第十四章その2 俺より全然すげーヤツ
「太一、なんか嬉しそうだな」
部活の準備中にキムに話しかけられ、俺は「そうか?」と首をひねった。まあ昨夜ものすごく嬉しいことがあったのは事実なので、顔に出てしまったのかもな。
昨夜、ホストファミリーに許可をもらい、南さんに夏休み期間中にニュージーランドまで遊びに来ないかと誘ってみたところ、なんとその日の内にOKの返事をもらったのだ。
南さんのフットワークの軽さもすごいが、娘のお願いをすんなり聞き入れてしまう親もすごいな。
詳しい日取りなどは改めて決めるが、とにかく8月が楽しみで仕方がない。考えるだけでモチベーションが高まる。
さて、今日のラグビー部の活動はプレシーズンマッチを見越したミニゲームだ。他の年代チームが戦う様子も、間近で見ることができる。
学校代表チームのメンバーは17歳以上の高校生世代が大半だが、そのプレーレベルは日本の大学生にも匹敵する。もしかしたらプロチームとも互角の試合ができるかもしれない。
コートの外に座り込み、上級生の試合を観戦する下級生。
「早く上のチームに上がりたいね」
「ああ、でもそう簡単にはいかないだろ。ほら、あれ見ろよ」
呟く俺の隣で、キムがくいっと顎で指した。ちょうどコートでは俺たちよりひとつ上のU―15世代がミニゲームを行っている。
たった1年の差のはずなのに、プレーの質はまるで違う。パス回しのスピードに正確さ、タックルの鋭さに駆け上がるスピード。それらすべてが俺たちの世代を上回っている。
そして成長期の男子ばかりが集まっているためか、選手の体格も下の世代とはまるで違う。例えばプロップの体重もU-14では俺が110キロでニカウが115キロといったところだが、U-15では最も重い選手は118キロ、U-16では125キロ、そして学校代表チームとなれば130キロとどんどん重くなっているのだ。
もちろん体重ばかりがプロップのすべてではないが、プレーの質で覆せない限り体重は重要な指標になる。当然それは他のポジションも同じで、一般的に上のチームほど体格が良い。
しかし学校代表チームがコートに並んだ時のことだった。俺は自分の目を疑い、目をこすって二度三度とコートを凝視した。
学校代表チームとなると本校最強の屈強なメンバーがずらりと顔を揃えている。
そんな中でナンバーエイトのポジションの選手だけが、他の選手たちと比べて明らかに小さいのだ。身長も175cmくらいで、新入生のキムの方が大きいとさえ思えるほどだ。
小柄でも活躍できるスクラムハーフかと思ったが、彼の背番号は8なので違うようだ。
しかしミニゲームが始まるや否や、俺はその選手が学校代表に選ばれているのを即座に納得させられた。
試合中、その選手はとにかく凄かった。凄すぎて、凄いという感想以外思い浮かばない。
自分よりも体格の上の選手にタックルを仕掛けてボールを奪い、相手ウイングの全速力にもそれを上回るダッシュで追い付いてトライを防ぐ。他の選手もプロ顔負けの実力者であるはずなののに、誰も彼を止めることができない。
「すごいね、あのナンバーエイト」
「ああ、ハミッシュ・マクラーセンのことねぇ」
唖然とする俺に、いっしょに観戦していたヨコヅナことニカウが解説を加える。
マクラーセン? 名前からしてスコットランド系かな?
