第十四章その3 初の対外試合
ラグビー部の活動は週に2回ほどだ。日本の部活動のように毎日朝から夕方まで練習、というのはこちらではまず見られない光景らしい。
そんなある土曜日の夕方。アイリーンが庭に出ていた俺を呼んだ。
「太一、もう夕食よ……まだ練習してたの?」
「うん、身体動かしてないと落ち着かなくて」
へとへとになった俺は苦笑いを浮かべて家の中に戻る。
週2回の練習では他は満足しても自分は納得いかない。俺は練習の無い日や半日で終わった時は決まって近所をジョギングしたり、公園で和久田君らとランパスの練習をしていた。帰宅後もホームステイ先の広い庭を活用して走り込みを続けるなど、常にラグビーのことを第一に考えていた。
庭の芝が傷むからやめてくれと言われるかもと思ったが、ホストファーザーのオスカーさんは何も言わないので甘えさせてもらっている。
朝も早くから起きて住宅街をジョギングするのが日課だ。今の時期ニュージーランドは乾燥しているので夏でも朝は涼しく、不快な汗もかかないので大変助かる。
「毎日毎日、ホントよく飽きないわねぇ。試合って言ってもあと1か月あるんでしょ?」
「ラグビーするためにここに来たんだから。結果はちゃんと出さないと」
たかが1月、されど1月。時間は少しも無駄にできない。将来のオールブラックスのハミッシュのように、なんとしても上の年代に選出されなくては。
夕食を終えた俺はしばらく腹を休ませ、リビングでテレビを見ながらダンベルを上げ下げしていた。筋トレも身体づくりの上で欠かせない項目だ、ゆっくりじっくり、上げ下げを繰り返す。
そんな俺の隣でアイリーンはソファに座っていっしょにテレビを見ていた。だが突如、彼女は立ち上がるとそのままリビングから出て行ってしまい、しばらくして何か箱を抱えて戻ってきたのだった。
「太一、これしましょ」
そう言いながら机の上にどんと箱を置く。そこから取り出したのは、すごろくのようなボードゲームだった。
「え、ゲーム?」
「そう、いっしょに遊ぶわよ」
「アイリーン、俺、試合のためにトレーニングしたいんだけど……」
正直遊んでいられる余裕はない。
「太一、よく聞いて」
しかし彼女は俺の言葉を強い語調で遮った。
「私ね、勤勉ってのはすごい美徳だと思う。一つの目標に向かって全力を出せるってなかなかできないことだし、それを誰に言われずともできる太一を尊敬するわ」
そこまで言って、アイリーンは俺を向き直した。なにも言い返せないまっすぐに鋭い視線だった。
「でもね、一番大切な試合に最高のパフォーマンスを合わせられないと、いくら努力しても勝てないものは勝てないと思うの。太一が誰よりも頑張っているのは私が保証する。来たときより身体も強くなっているわ。だからたまにはね、自分をいたわって心身ともにリフレッシュすることも必要よ」
アイリーンはなおもまっすぐに俺を見つめ続けた。彼女の優しい言葉は、どんな叱咤や称賛にもなし得ない強さがこもっていた。
「そうだね」
俺は折れてしまった。ダンベルを降ろし、ソファに座り直して机に広げられたボードゲームに向かう。
「そうでしょ。でね、このゲームのルールは……」
俺はルールを聞いてふんふんと頷いた。日本では見たことの無い、初めて知るゲームだ。
ちなみにアイリーンはこのゲームがド下手で、初心者の俺にぼろ負けした上に「もう1回!」と3回もやり直しをさせられたのはまた別のお話。
アイリーンの心遣いのおかげで万全の調子を保ったまま、俺は4月最初の週末でニュージーランドに来て初めての対外試合に挑んだ。会場は我が校のラグビー場だが、コートの外には卒業生や父兄も観戦に来ていた。
ちなみにアイリーンは自分の所属するネットボール部の練習試合があるので、そちらに参加している。
「これは公式記録には残らないからな、勝ち負けは気にせず気楽にいけよ」
上級生は俺たちの背中をばんばんと叩く。
