第五十二章その2 チャージ!
後半15分、試合は日本ボールのラインアウトから再開される。
「ほないくで!」
フッカー石井君がボールを投げ込み、リフトされた両軍のロックが腕を伸ばす。ここは投げる側も受け取る側もきっちりとサイン通りにプレーをこなせたおかげで、狙い通りの位置で俺に抱え上げられたサイモン・ローゼベルトがボールをキャッチしたのだった。
だがこれは南アフリカにとっても想定の範囲内。彼らはサイモンがボールを受け止めたその瞬間からラインを解くと、こちらにあっと言わせる間も与えない内に俺たちの周りに集まったのだった。フィジカルに自信のある彼らにとって、日本のラインアウトはモールを形成してボールを奪い取る絶好のチャンスなのだ。
当然、ここで真っ向勝負を受けたところでいたずらに体力を消耗するだけなのは目に見えている。サイモンは空中に持ち上げれたまま斜め後ろ方向にボールを放り投げて危機を逃れた。
落ちてきたボールを走りながらキャッチしたのは、ライン後方に控えていたスクラムハーフ和久田君だ。すでにスピードに乗っていた彼はボールを小脇に抱え込むと、さらに回転を増して自らの足でコートを走り出す。
相手フォワードとバックスの守備の隙間を突いた良い位置取り。だが逆サイドから急いで上がってきた相手センターがその行く手を塞ぎ、さらに後方からもラインアウト付近で待ち構えていた相手スクラムハーフが和久田君を追いかける。
さすがにこのままでは分が悪い。和久田君はボールを手に取り、並走している味方バックスにふっとパスを回す……と見せかけて、なんと足元にボールを落とすと、やや斜め前方向にゴロパンを蹴り込んだのだ!
和久田君の思わぬプレーに、屈強な南アフリカ代表センターも慌てて方向転換して腕を伸ばす。だが不規則な高さでバウンドする楕円球は選手の頭上よりはるか高くまで跳ね上がると、その背後に落下してなおも転がり続けたのだった。
和久田君は相手センターを追い抜かすと、再びボールをキャッチしてさらに自身の足で走り続ける。これまでの彼のプレースタイルとはまったく異なる、鮮やかな足技だった。
「あれ、ジェイソンの!?」
その一連のプレーを後ろから追いかけながら見ていた俺は、思わず口走る。
先日の練習でカナダ代表ジェイソン・リーが教えてくれたテクニックだ。スクラムハーフの和久田君にとってボックスキック以外のキックを使うことは滅多にないが、もしもの場合に備えてあの短期間の内にその他のキック技術を実戦投入できるほどまで高めたのだ。
勢いそのままに敵陣まで進み入る和久田君。だがずっと後をつけていた相手スクラムハーフがついに追いつき、後ろから和久田君のシャツをつかむ。
その直後、和久田君は身体を傾かせながらも「頼んだ!」と真横にパスを投げ飛ばし、並走していたセンター秦亮二にボールをつないだ。
ゴール前を守るはフルバック。だが百戦錬磨の秦亮二、さらに同時に並走しているウイング馬原さんやスタンドオフ坂本さんら擁する日本代表バックス陣にとって、ここまで条件がそろえば勝負はついたも同然だった。
左右どちらにパスを送るのか、もしくはそのまま突っ込むのか。相手フルバックに触れる直前、亮二はウイング馬原さんにすっとパスを回した。
ボールをキャッチした馬原さんは追走する南アフリカバックスたちを引き離す怒涛の逃げ足を見せ、白線を越えるとH字型のポストの下まで駆け込んで地面にボールを叩きつけたのだった。
「やったぁああああ!」
「いよっしゃぁあああ!」
値千金のトライに、俺たちも観客も飛び跳ねて感情を爆発させる。南アフリカ相手にビッグゲインからトライを生み出すなんて、こんな気持ちの良い展開はそうそう無い!
