第十六章その4 写真みーせーろ!
翌土曜日、予選リーグ最終戦を終えた俺はへとへとになった身体をひきずってコートからベンチへと戻った。
なんとか21-17という僅差で勝ち切ったものの、思わぬ苦戦にどのメンバーも疲労の相を浮かべていた。彼らの心境を言葉にすれば「ああ、ようやく終わった……」といったところだろう。
予選突破自体は決まっていたのでサブメンバー中心の構成ではあったものの、相手は俺たちよりも格下だ。個人ごとに見れば、完封に抑えてもよいほどの実力差がある。
それにもかかわらずここまで点を取られてしまったのは、何よりもフォワードの連携がうまく取れなかったからに尽きる。スクラムでまっすぐに力を伝えられなかったり、ラインアウトでリフトのタイミングを誤ってしまったりといったミスが目立ったのだ。
しかも後半開始早々スクラムで反則を取られた後、ラインアウトからのモールを押し込まれて失点してしまったことは俺の不甲斐なさが原因だった。体格でも劣る相手に失点を許してしまったのは、さすがにくるものがある。
欠場したフィアマルの代わりになろうと、気合い入れてプレーしたのに。まだ俺では彼の代わりにはならないのか?
「太一、ちょっと来てくれー」
更衣室で着替えている最中、U-15キャプテンにしてナンバーエイトのクリストファー・モリスがまだジャージ姿で俺を呼んだ。
「は、はい!」
俺は急いで着替えを済ませてクリストファーの元に向かう。彼はどんな時も同じ調子でしゃべるので、怒っているのかそうでないのかすらも読み取れないのだ。
クリストファーはボディビルダーのように筋肉が隆起した見事な上半身をさらけ出してベンチに座り込んでいた。
「太一、初めてのスタメンどうだったー?」
U-15の頼れるナンバーエイトは見た目の厳つさとは裏腹に、穏やかに話しかける。そんな彼に対して抱いたのは、恐れや恐怖よりも奇妙な安心感だった。
「正直なところ、すごく……疲れました」
つい俺は本音を漏らす。フィアマルのように左プロップらしく力で押し込めるプレーをこなそうと身体を張ってきたのに……思うようなプレーができず、本当に情けない。
「誰だってそうだー。特にこういうイレギュラーな事態ではなー」
クリストファーがぐいっとドリンクを傾けて喉に流し込む。そしてぐびぐびと喉を鳴らして胃に流し込むと、ぷはあっと気持ち良さそうに息を吐き出したのだった。
「太一、別にお前がフィアマルと同じことをする必要は無い。あれこれ考えず、自分ができる最高のプレーをしてくれればいいんだぞ-。何かあったら俺たちの方が合わせてやる、ドンと胸を張れー」
慰めてくれるキャプテンに俺は「はぁ、ありがとうございます……」と弱々しく返事する。だが今の俺には、そんな優しい言葉をかけてくれる方がむしろ辛く感じられた。
「太一、いつまでも落ち込んでんなよ。試合には勝てたんだ、もっとしゃきっとしろよしゃきっと!」
家に向かって帰宅する途中、キムが俺の尻を後ろから蹴りつける。
今日も今日とて俺たち1年生4人組は連れ立って歩いていた。その最中でもずっと沈んだままの表情の俺に、彼は業を煮やしたのだろう。
「今の小森君がフィアマルと力比べをしても勝てないよ。それよりも自分の長所を活かすようなプレーをした方がいいよ」
和久田君もそっと助言をはさむ。普段は控えめの彼だが、時折口にする指摘は的を射たものが多い。
「そうだよぉ。僕はねぇ、太一の真骨頂はその体重で突っ込んでくると思わせて、キックパスも得意だってとこにあると思ってる。だから試合ではフィアマルみたいなパワーを活かしたゴリ押しだけじゃなくてぇ、キックも交えて自分の攻めやすいようなプレーをこなすべきだと思うよぉ」
ニカウも同じく便乗する。プロップというポジションだからか、彼のアドバイスは実に具体的なものだった。
「うん、みんなありがとう」
1年生のみんなからの励ましと助言で、多少は楽になった気がする。
どうもフィアマルの代わりになることにとらわれ過ぎていたようだ。左プロップでも俺と彼とは違う人間、自分らしいプレーを貫けばいい。
そもそもこの短期間で彼と同程度にまでフィジカルを鍛えるなんて土台不可能だ。それよりも今持っている技術に磨きをかけた方が効率的だろう。
「ところでさ、冬の大会が終わったらみんなであれ見に行かない?」
