第十六章その1 そして公式戦が始まった
5月はニュージーランドの晩秋で、朝晩の冷え込みは思った以上に厳しい。早朝目を覚ますと布団から出るのが億劫にも感じられる。
しかしやはりここはニュージーランド、昼間の日差しは日本よりもきつく、太陽の下ではアイスクリームでも食べたくなるほどに汗ばんでしまう。
そんなある晴れた土曜日の午前から、市内の運動公園に設けられたラグビー場にはジャージ姿の少年たちが集まっていた。
「いよいよ公式戦だ、お前ら本気でぶつかってこい! いいか、栄光は我が校にあり!」
身長200cm超の超大型ロックにして我らがキャプテンのローレンス・リドリーが、集まった100人以上のラグビー部員を前に力強く声を上げる。
部員たちは全員、目に闘志の炎を宿らせながら「栄光は我が校にあり!」と繰り返す。この文言はオークランドゼネラルハイスクールが本気の試合に挑むとき、必ず部員全員で復唱するのがお決まりらしい。
今日はいよいよオークランド地区大会予選リーグの第1回戦だ。今年度最初の公式戦であり、俺にとってはニュージーランドに渡ってきてから最初の公式戦でもある。
対戦相手のポートサイド校は小規模な学校で俺たちと比べると格下のチームではあるが、初戦ということで気を引き締めるためにも、俺たちはフルメンバーで挑むことにした。
スターティングメンバーとして出場するのは現U-15における最強の布陣。だがそれはつまり、サブメンバーである俺たち1年生4人組はベンチからのスタートであることを意味していた。
「じゃあ行ってくる」
俺は正左プロップのフィアマルの大きな背中がコートに向かうのを見届ける。
「スタメン、羨ましいねぇ」
隣に座り込んだニカウもコートに向かう選手たちを眺めながらぼそっと呟く。一見温和に見えるが、やはり出られるならスタメンとして試合に出たいというのがラガーマンという闘争心の強い生き物の性質のようだ。
試合が始まると、オークランドゼネラルハイスクールは次々と得点を重ねた。
ラグビーコースの学生がほとんどを占める我が校はそもそもの地力で勝っており、一度持ったマイボールをなかなか譲らなかった。仮に相手にボールが渡ってもタックルからのターンオーバーであっという間に奪い返し、ディフェンスの隙を突いてトライを量産する。
防戦一方になる相手チームは途切れない攻撃に疲労も蓄積し、ついラフなプレーに出て反則を取られてしまう。そこからのペナルティキックではフルバックのジェイソン・リーが大活躍し、蹴りにくいコースからであっても的確にゴールキックを成功させたのだった。
結局前半が終わった時点で俺たちはトライ3本にコンバージョンゴール2本、ペナルティゴール3本を奪ったものの、相手チームはペナルティゴール1本のみ。スコアは28-3と既に大差でリードしていた。
「後半からは1年も入れてみるか?」
ハーフタイム、ベンチに戻ってきた上級生同士が汗をぬぐいながら話し合う。
「そうだなー。じゃあニカウ、右プロップに入れー」
息切れひとつ起こさずに淡々と話すU-15キャプテンのクリストファー・モリスの指示を受けて、ベンチに座り込んでいたニカウは「はいぃ!」と飛び上がった。動きは機敏でも、どことなく力が抜けてしまいそうな声であるところが彼らしい。
「フィアマルはまだ頑張れるなー? 今お前が抜けたらフロントローをまとめるリーダーがいなくなるんだー」
キャプテンがベンチでがぶがぶとドリンクを飲んでいた左プロップのフィアマルにちらりと視線を送る。
「おう、任せとけ」
彼はドリンクを口から離し、ぽんと自分の胸を叩いて答えた。その姿からはまるでボスゴリラのような威厳が漂っていた。
後半、芝の上に向かうニカウを見送った俺たちアジアン3人組はベンチに座りながら、そろいもそろって前半以上にぐいっと前へと身を乗り出していた。
「はは、ニカウに先越されちゃったね」
和久田君が苦笑いを浮かべる。だがその顔には「悔しい」という文字が濃く浮かんでいた。
「だよなぁ、俺も準備万端なのに」
キムもカツカツと靴を鳴らしていた。身体の大きさとタックルの鋭さならひとつ年上のフランカーにも負けていないのに、なぜ交代が回ってこないのかと不満な様子だった。
後半もオークランドゼネラルハイスクール優勢の一方的な展開が続き、前半に続いてトライとペナルティゴールを重ねた。
ついに試合時間残り10分、両校の得点は48-3と俺たちの勝利は確実だった。
その頃にはフォワードの選手たちもさすがに疲労がたまってきたのか全員息を切らしており、中には目頭を強く押さえたり立ち止まっては膝に両手を当てて身体を折り曲げる者などかなり消耗した様子が見て取れるようになった。
相手ゴールライン付近での相手チームのノックオンで試合が中断された時のことだった。キャプテンのクリストファーがレフェリーに近付き、ごにょごにょと話しかけたのだ。
しばらくしてレフェリーが「OK」のサインを出すと、クリストファーはベンチの方を向いた。
「太一、フィアマルと交代だ」
クリストファーの大声に、俺はぱあっと大きく目を開け、思わず「はい!」と嬉しさを抑えきれずに立ち上がった。
待ちわびたぞこの瞬間を。ラグビーをきっかけにやり直した人生、俺は日本を飛び出してついに本場ニュージーランドの公式戦に出場するまでに至った。
今日は俺にとっての記念すべき日だ。
「キム、和久田、お前たちも入れ」