その後のコンバージョンゴールも成功し、日本は7-5の逆転に成功した。
だがここから、南アフリカの攻撃の激しさはこれまでとは桁違いにまで跳ね上がった。ここで敗れれば決勝進出の夢が潰えるという焦燥感からだろうが、今まで100%の本気モードで戦っていたのを150%の限界突破モードにスイッチを切り替えたような、守るこっち側が不安になるほどの力強さと素早いパスで俺たちを攻め立てる。
もうここまで常識外れのパワーで押し込まれ続けると、俺たちも隙を見て攻め込もうなんて発想すら浮かばず、ただひたすら守りに徹するしかない。
このリードを守り切れれば勝てるんだ。それだけを心の拠り所に、俺たちは必死でぶつかって相手を止め続けていた。
そしてついに80分のホーンが鳴る。スコアはなんとか7-5のまま日本がリードを守ってはいるものの、ボールは相手の手に渡っており、しかも22メートルラインの内側まで攻め込まれていた。
横一列の守備ラインを作って必死で相手の進軍を食い止める日本代表。ここでボールを奪わないと、どんな形であれ相手が得点を入れたその瞬間、俺たちの敗北が決定する。
俺たちはとりあえず相手のノックオンを狙ってタックルを入れ続けるが、相手もこのまま負けるわけにはいかないとラックを形成して仲間へとつなぐ。すでに限界以上の力を使い果たしているようで先ほどと同等の馬鹿力は発揮されないまでも、日本の守備ラインを少しずつ押し下げるには十分なパワーがあった。
やがて残り15メートルほどまで押し込まれた時のことだった。南アフリカが長いラックを作ってボールをキープする最中、それまでスクラムハーフから付かず離れず動いていた相手スタンドオフが、ひとりゴールポストの正面の位置までさっと移動したのだ。
ちょうどその瞬間をラックから抜け出しながら目にしていた俺は、相手が何をしようとしているのかをすぐさま理解する。
あのスタンドオフは、ドロップゴールを狙っている。いつぞやのアルゼンチン代表リカルド・カルバハルと同じだ。というよりも俺がもし南アフリカ代表の選手だったとしたら、絶対に次でドロップゴールを狙う!
そうはさせるものか!
ラック最後尾の相手スクラムハーフがボールを拾い上げると同時に、俺はばっと飛び出した。
スクラムハーフの手からボールが投げ渡される。パスの相手は読み通り、ちょうど真ん中の位置に立つスタンドオフだ!
「チャージ!」
俺は大きく両手を広げ、巨体を投げ出して相手選手に飛び掛かった。
南アフリカのスタンドオフは足元にボールを落とした直後、一瞬だけ戸惑った顔を見せる。だが相手にとってもここまで来てしまったら、ボールを蹴る以外の選択肢は残されていない。彼は全力でその脚を振り抜き、ゴールポストめがけて楕円球を蹴り込んだのだった。
直後、まるでロケットのように強く蹴り上げられたボールは、その軌道を身を挺して塞いだ俺の腕に激しく打ち込まれる。時速100kmで蹴り出された楕円球がぶつかるや否や、鈍く嫌な音が響く。同時に全身を激痛が走るものの、俺は歯を食いしばってなんとか耐え続けた。
やがて芝にどさっと倒れ込む俺の身体。が、「ボ、ボールは!?」と口の中に千切れた芝が入っているのも気にせず、急いで上半身を起こす。
慌てて身を起こした俺の目に飛び込んできたのは、弾き返したボールが芝の上を跳ねまわり、やがてタッチラインの外へと転がり出ていく光景だった。
その瞬間、長い長いホイッスルがオハイオ・スタジアムに響き渡り、同時に10万人の大歓声が湧き起こった。そう、南アフリカとの準決勝がついに終了したのだ。
結果は7-5で日本の金星。わずかキック1本差の、薄氷の勝利だった。




