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第十六章その5 本大会前日

「え、今日はずいぶんと大所帯だな」


 キックの名手にしてU-15フルバックのジェイソン・リーが目を丸くした。


 部活の無い平日の放課後、学校のラグビー場で彼からキックを教わりに向かった時のことだ。いつもならここに来るのは俺だけのところ、今日は和久田君、キム、ニカウら1年生組も同伴していた。


「俺たちも知りたいです、キックの極意」


 後輩たちがきらきらとした視線を送る。これにはものぐさのジェイソンも無碍には断れない。


 オークランド地区本大会までは1か月弱ほど余裕がある。この間に俺たちは自分のできることをしっかりやっておこうという話になり、それぞれのポジションではあまり重きを置かれないキックについて勉強しようということになったのだ。


「うん、まぁいいけどよ……こうも野郎ばっかだと、どうもやる気が」


 ジェイソンがあくび混じりにぼりぼりと頭を掻いたその時だった。


「太一、お待たせー」


 長い金髪をなびかせたアイリーンが手を振りながら、校舎の方から走ってくる。手には大きなビニール袋を提げていた。


「家にスパイク忘れるなんてドジなんだから。今日、私が練習休みで良かったわね」


 そう言って彼女は俺に袋を渡す。中には愛用のスパイクが入っていた。


「ごめんアイリーン、ありがとう」


 ちらっと後ろを見る。そこにいたジェイソンはさっきまでのやる気なしの表情から一変し、しゃんと背筋を伸ばして目に活気を宿らせていた。


「さあみんな、太一君も準備できたことだし、秘密の特訓を始めようか!」


 誰だこの爽やか星人は。言葉遣いまで別物になってるぞ。


「え、秘密の特訓? 何するの?」


 何気なくアイリーンが俺に訊いた。


「キックの練習だよ。このジェイソンはうちのラグビー部でもずば抜けてキックが上手いんだ」


「へえ、おもしろそうね。私も見学させてもらっていい?」


「もちろんですよ、マドモアゼル」


 そして恭しくすっと手を差し出すジェイソン。


「なんでフランス語?」


「カナダってフランス語も公用語だからじゃない?」


 俺の漏らした疑問に、和久田君が超テキトーに答えた。生真面目ばかりかと思っていた彼の性格だが、実際にいっしょに過ごしてみるとなかなかにウィットに富んだ言動をとることが多いのは意外だった。


 さて、ジェイソンをコーチに据えてキックの練習が始まる。


 走りながらのパントキックで狙った位置にボールを落としたり転がしたり、それを何度も繰り返して俺たちはキックコントロールを身体に叩き込んだ。


「和久田は器用だな」


 ジェイソンが珍しく感心する。さすがはどんなプレーもそつなくこなせる和久田君だ。


 古いラグビー観ではキックはスタンドオフの専門分野という発想が根強く残っていたが、高度に戦術の発達した現代ではスクラムハーフにもキック力を要求されることがある。


「キム、力任せに蹴るな! ラグビーボールは慎重に扱わないとまっすぐには飛ばないぞ、もっとボールの芯を狙え!」


 タックルと瞬発力では右に出る者のいないキムも、足の技術となるとまだまだだ。


 やがてジェイソンは自身もラグビーボールを手に取ると、「いいかお前ら、ボールってのはこう扱うんだ」と自らの足元にボールを落としたのだった。


 そして披露したのはお得意のリフティングだ。ポンポンと華麗な足さばき、サッカーボールでも難しいリフティングを楕円球でこなすという妙技に俺たちだけでなく近くを通りがかった生徒も「おおっ!」と見とれていた。


