第八章その1 6年生になった、と言われても
満開だった桜も散り始め、青い葉が花びらの隙間から顔を出す。
6年生を見送ってから早3週間、今度はとうとう俺たちが見送られる学年になってしまった。
「おい太一、ポ〇モンしようぜ」
最高学年になっても全く進歩していないのがハルキだった。休憩時間になってランドセルからゲーム機を取り出し、俺の座る席の前に駆け寄る。
てかまたこいつと同じクラスかよ。俺とハルキは運命共同体なのか?
「お前、学校にまでゲーム持ってくるなよ」
「大丈夫だって、バレなきゃよかろうなんだよ」
どこの悪役だよ。
しかし俺との会話にご執心のハルキはまだ気付いていなかった。いつの間にか自分のすぐ後ろに、ずんと大きな黒い影が立っていることに。
ハルキ、後ろ後ろ。
俺が頭を押さえて指差すと、ハルキは「ん?」と目を点にして振り返った。
立っていたのはうちの担任の先生だった。学校で一番怖いと恐れられる、強面の先生だ。
「ハルキ、何がバレなきゃよかろうなんだ?」
「げげ、先生!」
毎日繰り返されたこのパターン、また1年間見続けることになるのか。ちなみにここから先は文章にするのも気が引ける凄惨な場面だったので、申し訳ないが省略させてもらう。
まだ新学期が始まったばかりなので、授業は午前で終わる。
暖かい風が吹き始めた4月の横浜を、小学生たちは続々と下校する。
「ねえ、さっきハルキが先生に廊下引きずられていったけど、何があったの?」
俺は南さんと並んで家路に就いていた。周りには別の子も歩いているが、誰も俺たちをからかうどころか特段注目することも無い。
子どものコイバナというのは噂になっている段階が一番盛り上がるようで、実際に親しくして公認の関係になると途端に話題には挙がらなくなるものだ。
「いつものことだよ、ゲーム持ってきたのが先生にバレたの」
「あはは、ハルキらしいね」
「6年になったからって言われても、何か大きく進歩したって実感ないよ」
「修学旅行あるって言われても、小森君ラグビーで色んな所行ってるもんねぇ」
5月に日光まで1泊2日の修学旅行がある。菅平や神戸まで遠征したことのあるラグビースクールのメンバーにとっては如何せん近く感じてしまう。
「そう言えば南さん、今年は受験なんだよねぇ」
「そうそう、秋くらいから毎日塾に缶詰されちゃいそう」
「西川君も受けるって言ってたなぁ。冬の大会、出られるかな」
昨年度、全国で5位になった金沢ラグビースクールの次の目標は当然ながら全国制覇だ。新6年生はさらにプレーの精度を上げるためこれまで以上に練習に励み、新5年生には昨年の経験を基にノウハウを伝授させる。このサイクルが完成すれば金沢はもっと強くなるだろう。
だが6年生の中には、秋から冬にかけて中学入試を受験するメンバーも少なくない。主力の西川君もその一人だ。
高校ラグビー県内屈指の強豪私立学校、その付属中学を受験するらしい。高校や大学ならともかく、中学ではラグビーの推薦入試は実施されないため、入学のためには一般入試を受験せねばならないそうだ。
俺としては西川君とは中学卒業まで金沢スクールでいっしょにプレーしていきたいところだが、こればかりは本人の意思もあるので口出しできない。西川君は成績も結構良いので、勉強でも地元公立中学より高いレベルの環境に身を置きたいのだろう。
「西川君ならきっと大丈夫だよ。勉強もラグビーも、きっと両方完璧だよ。受験終ったらすぐ合流して、あっという間に全国1位取っちゃったりして」
彼ならあり得そうだな。
その時だった。突然、「あの、すみません」と背後から声をかけられたのだ。
俺と南さんが振り返ると、そこにはまぁるい体型につぶらな瞳の少年が立っていた。どことなく可愛げのある、癒し系な外見だ。
「あの、6年2組の小森さんで合ってます?」
「うん、そうだけど……5年生?」
胸の名札の色は青。名前は串田明日人と書かれていた。
「うわお、やっぱり!」
少年はガッツポーズで喜ぶ。声変わりもまだしていない、幼い声だ。
その姿を見て南さんは思い出したように「あ!」と声を上げた。
「小森君、この子、昨日の始業式で紹介されてた!」
「ああそっか、あの子か」
新学期に合わせて転校してきた子は、始業式で全校児童の前で紹介されるのが我が校の恒例行事だ。
どこかで見たなぁと思ってたら、あの時だったか。たしか福岡県の北九州市から引っ越してきたって紹介されていたような。
「ええと串田君、俺にどんな用事?」
「あ、すみません」
癒し系の串田君はしゃんと背中を伸ばし、改まって声にした。
「全国大会での活躍、観客席から見ていました。僕も金沢スクールに入れてください!」




