第十二章その2 ブチ切れました
試合が再開され、しばし激しいボールの争奪戦が繰り広げられる。そんな流れの中で伏見桃山の選手がボールをつかんだ時のことだった。
隣の秦君がさっと手を伸ばし、吠えるようにまくし立てたのだ。
「寄越せ! 俺がトライまで持っていく!」
大きく開いた瞳孔を向ける秦君に、仲間の選手は「え、でも……」とためらう。
「寄越せ!」
だが今にも噛みついてきそうな秦君の気迫に、選手は持っていたボールを仕方ないとばかりに回した。
キャッチしたボールを抱えた秦君は、姿勢を低くして金沢の守備ラインに正面から突っ込んできた。
正面で相対するのは俺だ。体重に倍近い差があるにもかかわらず、秦君は恐れを知らぬ猛獣のごとく突き進む。
相手が来るならば迎え撃つのみ。フェイントも見越した俺は大きく腕を広げ、彼をバインドすべくタックルを仕掛けた。
だが俺の腕が触れる直前、秦君はまるで急ブレーキでもかけたように減速した。タックルのタイミングを完全に外された俺は指先を彼のジャージにかすらせ、前から地面に倒れ込んでしまった。
見事なまでの空振り。即座に秦君は俺の背中を跳び越えて、金沢のゴールラインへとひた走る。急いで俺が立ち上がった頃には、すでに彼とは追い付けない距離が開いてしまっていた。
さっきよりも動きのキレがはるかに増している。頭に血が上ってスイッチが入ってしまったのだろうか?
「小森!」
「任せろ!」
今度はチアゴと串田君がとびかかる。だがいずれのタックルも、秦君はまるで闘牛士のごとく間一髪でかわしてしまった。
「させるか!」
ついに最後の砦であるフルバック西川君もとびかかるが、秦君はそれさえも数秒先の動きを予見していたかのごとく、鮮やかなステップで避けてしまったのだった。
そして最後には多くの選手に追いかけられながらもゴールラインを越え、余裕の表情で地面にボールを置いた。
「トライ!」
無情にも審判の声がスタジアムに響き渡る。金沢は前半の内に同点に追い付かれてしまったのだった。
まさかひとりで4人のタックルをかわしてしまうなんて。こんな選手、今まで見たことが無い。
「くそ、また取られた!」
芝に倒れ込んだ金沢のメンバーが悔しがって地面を叩く。
後半、またしても俺たちの守備を切り抜けた秦君に2つ目のトライを奪われ、俺たちは伏見桃山スクールに逆転を許してしまった。
秦君の勢いは止まるところを知らなかった。ボールを持てば驚異的な反射神経によるステップで、金沢のタックルをすべてかわしてしまう。
俺たちは彼までボールを回させないように食い止めるので精一杯だった。
「ボール、全部秦君に回してるね」
息を切らしながら俺が言うと、小柄な安藤が俺の隣でそっと返した。
「他にパスするより、秦君の突破力に任せた方が確実なんだろうね。実際もう2本トライを取っているんだから」
俺は無言で頷いた。たしかに、秦君のステップは厄介過ぎる。さっきハットトリックしてやると言っていたのも、このままだと現実になってしまう。
「でもあんなのがいつまでも続くわけじゃない。秦君ももうへとへとだと思うよ」
最後に安藤がぼそっと付け加える。どうやら俺と同じことを考えていたようだ。
ラグビーはひとりでプレーするスポーツではない。大人の15人制ルールと比べて試合時間は半分とはいえ、走り回ればそれだけ体力を消耗する。
「みんな、聞いて!」
俺は他のメンバーを呼んだ。そして試合再開までのわずかな時間で作戦を伝えると、全員でもう一度円陣を作り気合いを入れ直したのだった。
浜崎のキックにより楕円球が敵陣に落ちる。キャッチしたフォワードは味方を引き連れて俺たちに向かってくるも、秦君はその隣に割り込むと「こっちへ!」とパスを要求した。
「任せろ、もうひとつトライ取ってくるよ」
「ああ」
フォワードの選手は迷わず秦君にパスを送る。やはり彼の能力に全面的な信頼を寄せているようだ。
だがこれこそ予想した通り。秦君がボールを受け取ると同時に、金沢の守備ラインはぎゅっと短く厚みを増し、まるで秦君ひとりを数人がかりで取り囲む形になった。
「秦、こっちに投げろ!」
守備ラインの変化に気付いた伏見桃山のメンバーが声をかける。だが秦君は仲間の声に聞く耳持たず、金沢の守備に真正面から突っ込んできたのだった。
秦君は最初にとびかかってきたチアゴを避ける。一瞬の間を置いてタックルをしかけてきた串田君も避ける。
息の合った二人の連携を、間一髪でするすると切り抜ける彼の目は、般若のごとくぎらぎらと滾っていた。
「2人がだめなら3人だ!」
そしてついに俺も突っ込んだ。フォワード3人による連続タックル、
だがそれでも秦君は右にステップを踏むと、俺の突進をするりとかわしてしまった。
しかし、まさにその瞬間のこと。
「うりゃあ!」
