第九章その5 最強の兄弟
翌日、俺たち金沢スクールは伏見桃山ラグビースクールとの練習試合を行った。
「本日はよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
四方をネットに囲まれた練習用のグラウンドで、相手のコーチとうちのコーチが挨拶を交わして日程調節したことを感謝し合う。
伏見桃山スクールは前回の全国大会でも3位に輝いた京都の強豪だ。これで俺たちは前回大会1位の天王寺、2位の小倉南、4位の門真とここ1年間でカップ戦に進んだ4チームすべてと戦ったことになる。
少し前ならこんな強豪相手と試合を組めること自体が稀だったのに。やはり全国上位に入ったという実績は周囲の目を変えてしまうようだ。
だがフォワードのスタメンである俺とチアゴ、串田君は全員がベンチスタートだった。他の子に経験を積ませるためにも、この試合の前半は控えメンバー主体で戦う。俺たちの出番は後半からだ。
試合開始と同時に蹴り上げられたボールを、金沢のメンバーがキャッチする。対する伏見桃山はそこをめがけて走り出す。うん、教科書のような立ち上がりだ。
「伏見桃山は全国大会で小倉南に負けてるけど、すごく苦戦した相手だから。強さはほとんど変わらないよ」
つぶらな瞳でボールを追いながら、プロップの串田君が解説を加える。当時4年生で9人制の出場資格が無かった彼も、観客席で先輩たちの辛勝する様子を眺めていたのだろう。
俺たちフォワード3人組が木陰の下で並んで試合を見守っていた、まさにその時のことだった。
「ああ、もう始まってる!」
後ろから聞こえてきた野太い声に、俺たちはびくっと跳ね上がって振り向いた。
そこにいたのはネットの向こう側からしがみついて、コートにじっと目を向ける少年だった。
いや、少年と呼ぶには違和感があるほど身体が大きい。顔つきはまだ15歳くらいだが、身長は180cmほどあり、上にジャージを着込んでいても全身がっしりと筋肉の鎧をまとっているのがわかる。
一目見てこの人には勝てないと、誰もが悟ってしまうほどの威圧感があった。
「誰ですか?」
あからさまに怪しい。俺たちは3人そろって不審な男をじろっと睨みつけた。
「うーん、ただの見物客だよ」
尋ねられた大柄な少年は笑顔で返すが……こんな怪しい見物客がいるか!
とはいえ追い出すほどのことでもないので、この不審者のことはそのままにして俺たちは試合観戦に没頭した。
控え主体と言ってもそこは全国大会出場チーム同士、コートでは並みのチームの一軍同士の戦いのような白熱した試合が展開されていた。パス回しもタックルも、素早く正確なプレーが繰り返される。
「なあ、さっきから思ってたんだけど」
しかし途中、6年生フッカーのチアゴがラテン系らしいぱっちりとした目を前に向けたまま重々しく口を開いた。
「あの左センター、上手すぎね?」
チアゴの言う左センターとは伏見桃山のバックスのことだ。体躯はそこまで大きくはないが、中性的で整った顔立ちの少年だ。
やっぱりみんなそう思うよな。俺も串田君も「うん、上手すぎる」と口をそろえて頷いた。
センターというのはバックスのポジションのひとつで、スタンドオフの後方に位置する。ボールを持ってウイングにパスしたり、自分で突破を図ったり、また敵が切り込んできた際に身体をぶつけにいくなど幅広い役割を臨機応変にこなすポジションだ。またチームにふたり置かれることが多いので、左センター、右センターと呼び分けられている。
そしてさっきから試合を見ていると、相手の左センターがボールを持った途端に、金沢は守備を崩されてばかりなのだ。
なぜか彼が前に進むとラインを乱される。そしていとも簡単に突破され、トライを奪われてしまうのだ。
見た目華奢で強そうには見えないし、うちの西川君や立川の馬原君のように足が速いわけでもない。しかしそれでも、なぜか金沢の猛烈なタックルを手品のごとくあっさりすり抜けてしまう。
「なんだよあいつ……ヤバすぎだろ」
いつの間にやら俺たち3人はそろって身を乗り出し、相手センターのプレーに釘付けになっていた。
なぜ簡単に突破してしまうのか? いくら目を凝らしても、見破ることはできない。
「すごいだろ? あれ、俺の弟だよ」
ネットに貼り付いていた不審者が言い放つ。直後、俺たちは「え!?」とまたもや声をそろえて振り向いた。
いや、この少年も改めてよく見てみると、ジャージには『中書島中学校』とプリントされている。
中書島中学校って、たしか中学ラグビーで全国優勝したこともある強豪じゃないか。公立中学校の部活動でありながら、名門私立校やラグビースクールよりも強いという通称『公立の星』。
だが少年は俺たちの視線など気にもせず、コートを走る選手たちを指差して説明した。
「ほら見てみな、弟がボールを持つと敵のフォワードが惹きつけられる。だがあいつは体型はスリムだが足腰が強い、甘いタックルなら耐えてしまうし、細かいステップも踏めるからするすると抜けてしまうんだ」
男の言う通りだった。相手センターは金沢のタックルを最低限度の動きで、身をひるがえしながらかわしている。1人目を避けたら2人目、3人目と金沢の選手が追撃に人数が割かれることで、守備は徐々に薄くなっていった。
「敵はほら、弟にタックルを入れるため守備が空く。そこに味方が全力で走り込んでくるのを見て、弟がパスを送るんだ。ラグビーはコンマ1秒でも早くボールを前に進めた方が有利なスポーツ、それをメンバー全員が知っているからこそできるプレーだよ」
そして後ろから走ってきたウイングに、センターは後ろ手のパスを送る。それを受け取ったウイングは金沢のラインを容易く走り抜け、またしてもトライを奪ってしまったのだった。
なんという見事なプレー。作戦もさることながら、センターの常識離れした動体視力と回避能力があってのトライだった。
「なぜそんなこと教えてくれるんですか?」
俺は思わず尋ねた。兄弟にもかかわらず、そんな手の内を明かすような真似。この男は一体!?
