第十二章その1 ベスト4の戦い
2日目、全国大会はついに順位決定トーナメントに突入する。16のチームがグループ内の順位ごとにカップ、プレート、ボウル、シールド部門に分かれ、それぞれで優勝を目指すのだ。
俺たちが挑むのは全国優勝のかかったカップ戦だ。1日目を全勝で終えた4チームしか参加できない、ラグビーに励む日本中の小学生の頂点。
「お、小倉南が1回戦突破か」
先に行なわれている他チームの試合を観戦しながら、金沢のメンバーがぼそりと呟く。
昨夜は元気を失っていた和久田君だが、今日はすっかり快調のようだ。鋭いパスを起点にして、強力なフォワード陣で相手守備ラインをガリガリと削っていく小倉南お得意の戦法でトライを量産していた。
「小森、嬉しそうだな」
横からチアゴが声をかけるので、俺は「戦うチームは強い方がおもしろいから」と返した。
「さて、そろそろか」
立ち上がった浜崎がパンパンと手を叩くと、金沢のメンバーが一斉に立ち上がる。そしてキャプテンを先頭にぞろぞろと観客席から引っ込んでいったのだった。
向かった先は控え室。ヘッドギアを装着し、控えメンバーも含めた全員で肩を組んでひとつの円を作る。
「いいかみんな、ここからは金沢スクールが一度も進んだことのない戦いだ」
キャプテン浜崎はぐるりと全員を見回すと、皆がキャプテンと目を合わせながら頷いて返す。
「でも今の俺たちならどこまでも行ける! みんな、あれこれくだらんこと考えるな、俺たちはできるんだ!」
最早怒鳴り声にも似た浜崎の雄叫びに、俺たちは「おう!」と声をそろえて気合いを入れた。
誰もここまで来られて満足だなんて思っていなかった。目指すはただ、優勝のみ。
俺たちは入場ゲートをくぐり。芝の上に立つ。いつの間にやらこのスタジアムの景色も、すっかり見慣れてしまった気がする。
準決勝の相手は京都代表伏見桃山スクール。体格は小倉南ほど大きくはないものの、総じてバックスに素早く突破力の高い選手をそろえたチームだ。
そして最大の問題は、ピッチ上のエンターテイナー秦君をどう攻略するか。
ラグビー選手としてはそれほど体格は大きくないものの、その細い身体からは想像もできないほど足腰が強く簡単には倒されない上、素早いステップと巧みなフェイントで守備を切り抜けてしまうという厄介な選手だ。
両軍互いに向き合って試合前の挨拶に入る。やはりベスト4という大舞台、どの選手も目をぎらつかせて飛びかかりたい気分を必死で抑えているようだった。
「金沢ー! 絶対勝てよー!」
「西川、トライだトライ!」
「太一、デブの底力見せてやれ!」
金沢応援団の声がスタジアムに響く。にしてもハルキの声は本当によく通るなぁ。
「亮二! お前ならできる、優勝だ!」
お、秦君の兄の進太郎の声も聞こえるな。たしか中3の受験生のはずだけど、もう終わったのかな?
