなく、教職員や卒業生、さらにはご近所の皆さんまで老若男女が並んでいた。
俺たちも選手用のバスに乗り込むが、年代ごとに試合時間や会場が異なるため、選手もお客さんも乗るバスを間違えないよう気をつけなくてはならない。
発車まで待っている間も、駐車場には応援団がひっきりなしに訪れてバスの列に加わっていた。
「すごいな、ラグビーでここまで盛り上がれるなんて」
隣に座ったキムが茫然と窓の外を眺める。ラグビー人口の少ない韓国では、これほどの大人数が観戦のために動くということがそもそも起こらないのだろう。
「スポーツが文化として根付くってのは、きっとこういうことを言うんだろうね」
ベイの試合がある日のハマスタ周辺ってこんな感じだよな。横浜市内が青一色に染まるあの光景をなんとなく思い出しながら、俺は呟いた。
やがてバスは発進し、試合会場のノース・ハーバー・スタジアムへ到着する。
「栄光は我が校にあり!」
試合開始前、控え室でミーティングを行った俺たちは全員でお決まりの文句を唱える。全員本気も本気、この日のために練習を積んできたのだ。今まで聞いた中で最も大きくうるさく、そして力強い声だった。
トーナメント1戦目の対戦相手はロトルアサウスアカデミー校だ。ここ20年は優勝から遠ざかっているものの、毎年のように本大会に出場している常連校で決して気は抜けない。
「よし、気合い入れていくぞ!」
俺たちは控室から芝の上に出る。
暗い通路を抜けてぱあっと視界が明るく開けた直後、目に飛び込んできたのは25000席すべてが埋め尽くされた満員のスタンドだった。
「すごい……景色だ」
俺は思わず声を漏らし、同時に目の奥からじんと熱いものがこみ上げてくるのを感じる。
俺たちの試合のために、これほど多くの人がスタジアムに来てくれるなんて。これが武者震いというやつだろうか。ここよりもずっと規模の大きい日産スタジアムで戦ったことはあるけれども、それ以上の興奮を覚える。
日本の高校野球でも甲子園での全国大会ならともかく、一地方の大会でここまでの人数は呼べないだろう。
そして両チームが挨拶を済ませ、第一回戦が始まった。
相手は献身的なタックルを繰り返して敵に攻撃の隙を与えない守備的なチーム。逆にボールを持てば猛獣をも恐れない果敢な突進で、前進を繰り返しながらトライを狙う。プレースタイルとしてはアイルランド代表の伝統的な戦術に似ているだろうか。
ゆえに俺のような巨体の選手がボールを持っても、彼らは全速力で突撃してくるのだ。どんなに体格差があろうと勝ちを確信してボールを奪いに来るその姿はバーサーカーと呼ぶにふさわしい。
タックルの威力以上に、その気迫に俺たちは恐怖さえ覚えた。
互いにトライを奪えないまま時間が過ぎる中、俺にボールが回される。俺は楕円球を脇に抱え、どすどすと芝の上を走り出した。
当然、相手選手は俺の前進を止めようと一斉に群がる。
定石ならば相手はここでタックルを仕掛けてくるので、俺はこれに耐えて敵の人数を減らし、他の味方選手にボールを回してバックスの突破に託すというのがお決まりだろう。
だがそれは今までも何度も試してきた戦法。ここで攻め方を変えなくては、この相手は倒せない。
俺は手にしたボールをすっと前に突き出し、そして走りながら真下に落とした。
そして選んだのは、パントキック!
蹴り上げたボールが走り寄ってきた敵選手の頭上を越え、逆サイドへと真っ直ぐに飛ばされる。
まさかプロップがキックを選択するなんて!
意表を突かれた相手選手はそう言いたげな顔を浮かべたものの、すぐに方向転換して慌ててボールを追った。
だが人間の足がパスに追いつくわけがない。
相手の守備ラインの後方に落下したボールは、駆け上がってきた味方ウイングが拾い上げる。俊足が売りの彼はそのままタッチライン際を走り抜け、トライを奪ったのだった。
「太一、ナイス判断だぁ!」
ニカウが喜んで俺の背中にとびつく。だが観客も一際大きな歓声を上げていたので、スタジアムは耳元の彼の声さえも聞こえないほどの大喝采に包まれていた。
その後、俺のキックからつながったトライで勢いに乗ったチームはさらに相手を圧倒した。
先ほどまで狂戦士のごとくタックルを仕掛けてきた相手も、俺が突っこんでくるのかキックを出すのか迷うようになり、雨のような猛攻は鳴りを潜めてしまう。おかげで俺は精神的にも肉体的にもだいぶ楽になり、のびのびボールを運べるようになった。
だが一番嬉しかったのは相手ボールでスクラムを組んだ時のことだ。
敵味方16人がスクラムを形成して押し合いを開始した後、相手スクラムハーフがボールを投入する。
その直後、俺たちは息を合わせてさらに力を込めて押し込んだ!
急激に加えられた俺たちのプレッシャーに相手は耐えきれなかった。せっかくマイボールで始められたのに、相手スクラムは大きく後退させられてしまう。
なんと俺たちは強豪ぞろいの本大会の場で、相手ボールを奪ってしまったのだ!
スクラムで勝つということはフォワードの力が相手より優っているということ、つまり俺たちの実力の証明に他ならない。
そこから取り返したボールをフッカーが後ろに転がし、スクラムハーフの和久田君が拾い上げて仲間に高速パスを送る。キャッチしたバックスの猛ダッシュにより、俺たちはまたしても追加トライを決めてしまったのだった。
「ナイススクラム!」
スタジアムが揺れんばかりの大歓声だ。それもバックスがトライを決めたことよりも、俺たちのスクラムを讃えるような雰囲気に汗だくのフォワードたちも思わずにへっと表情を崩してしまう。
フォワードやってて良かった。心底そう思う瞬間だった。




