第十四章その4 同い年の強敵
その後、俺たちは19-7でこの試合を制した。公式戦ではないものの、NZに来て初の試合らしい試合に勝てたことは、十分に誇れる結果と言っていいだろう。
「でかしたぞお前ら!」
コートから戻ってくる俺たちを上級生が拍手で迎える。
長身キャプテンのローレンスも開幕白星を掴んだ1年生に賛辞を贈る。
「いやあ本当よくやったよ。最近はセントラルチャーチ校の方に有望な新入生が流れていきがちだったんで不安だったんだが、お前たちがいるなら安心だな」
そう言ってローレンスは下級生をぐるりと見回していたが、最後にこちらへじろっと目を向けてきたので、俺はつい身構えてしまった。
「特にアジアン3人組とニカウは息がピッタリだったな。お前らこっそり4人で打ち合わせでもしてたんじゃねえのか?」
「ええ、まあ」
今指名された4人は互いに目配せをして、小さく頷いて答えた。
「はっはっは、そんなの怒るわけねえだろ。互いに強くなるための仲間を作ったのはお前たちだ、仲良し同士切磋琢磨するのが一番だよ」
何か説教されるのかと思ったが、そうではないようでほっとする。
キャプテンの指摘した通り、俺たちは休日も頻繁に集まって練習をしていた。今日の試合ではそこで繰り返したパス回しと連携が活かされたのが大きい。
もちろんアイリーンが心配したように無理はし過ぎないよう時間も決め、時にはみんなでファーストフードを食べに行ったり、ニカウの家でボードゲームをして遊んだりもした。
そんな風にしてコンディションを整えることができた俺たちだったが、試合に勝利した安心感のためか芝の上に座り込んだ途端、筋肉が鉛になってしまったかのように重くなり、どっと疲れが押し寄せる。
プレーの質が上がるということはそれだけ消耗も激しくなるということ。プレー時間も30分ハーフまで伸びている。小学校時代は1日で2試合戦うこともできたが、今は試合ごとに休息日を設けないととてもでないがいつか筋肉がイカレる。
「しんど……俺、寝てもいい?」
「ダメだよ、まだみんなの試合も見てないとぉ」
同じラグビー部員の出る試合は今日一日をかけて行われる。途中で寝てしまうなんて言語道断だ。
頑張って目を開けるニカウだが、すでにその丸い頭はうつらうつらと船をこぎ始めていた。俺自身も重い瞼を必死でこじ開けて眠気に耐える。
そしていよいよ、ひとつ上のU-15世代の試合の時間になった。
「あ、エリオットがいる!」
コートの上に並んだ選手を目にした瞬間、あんなに睡魔と戦っていたニカウが目玉を飛び出させんばかりに驚いた。傍目から見ても一瞬で眠気も吹き飛んだようだった。
「エリオット? どの選手のこと?」
4人組で唯一居眠りとは無縁であった和久田君が首を傾げると、すぐにニカウは「14番、ウイングだよ」とコートを指差した。
「名前はエリオット・パルマー。今年入学した僕らと同い年なんだけど、僕らの世代じゃちょっとした有名人だよ」
「有名って、どうして?」
「どうしてって、そりゃすごく強いから」
単純にして究極の理由だな、そりゃ。
やがてボールが蹴り上げられ、試合がスタートする。
そして開始からわずか1分も経たない内に、俺もキムもついさっきまであんなに眠気に襲われていたことなどすっかり忘れて、試合に釘付けにされてしまった。それこそ瞬きする暇さえ惜しいくらいに。
エリオット・パルマー少年はラグビー選手としては細身で背も高いとは言えないが、とにかく芝の上を自由自在に走り回っていた。
恐るべき加速から生まれる全速力でいかなる相手をも振り切るスプリント。相手が立ち塞がればフェイントを交えたステップで、何事も無かったように通り抜けてしまったのは驚愕の一言。
例えるなら馬原君と秦君を足してそのまま割らないような選手だ。追い付けないし、仮に飛びかかっても逃げられてしまう。
「エリオットのすごいところはとにかく誰もつかまえられないところなんだぁ。100メートルを11秒台で走る上に、ステップがめちゃ上手いんだよぉ」
ニカウが横から説明を加えるが、まさにその通りエリオットという選手はオークランドゼネラルハイスクールの守備をたったひとりで崩してしまうのだった。
「同い年であんな子がいるなんて、世界は広いなぁ」
さすがラグビー王国ニュージーランドと感心するも、一方で俺の胸の中では小さな炎がめらめらと燃え始めていた。
このエリオットを止められるようになれば、それはすなわちニュージーランドでも勝てるということだ。そうなればわざわざ日本から留学してきた値打ちがあるというもの、世界のレベルに一気に近付く。
彼と試合して勝つ。それこそが俺にとって目の前のクリアすべき課題だ。
