第九章その2 湖畔の夜
バスに揺られ続けた俺たちは、午前中には日光東照宮に到着した。さすが世界遺産だ、人々とすれ違うと英語、スペイン語、中国語、どっかの東南アジアの言語、いろんな国の言葉があちこちから聞こえてくる。
広大な境内を散策し、そして有名な『見ざる言わざる聞かざる』の彫刻を見る。
「思ったより……小さいな」
誰かがぼそっと呟く。名所って案外こういうもんだよな。
さらに長い長い石階段を上り、徳川家康の眠る墓へと俺たちは向かった。
かの天下人の墓は日光東照宮でも最も奥まった場所に鎮座している。だがそれでもお客さんが多いので、柵で囲まれた墓石をぐるっと回ってしか見学できない。
「ええ、何だよこれ。上野動物園のパンダみたいだな」
愕然とするハルキに「さすがにアレよりはマシでしょ」と『先生』がツッコミを入れる。
そんなこんなで日光東照宮と華厳の滝を巡った頃には陽も傾いてきたので、俺たちを乗せたバスは中禅寺湖の畔のホテルに着いたのだった。
入浴と夕食を終え、ホテルの売店でお土産のキーホルダーやらお菓子やらを買い込む子供たち。
そしていよいよお待ちかね、部屋での就寝タイムだ。まあ子供たちがすぐお利口に床に就くはずもなく、誰が好きなのかで盛り上がったりトランプで遊んだりと友達同士で過ごすのが楽しみなのだが。
「消灯時間はきちんと守れよ-。もし破ったら一晩、廊下で正座だからなー」
廊下をパトロールしながら喧伝するのは担任の強面先生だ。先生もホテルの夜に浮かれているのか、声はどことなく楽しそうだった。
「よし、先生は行ったな」
部屋のドアを少し開けて先生を見送ったハルキは、自分の荷物に飛び付いて中をあさる。
「ほいよ!」
「あ、ゲーム! お前没収されたんじゃなかったのかよ?」
突如現れた携帯ゲーム機に、目を丸くする男子。
「あっちはダミーだよ、本命はこっちの小さいカバンに隠しておいたのさ」
「抜け目ないやつだな」
けけけと笑うハルキに、感心する同室の面々。そんなみんなとは別に、俺はひとり部屋のドアを開けた。
「おい太一、どこ行くんだよ?」
「うん、ちょっと売店行ってくる。先みんなで遊んでて」
そう言い残して俺は廊下を小走りで駆け抜けた。
売店はフロントの近く、1階にある。だが俺がエレベーターで向かったのは最上階だった。
最上階は無料で開放されている展望室になっている。喫煙所や自動販売機が設置され、ゆったりとくつろぎながら中禅寺湖を一望できる大人のスポットだ。
今日はホテルが修学旅行生で貸し切りな上にみんな部屋で友達同士遊んでいるのか、展望室はしんと静まり返っていた。
そして窓際のカウンター席には、すでに南さんがひとり座って待っていた。
「お待たせ」
駆け寄ると、ジャージ姿の南さんはにこっと笑って振り返る。
俺は彼女の隣の席に座る。窓の外には星空を映し込んだ湖面が広がっていた。
「きれいだね、中禅寺湖」
「うん、そうだね」
しばしの沈黙。何て話せばいいのか、俺はなかなか踏ん切りがつかなかったものの、ようやく口を開いた。
「ねえ南さん、前に南さんがマネージャーしてるラグビー部に俺が入るって約束したよね?」
「うん」
「もし、仮にだけどさ……その約束、守れなかったらどうする?」
恐る恐る、俺は尋ねた。一瞬、彼女は目を丸くしてびくっと震えたものの、すぐにふんっと鼻を鳴らして窓の外に顔を戻す。
「そりゃもちろん怒る」
だよなぁ。俺はなんだか萎縮してしまった気分だった。
「でもそれが小森君のためになるのなら、私が口出しすることじゃないと思うよ」
しかし間を置かずに彼女は続け、俺は「へ?」と顔を向け直した。
「正直ね、私は小森君といっしょにいたいと思ってる。同じ学校の同じラグビー部で、いっしょに過ごしたい。でもそれよりも小森君にとってプラスになることがあるとしたら、そっちを選ぶのがいいんじゃないかな? 事情は知らないけど、私のせいで小森君の足引っ張るなんてもっとイヤだもん」
この子は天使か。久々に目の奥からじわっと熱いものが込み上げてくるのを感じた。
留学の話なんて出したら、もしかしたら泣いて反対されるかもしれないとさえ思っていたのに、まさかこんな風に言ってくれるなんて。
同時に俺は自分が南さんのことを何もわかっていなかったことを恥じた。どうやら俺は彼女の度量の広さを見誤っていたようだ。
そうだ、きっと彼女ならニュージーランド留学のことも取り乱さずに聞いてくれる。
「南さん、実は俺……」
だが俺が口にしかけたその時、南さんは「はいストップ!」と腕をバッテンにして話を遮ったのだった。
「なんかスッキリしたみたいな顔してるけど、まだ言っちゃダメ。勢いに任せて言ってもろくなことないからね。そういうのは修学旅行終わってからいくらでも聞いてあげる」
まあ確かにそうだな。俺もまだ家族にも留学に行きたいという意思は告げていないし、準備のために話し合うこともあるからな。
そう考える俺の前で、南さんはそっと視線を逸らし、ぼそっと呟く。
「それに私の方も、まだ心の準備できてないし」
「南さん……」
やっぱりこの子は天使か。
その時だった。エレベーターがウィーンと唸り、やがてピンポーンとチャイムが鳴る。だれかがやって来たようだ。
「こら誰だ、もうすぐ消灯……」
突如入ってきたのは担任の先生だった。だが先生は広い展望室にふたりきり、窓辺で並んでいる俺たちを見るとあんぐりと口を開けて固まってしまった。
そしてくるりと回れ右すると、「おっと誰もいなかったか。これはとんだ勘違いだ」とエレベーターに戻ってしまったのだった。
先生、グッジョブ!
いやマジで、心臓止まるかと思ったよ。
さすがの南さんも今回ばかりは呼吸をするのも忘れていたようで、先生が去った途端、はあと深く息を吐くと同時に大粒の汗を垂らしていた。
ちなみにその頃、部屋の方ではハルキたちがゲームをプレイしているのを先生に見つかり、みっちり廊下でお説教を喰らっていたらしい。