「ハミッシュはまだ3年生で15歳だけど、本当すごいよぉ。何年も前からすごい選手がいるぞって話題になっていて、オークランドゼネラルハイスクールに入った時にはニュースにもなったくらいだよぉ」
ニカウがでっぷりとした腰に手を当て、えへんと胸を張る。彼の存在はキーウィ(ニュージーランド人)にとっての誇りなのだろう。
ナンバーエイトはフォワードの花形とも呼べるポジションだ。スクラムでは最後尾についてフッカーから送られてきたボールをスクラムハーフに渡したり、自分で拾い上げて攻撃をしかけたりといった役割を担う。
だがフランカーにもバックスにも近い位置にいるため、タックルにキックにスプリントにと状況に応じて様々な役割をこなす必要があり、ハードワークが求められる。
そのために体格が良く、基本的な運動能力がチームで最も優れた選手がナンバーエイトを務めることが多い。日本代表でもずば抜けたフィジカルの持ち主であるアマナキ・レレィ・マフィ選手がナンバーエイトを任されていたのは有名だろう。
ラインアウトでもハミッシュのプレーは際立っていた。なんと200cm超の長身キャプテン、ローレンス・リドリーをプロップの選手とともに支えて持ち上げ、投げ入れられたボールを奪ってみせたのだ。キャプテンの体重は軽く100kgを超えているだろうに、それをふたりがかりとはいえ素早く持ち上げてすぐにプレー再開するとは、見た目以上のパワーの持ち主のようだ。
さらに体重130kgはあろう選手からタックルを受けても、倒されながらのオフロードパスで味方へとボールをつないでしまった。
「すごい!」
すべてにおいて規格外のプレーを披露するハミッシュを見ていると、本当にそれ以外の言葉が出てこない。そして感想を述べた直後、俺はついに思い出してしまった。
マクラーセンというどこかで聞き覚えのある名前、それこそニュージーランド代表オールブラックスの誇る最強の切り札だった。
前の人生では熱心にラグビーを視聴していたわけではないが、それでも日本代表の有名選手と、世界的なスーパースターの名前くらいは把握している。
ハミッシュ・マクラーセンは俺より少し年上で、10代の頃からニュージーランド代表に選出されていたのをうっすらと覚えている。6か国対抗では日本代表を毎回圧倒し、俺が事故死する直前のワールドカップ2035年大会でも、決勝トーナメントで強豪アイルランドからハットトリックを奪っていた。
ただその頃にはテレビの映像でもわかるくらいに身体が大きくなり、身長も195cmくらいにまで上がっていたはずだ。だから最初に名前を聞いても、あの世界的プレイヤーと同じ人物だとはにわかには信じられなかった。
今の段階でも学生のレベルを超えているのに、ここからさらに成長するなんて、最早他の選手は手が付けられないレベルじゃないか。
俺は今まで石井君や秦君といった将来の日本代表とも出会ってきたが、知名度、プレーの質ともに彼らをはるかに凌駕する世界のスター選手だ。おそらくはマイケル・ジョーダンやディエゴ・マラドーナと同様、ラグビーという競技を越えて世界のスポーツ史に残るほどの人物だろう。
「まさかこんなところでお目にかかれるなんて」
俺はつい日本語で呟いてしまっていた。こんな異次元のプレーヤーがすぐ近くにいるなんて、ラグビーに励むひとりとしてこれより嬉しいということはない。
そうこうしている内に、最年少のマクラーセンはこのミニゲームで3つ目のトライを奪ってしまったのだった。
さて、いよいよ俺たちのミニゲームだ。
ハミッシュのプレーを見て改めて気合いを入れ直した俺は、タックルにランにと全力を注ぐ。それは他の選手も同じようで、入部テストのときの急ごしらえのチームとは違い、全員の呼吸も合っていた。
そして流れの中で相手ボールのスクラムを組む場面になった時だった。俺、キム、ニカウらフォワードが低く腰を落とし、ボールを奪わんとすうと息を吸い込む。
「セット!」
レフェリーの掛け声と同時に、8人が一丸となって敵のスクラムを押す。だが相手も俺たちと同等の力の持ち主、パワーは拮抗してピタリと静止してしまう。
「左プロップ、もっと力入れて!」
スクラムハーフ和久田君の声が聞こえる。スクラムに加わらない彼は16人が組み合う様子を間近で見守り、フォワードに指示を出しているのだ。
そしてここで言う左プロップとは俺のこと。
くそ、負けてられっか!
俺は曲がりかけた両脚をピンと突っ張り、無理矢理に身体を押し込んだ。そのパワーに押し負けたのか、相手右プロップが一歩後退し、そこを起点に他の選手たちも次々とバランスを崩していく。
そこからはあっという間だった。俺たちは同じ年代の敵チームの選手たちを次々と蹴散らし、相手スクラムを崩したのだった。
すぐに相手チームにはスクラムを故意に崩したとしてコラプシングの反則が言い渡され、俺たちは「ナイススクラム!」と抱き合って仲間を讃え合った。
ここからは俺たちのペナルティキックで再開される。うん、今日もイイ感じだ。