俺をかわして身体を右にスライドさせたところで、スタンドオフの浜崎が素早くタックルを叩き込んだのだ。
「うふぅ!」
腰を掴まれ、ぐらりと傾く秦君。だが細い身体のどこにこれだけのパワーがあるのか、踏ん張った彼は倒されなかった。
しかしその直後駆け上がってきた西川君により加えられた追撃には、さすがの秦君も耐えきれなかった。5人による連続タックル、その内最後の2つをまともに喰らい、秦君はついに倒れた。
急いで駆け戻った俺は、倒れた秦君からボールをもぎ取る。そしてドスドスと芝を踏み荒らしながら、楕円球を抱えてひたすら前へと進んだのだ。
「あいつを止めろ!」
前から他の選手がタックルを仕掛けてきたが、それを俺は踏ん張って堪える。その間にも後ろからチアゴと串田君のフォワードコンビに支えられ、俺たちはモールを形成することができた。
体格がモノを言う押し合いの勝負になったら金沢の方が有利だ。フォワードだけでなくバックスも密集に加わり、俺たちは敵をなぎ倒す勢いでモールのまま前進した。
ついに相手ゴールライン目前まで到達すると、最後尾でボールを抱えていた浜崎が少し離れた場所で待ち構えていた小柄なスクラムハーフ安藤に素早くパスを回す。安藤はその小さな身体をさらに小さく屈め、敵のタックルをかわしながら地面にボールを叩きつけた。
判定はトライ。仲間全員が加わったモールとパスによる得点だった。
「いいぞお前ら!」
「これで同点だぁ!」
密集がばらばらに解けた途端、俺たちは互いに抱き合い、喜びながら仲間を讃えた。
だがそんな俺たちの傍らで、秦君はがっくしと芝の上に膝を落とし、「そ、そんな、まさか俺が……」と顔面を蒼白にさせていたのだった。
「亮二!」
観客席から兄の進太郎が叫ぶ。
「お前、ひとりでボール持ち過ぎだ!」
その後、秦君は自慢のステップもキレを失い、戦意喪失したのかと疑うほどプレーの激しさもなりを潜めていた。しばらくして選手交代によりコートからとぼとぼと下がっていったものの、去り際は肩で息を繰り返すばかりで、体力はほとんど残されていないのが見て取れた。
逆に勢いに乗った金沢は相手守備ラインから何度もタックルを受けながらもパスと前進を繰り返し、勝ち越しのトライを奪う。
そして試合は終了した。伏見桃山が秦君によるトライ2本の得点を挙げたものの、すべて別々の選手によってトライ3本を決めた金沢スクールの勝利だった。
「すごいぞ金沢!」
「小森、このまま優勝だ!」
決勝進出が決まり、観客席からはこの日一番の大喝采が沸き起こる。俺たちは応援を送る地元の皆さんにお辞儀をして、疲れた体を引きずりながら控え室に戻っていった。
「まさか来るとこまで来ちまうなんてな。自分でも信じられないよ」
控え室に向かう途中、浜崎がにへらと表情を崩す。キャプテンとしてチームを引っ張ってきた彼は今まで想像もできないほどプレッシャーを感じていただろう。だがそれも次の試合で終わる。
「キャプテンがそんなんでどうするんだよ。ほら、まだもう1試合あるんだからな、しゃきっとしろしゃきっと」
チアゴが浜崎の背中をバシンと叩く。すぐに浜崎は「いてえよバカ」とチアゴの頭を小突き返した。
「とは言ってもしんどい試合でしたね。午後の試合に備えて、今の内にゆっくり休みましょう」
串田君がへえへえと息を荒げながら歩く。やはりモールで体力を相当持って行かれたようだ。
「それもいいけど対戦相手も気になるね。次の試合はすぐ始まるから、まずはスタンドに行こう。天王寺のプレーも見ておきたいし」
2本目のトライを決めたおかげでジャージの前側を汚した安藤が、利発な声で提案する。彼はうちのスクール全体でも学業成績ならトップクラスだ。
「次の敵が誰だろうが、俺たちは勝つ。それだけだよ」
まだ体力に余裕があるのか、息切れひとつ起こさないで西川君がバシバシと手を鳴らす。
「だよな、小森」
そして一番後ろをついてきていた俺に、振り返って話しかける。俺は「うん」と頷き返し、全員で控え室への通路を練り歩いた。
「やっぱり今年も天王寺か」
観客席の浜崎が舌打ちとともに吐き捨てた。予想通りとはいえ、嫌な相手である。
天王寺は堺に1トライも許さず、5トライを奪う大勝で試合を終えてしまった。
特に国産重戦車石井君のパワフルなプレーは昨日以上に力強さを発揮していた。まさか4人のタックルを連続で受けて振りほどいてしまうなんて、冗談でなくひとりだけ異次元のレベルにいる。
ディフェンディングチャンピオンに格の違いを見せつけられ、沸き立つ観客とは逆に黙り込んでしまう金沢スクールの選手たち。
だがそんな重苦しい空気の中、俺は「いよいよ決着か」と呟いた。
天王寺スクール、延いては俺の上位互換と言える石井君を倒す。それが俺たちが全国の頂点に立つための最後にして最大の難題だった。




