第一章その4 楕円球を投げて
その後、いくつかのスポーツショップを回り、ようやく売れ残っていたラグビーボールを見つけた俺は、早速それを父さんに買ってもらったのだった。
ラグビーボールは子供用と大人用とでサイズが違う。大人用のサイズを5号球と呼んで、俺の買ってもらった低年齢向けのものを3号球と呼ぶらしい。
しかし俺も父さんもラグビーに関してはデブの素人……いやズブの素人だ。父さんも俺ほどではないがまあるい体型で、運動もあまり得意な方ではない。
マンションを出て近所の公園に来た俺たち父子は、早速新品のボールをパスし合った。
「ほら、こうやるみたいだぞ」
父さんはタブレットで正しい投げ方の動画を再生した。
ラグビーボールが完全なる球体ではなく、特徴的な楕円形をしているのはよく知られている。
しかしその形状から野球やバスケットボールのように片手のオーバースローで投げるのは困難で、両手を使って下から押し出すように投げるのが基本だ。
「ほれ、こっち投げてみろ」
父さんは両腕を広げ、ボールを持った俺と向かい合う。
そう言えばラグビーボールなんて握るの高校の体育以来だな。そもそも就職してから野球であれサッカーであれ、ボールを持った記憶が無い。
実に10年ぶりに投げるボール。言われた通り下から投げた楕円球は、まっすぐ父さんの胸に向かっていった。
「よしよし、うまいぞ!」
子供用の小さなボールでも、父さんはしっかりとキャッチする。そして力加減しながら父さんが投げ返したボールを、今度は俺が両手でつかむ。
俺と父さんとでただボールを投げ合っているだけだが、これが意外と楽しい。うまく往復していると時々違ったことを試してみたくなるもので、俺は全身に力を込めて本気でボールを投げる。そうなるとボールに威力がついて、父さんでも取りこぼすことがあった。
「思ったよりうまいなぁ」
ボールについた土を払いながら、父さんが頷く。
そう言えば俺、小さい頃はサッカーボールもまっすぐに蹴れなかったんだっけ。
その夜、俺は早めにベッドに潜り込んだ。
中身は大人でも身体はきちんと子供のようで、夜の8時には瞼がずんと重くなり、9時を迎えた頃には眠気でまっすぐ歩くこともままならない。夜勤明けにも似た強烈な眠気に、俺はこの小さな身体の不便さをひしひしと感じた。
ようやく自室のベッドで横になる。しかしリビングから漏れ聞こえる親の会話に、俺は眠気に耐えてそっと聞き耳を立てた。
「あなた本気?」
「ああ、素人の俺では教えられることも限界あるからな。調べてみたら神奈川県内にはスクールもたくさんあるし、体験入校くらい連れて行ってみてもいいだろ」
「野球かサッカーならまだしも、何でよりによってラグビーなのよ」
「俺はスポーツはてんでダメダメだったけど、太一もそうとは限らないだろ。それに子供にとって好きなことが好きなだけできるってのは、幸せなことだと思うんだ」
しばらく母は何も言い返さなかった。
「まあそこまで言うんなら」
そして母はついに折れ、ため息混じりで答えたのだった。
よっしゃ、人生を変えるきっかけをひとつつかんだぞ!
俺は小さくガッツポーズしたものの、その直後ついに睡魔に耐えられず眠りに落ちてしまったのだった。