「兄さん、うるさい……」
当の弟はスタンドにちらりと目を向けて毒づくと、改めて相対した選手を向き直った。
切れ長の目と小さな鼻がバランスよく配置され、そしてラグビーなんてやっているとは思えないほど白くキメ細かい肌。首から上だけなら女の子と間違えられるかもしれないが、この彼こそ突出したセンスの持ち主なのだ。
いよいよ金沢のキックで試合が始まる。浜崎の蹴り上げたボールを相手フォワードは丁寧にキャッチすると、すぐに前へと走り出した。それに続く形で他の選手も横一列に広がりながら陣全体を進める。
そうして近付いてきたフォワードに、金沢のセンターがタックルを仕掛けようと守備ラインから前にとび出す。
「ほいよ、パス!」
目の前にタックルが迫ってきたところで、相手フォワードは隣の選手へとボールを回した。
楕円球は次の選手へ次の選手へとパスを繰り返され、ついに伏見桃山の誇るセンターバックス秦亮二の手に渡される。
秦君を真正面から迎え撃ったのはチアゴだった。体格ではるかに上回る長い腕が、走り込んでくる秦君の細い身体をとらえる。
だが秦君は目前でくいっと足の向きを変え、一瞬で直角のような方向転換を見せつけたのだ。
「消えた!?」
チアゴの腕は空を切り、思わず声を上げる。だが彼の眼にはそう見えたとしても仕方がない。秦君は既にチアゴ死角の、右隣まで移動していた。
守備ラインを突破した秦君はそのまま広い芝の上を独走せんと、足に力を込めてダッシュをかける。
「うりゃあ!」
だがチアゴのタックルとはほんの少しの時間差を生んで、5年生プロップ串田君が追撃をぶち込んだ。
まるでチアゴをかわすことを見越したようなプレー。さすがの秦君もこれには対応できず、串田君の低い位置へのタックルをもろに食らってしまった。
「亮二ー!!!」
観客席の兄が立ち上がって叫ぶ。しかし兄の悲痛な声も虚しく、弟は足を取られて芝の上に前のめりで倒れてしまったのだった。
「秦が倒された!?」
彼がまともにタックルを受けたのは珍しいようで、他の敵選手もにわかにざわついた。
だが試合は止まらない。今抜かれたばかりのチアゴは身を反転させ、倒れた秦君の抱えるボールを掴んでがっしとホールドした。倒れてプレー不能となった相手からボールを奪う、いわゆるジャッカルだ。
しかし秦君は放さなかった。ほんのわずかな時間でも、味方が駆けつけるのを信じて耐える。
とはいえ倒れたプレーヤーは速やかにボールを放さなくてはならないのがラグビーのルール。倒れた状態で抱え込めるのは後ろに回すごく短時間のみという鉄則が、このスポーツには存在するのだ。
「ノットリリースザボール!」
ついに審判のコールが上がり、チアゴがよっしゃとガッツポーズを決める。相手の反則を奪ったのだ。
その後、試合は秦君が倒れていた位置から金沢のキックで再開された。
キックコントロールに優れた西川君が渾身のキックを見せつけ、ボールを一気に逆サイドへと移動させる。それを待ち構えていたウイングがしっかりとキャッチすると、勢いそのままに走り抜けて俺たちはトライを奪ったのだった。
「よっしゃあ!」
貴重な先制トライに金沢スクールのメンバーはハイタッチで喜び合う。この試合での勝利を一気に手繰り寄せる良い得点だ。
「亮二ぃいいいいいいいい!!!!」
だがそれ以上に、つい耳を塞いでしまいたくなるような秦進太郎の絶叫に俺たちは震え上がってしまった。スタジアムの観客も審判も、全員の視線がコートの選手たちから観客席の一点に注がれてしまうほどだ。
「うるせぇな、あれ」
フルバック西川君もつい耳に手を当てて悪態をついてしまう。まさかこんな兄貴が未来の日本代表だなんて聞かされても、絶対に信じてもらえないだろうな。
「そんな、先制トライなんて……」
一方、コートの上では秦君ががっくしと膝をついていた。まだ始まったばかりだというのに、既に試合に負けたような悲壮感を漂わせている。
伏見桃山は京都府大会も含めてここまでの試合、ずっと先制トライを決めてきたと聞いている。しかもいずれのトライも、秦君からのパスでつながったボールか、もしくは秦君自身が走り抜いて決めているらしい。
きっと今、彼の中では何かが音を立てて崩れているのだ。昨日の和久田君のように強さに裏付けされた絶対的な自信が揺らぎ、精神に大きな変化をもたらしている。
「亮二、お前のステップはこんなもんじゃないだろう!」
戦意を喪失したのかと見紛う弟に、兄は大声で呼びかける。聞いて弟は俯いたまま静かに立ち上がると、「うっとうしい兄貴だな」と呟いたのだった。
「あ、これやばいかも」
途端、伏見桃山の他の選手がさっと青ざめる。近くにいた俺と串田君は事態が呑み込めず、互いに「え?」と顔を見合わせた。
「1トライくらいなんてどうってことねえ。ハットトリック、決めてやるよ!」
見た目とはかけ離れた、荒々しい口調で秦君は言い放った。そんな彼の細い体躯からは、異常なまでの威圧感が漂っていた。