男はふふんと鼻を鳴らす。そして堂々と言い切った。
「んなもん決まってるだろ、うちの弟のかわいさを知ってもらうためよ」
あ、この人絶対にヤバい人だ。途端、金沢のフォワード3人はぞわわっと寒気を感じて固まってしまった。
「うちの弟は強い上にかわいいからな、兄として将来期待をしているが同時に不安で仕方がない。だからこうやって弟のことを広めつつ見守ってやらないと……」
「こら秦! こんな所でサボってないで練習せんか!」
自分の世界に入り込んでしまったようにだらだらと垂れまくる男。だがグラウンドに面した道路の向こう側から、鬼の形相で歩いてくる中年の男の怒鳴り声を聞いて「ひえっ!」と身を震わせる。
「やっべ! 先生見つけんの早すぎるよ……じゃあな、アディオス未来の桜の戦士たち!」
「あ、アディオス……」
そう言って少年はネットから手を放すと、「すんませーん」と言いながら中年男の方に走っていった。
「俺、ああいうブラコンって初めて見た」
「僕も。あそこまでいくと弟より兄さんの方が将来心配だよ」
チアゴと串田君が口々に漏らす。
だが俺は何も言わず、腕を組んで考え込んでいた。あの兄のことを、俺はどこかで知っているような気がする。
ミョーにテンション高い変な人だったけど……どこで見たんだろう?
それに秦って呼ばれてたのも初耳という気がしないし……。
「秦……兄弟……あ!」
そしてとうとう思い出した。そうだ、前の人生でテレビで見た覚えがある、未来の日本代表の秦兄弟だ!
ワイドショーで報じられていた記憶が正しければ、兄の秦進太郎はフォワードのフランカー、弟の秦亮二はセンターバックスだ。
たしかふたりともRリーグに所属していて、兄弟そろって2031年からワールドカップにも出場していた。
兄は当たってよし走ってよしのオールラウンダーで、特に鋭いタックルは世界レベルの評価を受けている。Rリーグと同時に南半球最強リーグのスーパーラグビーにも参加し、世界各地を転戦していた。
弟はバックスとして攻守にわたって万能ぶりを見せつけていた。同時にラグビー界きっての甘いマスクの持ち主でもあり、ラグビー選手としてはスリムな体型も合わさって女性からの人気は凄まじいものだった。プロ選手として活躍する傍ら、モデルとして雑誌の表紙を飾ったこともある。
いずれも日本代表を支えるエース級の選手だ。まさか去年の天王寺のフッカー石井君に続いて、ここでも未来の日本代表と遭遇してしまうなんてツいてるというかラグビー界は狭いというか。
試合は後半に移り、両軍フォワード陣、バックス陣ともに大きくメンバーが入れ替えられる。ウォーミングアップを済ませた俺たちベンチスタート組も続々と芝の上に進んで出た。
だが相手の左センターの秦亮二は入れ替えられず、下手すりゃ女の子にも見える小顔に流れる汗を手で拭っていた。
伏見桃山はすでにトライを3本決めており、こちらはまだ0本。ここから追いつくのは難しい。
とはいえこれは練習試合、後半はトライを奪わせないでこちらが得点を入れれば俺たちにも勝てるだけの実力はあると証明できる。
コートに立った金沢のメンバーは円陣を組む。ここからはフォワードに俺、チアゴ、串田君、スクラムハーフ安藤君、スタンドオフ浜崎、フルバック西川君と金沢の主力がそろって出場する。
「よし、気合い入れていくぞ!」
キャプテンの浜崎が号令をかけると、他のメンバーも「おお!」と声をそろえた。
ここから先は手加減一切なしの真剣勝負だ。どうにかして相手センター、未来の日本代表を攻略しなくては。