重くなった空気を察してか、和久田君が明るく切り出す。
「あれ?」
「そう、あれだよ。南半球6か国対抗戦!」
聞くなり俺たちは「ああ、あれか!」とポンと手を打った。
これまではザ・ラグビーチャンピオンシップとして毎年ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンの4か国で争われていた国別対抗戦。だが今年からはそこに日本とフィジーが加わって、6か国での対抗戦が開催されることになる。
それこそが南半球6か国対抗戦。ヨーロッパのシックス・ネイションズと対になってイメージしやすいことから、日本でもそう呼ばれている。
従前の加盟国にとっては新しい市場の開拓、日本とフィジーにとっては自国代表の強化という両者の思惑が一致しての実現だろう。
だがそんな思惑などファンにとっては些細なことだ。ナショナルチームが世界の強豪チームと本気の戦いを毎年繰り広げるその舞台に日本代表も参戦できるなんて、長年の夢が叶ったも同然だった。参戦が正式に決まったたその日、大阪では道頓堀川に飛び込んだ人もいたとニュースになったくらいだ。
「ちょうど8月の地区大会が終わった後、イーデン・パークでオールブラックスとワラビーズの試合があるんだ」
「マジかよ、最高のマッチアップじゃねえか」
キムが目を輝かせて息巻いた。
オールブラックスとは言わずもがなニュージーランド代表のことだが、ワラビーズとはオーストラリア代表の愛称である。これはラグビーオーストラリア代表のエンブレムの図柄が、オーストラリア固有種のワラビーであることに由来している。
ニュージーランド、南アフリカと並び称される南半球の強豪であり、ワールドカップでもこれまで2回優勝の実績を誇っている。2023年の前回大会でも、決勝でニュージーランドと死闘を繰り広げた末に準優勝を手にしている。この6か国対抗戦ではワールドカップの屈辱を晴らすために、普段以上の本気でオールブラックスに挑んでくるはずだ。
ちなみにイーデン・パークとはオークランド市内に位置するニュージーランド最大のスタジアムだ。5万人収容可能な大規模な競技場で、オールブラックスの試合は大概ここで行われる。
ラグビーの聖地で開かれる最高の試合。もちろん見に行きたいよ。
「うーん、時期的に行けるかな……」
だが俺は返事を渋っていた。
「なんだよ、都合悪いのか?」
キムが口をとがらせる。
「うん、日本から友達が来るんだよ」
俺はそっと顔を逸らしながら答えた。
8月と言えば南さんが来るのだ。しかも滞在先はホームステイ先であるウィリアムズ家。そんなことがばれたら、この思春期男子どもにとっては格好のからかいネタになってしまう。
「ああそっか、日本は夏休みだもんね」
和久田君がうんうんと頷く。そうそう、そのまま諦めてくれ。
「じゃあさぁ、その友達も誘ってぇ、みんなで観戦に行こうよぉ」
だが空気を読んでいるのか読んでいないのか、のほほんとしたニカウがいきなり提案するものだから俺は「え!?」と固まってしまった。
「あ、グッドアイデアだねそれ」
「おお、俺も太一の友達なら会いたいぞ」
ニカウに賛同する和久田君とキム。
「いや、ダメ!」
だが俺は慌てて手で制した。
「なんでだよ太一、別に意地悪なんてしねえよ」
声を荒げる俺に驚いてか、キムが瞬きして返す。
「もしかしてその友達、女の子とか? なんてね」
和久田君がはははと冗談ぽく笑いながら言う。
いきなり核心を突かれて否定もできず、とっさに何て答えればよいものか思い浮かばなかった俺は「ま、まあ……」と言葉を濁してしまった。
だがそれが良くなかった。
「え、え、ええ!?」
俺の反応から事情を察した思春期男子3人が、目を大きく開いて一斉に詰め寄る。
「小森君……」
引きつった笑顔のまま固まる和久田君。
「まさか太一にガールフレンドなんて、これは大ニュースだねぇ」
ニカウが興奮した様子でうんうんと頷いている。ここまでノリノリのニカウ、初めて見た。
「写真みーせーろ、写真みーせーろ!」
キムが即興で作詞作曲した珍妙な歌を歌い出した。
「ああもう、放っといてくれよ!」
くるっと振り返って俺はすたすたと歩き去る。だが3人はだっと駆け出し、「ディーフェンス! ディーフェンス!」と俺の行く手を塞いだのだった。