そう俺が決意を固めている最中も試合は進み、結局エリオットに4トライを奪われながらもこちらは思うようにプレーをさせてもらえずU-15年代は完封で敗れてしまったのだった。
「うーん、U-15はどうも力不足だなぁ」
キャプテンのローレンスは頭を抱えつつも、試合を終えて戻ってきた選手たちを「よくやった」とねぎらった。
その後も年代別、体重制限ありと複数の組で試合を行うも、勝てたのは俺たち最年少チームだけだった。
そして最後の学校代表による最強チーム対決。
我が校の誇る未来のニュージーランド代表ハミッシュ・マクラーセンの殺人タックルを始めとした多数の高校生離れしたプレーにより、俺たちは28-5という大差で余裕の勝利を収めてしまったのだった。その試合運びは圧巻の一言。まさにプロ選手同士のようなハイレベルな戦いであったが、マクラーセンの超人的な活躍により雌雄が決したと言える。
結局このプレシーズンマッチで勝てたのは、俺たちU-14年代と学校代表の2チームのみ。
最強編成で勝てたのは結果オーライだが、下の世代がしっかりと育成できるか不安の残る結果となった。キャプテンもせっかく自分の試合には勝ったというのに、始終渋い表情を浮かべたまま解散してしまった。
翌日曜日の早朝、俺は朝もやかかる住宅街をせっせとジョギングしていた。
もし俺がU-15に選ばれたなら、エリオットとの対戦は避けられない。あの動きを止められるくらいまで強くならなくては!
だが彼ほどの選手と渡り合うためには、身体の大きさだけでは足りない。相手も自分より身体の大きい選手と戦うことになった時の対策くらいは講じているはずで、それを出し抜くための何かしらの武器が必要だ。
昔のラグビー観ではメンバーの役割はポジションによって完全に分けられていた。フォワードはフォワード、バックスはバックスに専念するのが良いという風潮が強かったのだ。極端な例ではプロップならスクラムにさえ勝てれば良いので、一度もボールに触れることなく終わる試合も見られたそうだ。
しかし近年はそのような固定観念にとらわれず、状況に応じて様々な役割をこなせる選手が求められている。例えば同じプロップでもスクラムができるのはもちろん、パスやランに参加する必要があるのだ。
特に世界レベルを目指すならここらへんはできて当然のこと。これまで体格というアドバンテージに胡坐をかいてきた俺も、ここらで他の誰にも負けない技術を何かしら身に着ける必要がある。
しかしこの身体でスクラムハーフのような持久力を期待されるのはさすがに酷だ。そうなるとパスの素早さを高めていくのが妥当なところか……。
あれこれと考えながら、近所の大きな公園の敷地を通り抜けている時のことだった。
どこかからポーン、ポーンと何かが弾むような音が聞こえ、俺はぴたりと足を止めてしまった。ラグビーが身体にしみついている俺には、それがラグビーボールを蹴る音であることがわかったのだ。
そして花に誘われる虫のように、つい音のする方へと向かってしまう。そこで俺は信じられない光景を目にしてしまったのだった。
昼間なら子供がボール遊びをしたり愛犬家が犬を走らせたりしている芝の上。本来人のいるはずのないこの朝の早く、既に来ている誰かは手に持った楕円球を地面に落とし、直後大きく蹴り上げるという行為を繰り返していた。
ドロップゴールだ。ラグビーのプレーでドロップゴールを狙うための一発逆転のプレー。だが一度地面をバウンドしたボールを正確に蹴るという高難度のプレーでもあり、使いこなせる者はプロでもなかなかいない。
だがこの人物の蹴り上げたボールは、すべて50メートル近く離れてそびえる一本の大木の幹にごつんとぶつかり、しかもそれを何度も何度も連続して決めているのだ。
そしてこんな人間離れしたプレーを成功させているのこそ、我が校のハミッシュ・マクラーセンだったのだ。
やがてハミッシュは手元のボールをすべて蹴り尽くし、ふうと首を2、3度横に振るとすたすたと歩き出す。ボールを回収しに向かうのだろう。
「あ、あの!」
そんな彼の背中から、俺はつい声をかけていた。特に今の場面で訊きたいことがあったわけでもないが、無性に話しかけたくなってしまったのだ。
「お前、たしか1年の……太一とか言ったな」
振り返ったハミッシュはなぜこんな所に、と言いたげに瞬きする。思えば彼とこうやって言葉を交わすのは初めてのことだ。
「いえ、ジョギングしていたらハミッシュの姿が見えたもので」
俺は正直に答える。ハミッシュはしばし怪訝な目で俺を見たものの、やがてふふっと表情を崩した。
「そうか。せっかくだし練習付き合えよ」