だがプレーヤーは本気だ。試合に出るなら勝ちにこだわりたいのがラガーマンの本能だ。
今日の対戦相手は同じオークランド市内のセントラルチャーチカレッジだ。
その名の通りカトリック系の歴史ある男子校で、地元のエリート層が通う学校として名が知られている。小規模ながらオークランド地区でもラグビー強豪校の一角を占めており、昨年の大会ではオークランド代表として全国大会にも出場したそうだ。
試合は俺たちU-14だけでなく、すべてのカテゴリーで行われる。ゆえに両校いくつの白星を挙げられたかを競う団体戦の要素も含んでいるのがおもしろいところだ。
だがやはり一番の見物は校内最強チームによる学校代表同士の一戦だろう。
強豪同士の試合ということもあって、公式記録にも残らない練習試合だというのに地元新聞社の記者も観戦に来ていた。本大会の始まる前に、期待の選手の調子を見定めるには絶好の機会なのだろう。
最初の試合は俺たちだ。両校の選手が握手を交わし、俺たちのキックオフで試合が開始される。
「いくぞ!」
立ち上がりの速攻を狙ってか、ボールを受け取った相手プロップはすぐさまウイングにパスを回す。
そしてキャッチするなり凄まじい勢いで芝を駆け抜ける相手ウイング。そのスプリントは日本の全国大会で戦った選手たちを超えていた。
「させるか!」
だが猛スピードで突っ込んでくる相手選手にタックルを食らわせ、いとも簡単に止めてしまう人物がひとり。
フランカーのキムだった。アジア系とは思えない強い身体の持ち主である彼は、タックルひとつが必殺の凶器になる。
相手を倒したキムは、すぐさまボールを奪わんと手をかける。だが相手も必死だ、渡すまいとしっかりとボールを抱え込んでしまっている。
しかしこれは明確な反則だ。
「ノットリリースザボール!」
レフェリーの声にキムがガッツポーズを作り、俺たちもジャッカル成功に拍手を贈る。
相手は確かに強い。だが、俺たちなら勝てない相手ではない。
その後、ペナルティーキックで敵陣側タッチラインの外までボールが蹴り出され、俺たちボールのラインアウトで試合が再開される。
フッカーがボールを持ってタッチラインの外に立ち、そこからまっすぐ俺たちと相手が2列に分かれて投げ入れられたボールを奪い合う。この際、ボールはまっすぐに投げ入れなければ反則となるのがフェアプレーを第一とするラグビーらしいところだろう。
このラインアウトは最も練習してきたプレーだ。小学校の頃は禁止されていたリフトも解禁され、ボールの争奪がより激しくなる。
特にニュージーランドは日本よりも大柄な選手が多く、ボールをジャンプして奪うロックのポジションは子どもたちが最も憧れるポジションと言われている。
そんな高身長のロックを持ち上げてサポートをするのが、怪力の多いプロップの仕事だ。
フッカーが楕円球をまっすぐに投げ入れる。すぐさま俺とニカウのデブ二人組は身長180cm超のロックの選手を、まるでチアリーディングのようにふたりがかりで持ち上げた。
目線の高さは3メートルに迫るのではなかろうか。ロックは高く飛び上がったボールをしっかりと受け止めた。
「ナイスキャッチ!」
ラインの後方に立って言う和久田君に、リフトされたままのロックはその状態で流れるようにパスを送る。
和久田君は高くから落ちてきたボールを丁寧にキャッチすると、離れた位置に立っていたスタンドオフまで素早くパスを送った。
そしてスタンドオフ、センター、ウイングと連動したパスがつながり、ラインアウトで薄くなった敵の守備をウイングがすり抜ける。
そして最後には相手選手を置き去りにして、余裕のトライを奪ったのだった。
「いいぞお前ら!」
観戦していた上級生やOBも称賛の声をあげる。地元のライバル相手に開始早々先取できたことは、この試合だけでなく後のゲームにも良い流れを生み出す。
コート上の選手は誰もがそのことをわかっているようで、さらなる追加点のため改めて気合いを入れ直した。