続けて呼ばれたふたりも「はい!」と声をそろえてベンチから立つ。
ここまで差が付いた今なら多少戦力を落としても勝てると見込んだのだろう、経験を積ませるために1年生が続々と投入される。
「太一、気楽にな」
息をするたび大きく肩を上下させていた巨漢のフィアマルがベンチに戻り、俺の肩を叩く。ニュージーランドに来て初めての公式戦は、試合終盤での途中交代というスタートになった。
「みんな、いくぞ!」
アジアン3人組が同時にコートに入る。
牛の尻尾になるくらいなら、鶏の頭になりなさいという言葉がある。大きな集団で目立たない存在になるよりも、小さな集団のトップの方が良いという意味で、それは決して間違ったことではないだろう。
だが俺が目指すのは牛ではなく、巨大なマッコウクジラの頭だ。ここで頭を取れないのではそこまで上がることはできない。
今は牛の尻尾のような俺でも、ここから牛の頭になってさらに上のレベルを目指す。そのための大いなる第一歩だ。
さて、試合は俺たちボールでのスクラムで再開される。
「和久田君、しっかりね」
「小森君もね、頼んだよ!」
左プロップに入った俺は、密集の左側でボールを持ったスクラムハーフの和久田君と声を交わす。彼はこれからこのスクラムで形成された両軍のトンネルの中に、ボールを投入するのだ。
「クラウチ、バインド……セット!」
レフェリーの掛け声とともに、俺たちはスクラムを組んだ。
もう試合も終わりかけてお互いにかなり消耗しているはずなのに、U-14とは比べ物にならない力強いプレッシャーだった。気を抜けばあっという間に相手に押し込まれてしまいそうなほどだ。
ついに俺の左側から、和久田君がボールを転がし入れる。
フッカーの選手は芝の上を転がってきた楕円球を足に引っ掛けると、踵を使って後方へと蹴り送った。ちなみにこのボールの投入に関してもまっすぐ投げ入れなければならないというのがラグビーのルールだ。ラインアウトにしろスクラムにしろ、たとえ反則からのプレーでも可能な限りフェアを貫くのはさすがと言える。
さて、フッカーがボールを後ろに送っている間に和久田君は密集の後方へと回り込む。相手スクラムもそれを追い、プレー再開と同時にパスを妨害する準備を整えた。
フッカー、ロックと後ろに送られたボールが、とうとうナンバーエイトのクリストファー・モリスまで、回される。彼は足にボールをひっかけてキープし、その背後に立った和久田君は周囲を見回して、次にどこにパスを送るべきかを確認していた。
そしてついにクリストファーの保持していたボールを拾い上げた和久田君。彼は敵スクラムハーフが迫るより先に、素早く後方へとパスを送った。
キャッチしたのは味方スタンドオフだ。彼は他のバックスにはボールを回さず、自分でボールを抱えたまま走り出す。ほぼ同じタイミングでスクラムがわっと散解し、一塊になっていたフォワードもスタンドオフをサポートするように並走した。
だっとコートを駆け上るスタンドオフだが、すかさず敵選手がタックルを加えてきたので倒される。相手はボールを奪わんと大きく腕を広げ、地面に伏せたスタンドオフに襲いかかった。
「させるか!」
そこに勢いよく突っ込んでいったのはタックル自慢であるフランカーのキムだった。
彼の鋼のような肉体に相手選手はぶっとばされ、俺たちはボールを守り切ることができた。駆けつけた和久田君がボールを拾い上げると、地面すれすれの低姿勢のパスでボールを斜め後ろに送る。
受け止めたのはフォワードの花形、ナンバーエイトのクリストファーだ。
「フォワード、歯ぁ食いしばれよー」
こんな場面でも相変わらずの一本調子でしゃべるクリストファー。だが彼が何を考えているのか察したプロップコンビの俺とニカウは、「は、はい!」とごくんと唾を呑み込んで舌を口の奥まで引っ込めた。
クリストファーは相手守備ラインに真正面から突っ込んでいった。当然敵選手のタックルを一身に浴びるが、強靱な肉体の彼はふたりから飛びかかられてもなおボールを守ったまま立っていた。
すぐに俺とニカウのプロップが加勢し、立ったままの密集であるモールが形成される。
他のフォワード選手も混ざったモール勝負は俺たちの圧勝だった。一塊になったまま俺たちはぐいぐいと相手選手を押し込みながら前進する。最後には回ってきたボールを最後尾でキープしていた和久田君が素早く密集から飛び出し、そのまま身体を投げ出してトライを決めたのだった。
「よし、追加点だ!」
ベンチから離れて見守っていた他の年代の選手たちからわっと歓声が上がる。ジェイソンのコンバージョンキックも余裕で決まり、俺たちのスコアは51点になった。
その後も敵に得点は許さず、ついに試合が終わる。途中出場で格下相手とはいえ、自分のプレーが得点につながったことは大きな収穫だろう。
「どうだ、勝つってのは気持ちイイだろ?」
コートからベンチに帰る途中、フルバックのジェイソンが俺をなじる。キック担当の彼は今日だけでコンバージョンキック5本、ペナルティゴール5本の合計25点を稼いでおり、ダントツの得点王に輝いている。
「ジェイソンの活躍のおかげだよ」
「いいやー、最後のトライはあんな無茶なモールに付き合ってくれたプロップのおかげだぞー」
横から声をかけてきたのはU-15キャプテンのクリストファー・モリスだった。いつもは眉一つ動かさない彼も、今の時間は達成感からか微笑んでいるように見えた。
「これは1年生も十分戦えそうだなー」