「すっごい! サーカスみたい」


 アイリーンも興奮した様子を見せる。


「これくらい大したことありません。100回でも200回でもいけますよ」


 言われてジェイソンはカッコつけて前髪をさらっと横に撫でた。




 それからもキックだけでなくパスやスクラムの特訓を重ねていると、時間はあっという間に過ぎ去る。


 そしていよいよ本大会の前日。ラグビー部の部員たちはコートに集まり、試合前最後のミーティングを開いていた。


「いやぁ、俺も今すぐこの包帯外して、みんなとラグビーしたいよ」


 久々に顔を見せたフィアマルが皆の前で苦笑いを浮かべた。大きな左腕と肩を固定するギプスが痛々しい。


 彼の怪我は順調に回復しているようで、後遺症も残らないという。しかし大会までには完治できず、今年度は出場できないというのが残念でならない。


「お前たち、みんな今日はゆっくり休め」


 隣に立ったキャプテンのローレンス・リドリーが部員たちに告げる。彼も明日の試合には学校代表チームのロックとして出場する。


 予選リーグで好調を維持した本校ラグビー部は、無事にすべての年代が本大会に出場することができた。ここから先はそれぞれの年代が負ければ終わりのトーナメント戦で優勝を目指すことになる。


「さて……あ、そうだ。U-15チームに話しておくことがあるんだった」


 もう終わりかと思っていたところでローレンスが何かを思い出したので、U-15の面々は「はい?」とざわついた。


「大会が終わってからのことになるんだが、8月に日本の中学選抜チームとうちとで、交流試合をすることになった」


「ええ!?」


 メンバーが一斉に声を上げる。中でも一番驚いたのは俺と和久田君だった。


 日本の中学選抜チームって、この前南さんが話していてたあれのことだよな?


 西川君や石井君、秦君が選ばれたという全国の優秀な選手をそろえたドリームチーム。


 つまりこのU-15チームで、西川君たちと対戦できるということか!?


「だから大会終わっても気を抜くなよ。ただレギュレーションはあっちに合わせるんで12人でやるからな、フランカーとナンバーエイトは今回はお休みだ」


 キムが「ちえっ」口をとがらせる。フランカーの彼はせっかくの機会で戦えないことに不満のようだ。


 やがてミーティングが終了し、メンバーはそれぞれの帰路に就く。


 いつもの1年生4人組もそろって同じ道を歩いて帰るものの、この日は普段のように会話を弾ませることもなく、しんと重い空気が漂っていた。


「明日かぁ……緊張するなぁ」


 ぼそりと口を開くニカウ。柔和な彼の声も、この時ばかりはぴりぴりと張りつめていた。


「優勝、できるかな?」


 つられて和久田君も口にする。ずっと隠してきた弱気な部分が、つい見え隠れしているようだった。


「それはセントラルチャーチ校のエリオットを攻略できるかどうか、だろうな。そこさえできれば優勝もぐんと近付く」


 キムはすたすたと歩きながら言い放った。エリオットの名を聞いて、俺の拳には無意識のうちにぎゅっと力がこめられていた。


 そもそも俺がキックを練習し始めたのは彼の存在がきっかけだ。プレシーズンマッチで見せつけられたエリオット・パルマーの凄まじいスピードとフットワークには、真っ向からぶつかっても敵わない。彼を出し抜くには、こちらも何かしら搦め手を身につける必要があった。


 幸いにもトーナメントの組み合わせから、俺たちがセントラルチャーチ校と対戦するとしたら決勝戦になる。お互いに最後まで勝ち進んで初めて顔を合わせることになるのだ。


 だがそんな楽観的に考えてよいはずがない。ここはラグビー王国ニュージーランド、セントラルチャーチ校以外にも優勝候補は多数あり、どこが最後まで勝ち進んでも不思議ではないのだ。


 ここから先、楽な戦いはひとつもない。


「エリオットのことよりまずは目の前の1勝だよ。他も強豪ばっかりだからね」


 俺は自らを奮起させるように声にすると、皆「そうだね」と頷く。


「だよな、特に太一は何がなんでも決勝いかないとな」


 重い雰囲気が和らいだところで、にたっと笑いながらキムが言い放つ。直後、俺は「うっ」と言葉に詰まって立ち止まった。


 1年生組には南さんの存在は既にばれてしまっている。そして彼女が俺が勝ち進んだ場合、決勝戦の試合を見に来るつもりであることも。


「さて小森選手はいかがお考えでしょう?」


 インタビューの真似だろう、和久田君がさっと俺の顔の前にマイクを象った手つきで腕を伸ばしたので、俺は「ノーコメントで」とだけ吐き捨てるとさっさと歩き去ってしまった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アイリーンも何だかんだで強力なアシストをしてくれてますよね。
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