第十章その3 帰ってきたぞ!
年が明け、2023年がやってきた。
今年はワールドカップフランス大会、地球上のラグビーファン誰もが待ち望んだ年だ。
しかし1月末に関東大会セカンドステージを控えた俺たちは気が気でなかった。何せ同じグループに昨年の全国出場チームが3つも集まってしまったのだ、落ち着けと言われて落ち着けるわけがない。年末年始もラグビーのことばかり考えていたので、紅白歌合戦も箱根駅伝もまるで楽しめなかった。
そんな冬休みのある日、正月休みで生活リズムが狂ったせいか朝早く目が覚めた俺は、近くの公園でボールを使ってひとりキックの練習に励んでいた。
吐く息も白く凍てつくような寒さだが、身体を動かしているとこれくらいがちょうどよいとさえ思えてくる。
走りながら狙った方向に楕円球を転がすのを繰り返していた時のことだった。
朝のジョギングだろうか、公園の外からスタスタと走ってきた小さなシルエットにふと目を向けた俺は、その姿にぎょっと驚いた。
「あれ、安藤?」
「お、小森! 久しぶり!」
向こうもこちらに気付き手を振る。
冬の早朝ランニングに打ち込んでいたのは、金沢のスクラムハーフ安藤だった。
小柄な彼は6年でも身長140cmくらいしかない。それでもパスとランの能力を買われ、うちのスクラムハーフを務めている。
が、今は中学受験のため一時的にラグビーから離れているはずだ。
「こんな朝早くにどうしたの? 試験まだでしょ?」
「うん、来週だよ。でもラグビーも頑張りたいから、朝だけは走ってたんだ」
そう爽やかに答える安藤。
つまり毎朝? 勉強の傍らで?
俺は目の前の小さな努力家に、ただただ感心するばかりだった。
「安藤、よくやるなぁ。お前すごいよ」
「ううん、そういうんじゃないんだ」
だが安藤は首を横に振る。
「単に気持ちの問題だよ。負けた原因を自分の身体が小さいことと、受験勉強のせいにしたくはないから」
それから2週間が過ぎ、受験組もすべての日程が終了した。
「みんな、合格おめでとう!」
俺たちは西川君や安藤ら久々に帰って来たメンバーを拍手で迎えた。
幸いにもスタメン級は全員、志望校に合格できたそうだ。これで心置きなくラグビーに専念できると、本人もスクールのメンバーも安心していた。
「で、もう知っているとは思うが、次の相手には本郷も立川もいる。復帰していきなりこんな相手だけど、大丈夫だよな?」
浜崎がやや遠慮がちに、復帰組に尋ねる。こんな組み合わせになってしまって申し訳ないと、どうしようもない想いがこもっていた。
だが西川君はふんと鼻を鳴らすと、「誰が相手でも勝てばいい。試合までに万全に仕上げていくぞ」と強く言いきったのだった。
その日、久しぶりに芝の上に立つ西川君らは軽めのメニューで勘を取り戻す。
西川君も安藤も、数ヶ月のブランクが嘘と思えるほどキレのあるパスと正確なキックを見せつけた。今すぐにでも試合に出しても問題ない仕上がりだった。
「西川君、イイ感じだね」
タックル練習で汗をかいた俺は、濡れた身体をタオルで拭いながら呟いた。冷たい空気のせいで身体の表面から湯気が上がっている。
隣で聞いていた5年生プロップ串田君も「西川さん、勉強もラグビーもできるなんてすごいですね」と文武両道の先輩に憧れの視線を飛ばす。
ラグビーは元々19世紀イギリスのパブリックスクールから広まった、いわば知的階級のスポーツだ。ルールも他の球技に比べて複雑で、選手の自主性を重んじるため監督やコーチは観客席から見守ることしかできない。判定について審判と話し合うのもキャプテンの役割だ。
プレーは熱くても、頭はクールに。怪我がつきもののラグビーでは試合中、想像以上に理性をはたらかせる必要がある。そういう意味ではラグビーは文武両道を地で行くスポーツだ。
帰宅した俺は自室のベッドに寝転がると、スマートフォンをタップする。そして何もメッセージが届いていないのを確認しては落胆した。
西川君たちが受験を終えたということは、南さんも終わったということ。先日学校で聞いた限りでは、南さんも無事合格したとのこと。
その時俺は「おめでとう」と伝えたものの、南さんは作ったような笑顔で「ありがとう」と返しただけだった。受験が終わっても、どうも彼女との距離は縮まらなかった。
『あけましておめでとう! 今年もよろしく』
『あけましておめでとう。今年もラグビー頑張ってね』
年始の挨拶で終わっている会話履歴を見て、俺は「はあ」と溜め息を吐きながらスマホを枕元に置いたのだった。




