第五十一章その6 大いなる助っ人
「よう太一!」
2日後、準決勝の舞台であるオハイオ州の練習場に移動した俺たちの元に、よく知った連中が顔を見せる。
韓国代表キム・シノ。その後ろにぞろぞろと続く、20名近くのラグビー選手たち。
「みんな、本当に来てくれたんだ」
「言っただろ、できることならなんでも協力するって。むしろお前の方からお偉いさん方に話し通してくれて、俺たちも感謝感謝だよ」
なんとキムはRリーグの選手たちをアメリカまで連れてきてくれたのだった。大阪ファイアボールズに長く在籍するキムは、リーグの中でも非常に顔が広い。彼が声をかけてくれたことで、日本人選手も外国人選手も国籍問わず大勢が飛んできてくれたのだ。
「今はワールドカップでRリーグも止まっているからよ。暇な奴ら、みんなで日本代表を応援しようぜって言ったらこんなに集まっちまったんだ。俺たち練習台にだって雑用にだって、お前らの力になれるなら何でもやるぜ!」
「もちろんだ、この前のセットプレーは危なっかしかったからな。俺がみっちりしごき直してやる」
ラガーマンの中からぬっと前に歩み出てきたひとりの大男。その姿を目にした瞬間、俺の傍らの矢野君が反射的に背筋をピンと伸ばす。
「テビタさん、お久しぶりです!」
「はっはっは、まあ気楽にいけよ」
そう笑い飛ばしながら、テビタさんは矢野君の胸をこつんと小突く。
アメリカまで来たメンバーの中には、前回大会のキャプテンであるテビタ・カペリも混じっていた。34歳の彼は既に日本代表は引退しているものの、Rリーグではまだまだ現役バリバリだ。自分より10以上若い選手を、スクラムで蹴散らすその姿はまさに闘将と呼ぶにふさわしい。
「お前たちだけに頼ってはいられねぇ。このワールドカップ、オールジャパンでウェブ・エリス・カップを奪い取りにいかねぇとな。お前もそう思うだろ?」
テビタさんが後ろにちらりと目を向ける。そこに立っていたのは、同じくRリーグ所属で韓国代表ナンバーエイトのパク・ミョンホだった。
「当然ですよ。ついこの前俺たちを倒したんだから、せめて決勝まではいってくれないと困ります」
「それだけじゃねえぞ、お前ら俺たちを押し退けて代表になったんだからな。せめてその値打ち見せてくれねえと俺たちの腹の虫も治まらねえよ」
駆け付けた他の選手たちも「そうだそうだ」と声をあげる。ここにいるのは多くが惜しくも代表選考から漏れてしまった選手や、元日本代表として俺たちを引っ張てくれていた選手たち、つまりは国内でもトップクラスの選手たちだ。彼らが俺たち日本代表に抱く感情は複雑だろうが、出るからには勝ってきてほしいと希求するのは全員同じだった。
「それとゲストはこれだけじゃねえぞ。見て驚くなよ」
得意顔のキムがぱんぱんと手を鳴らす。途端、練習場脇の建物の陰からふたつの人影が飛び出し、こちらに駆け寄ってきたのだった。
「やあ、久しぶり」
「また会えちまったな」
その顔を見た瞬間、俺と和久田君は「わお!」と感嘆の声を漏らした。
「アレクサンドル、ジェイソン!」
「な、なんでここに!?」
ジョージア代表フッカーのアレクサンドル・ガブニア、そしてカナダ代表フルバックのジェイソン・リー。いずれもニュージーランド留学時代のラグビー仲間であり、今では各国の主力選手として世界でも一目置かれるレベルの逸材になっている。
「驚いただろ? 正直、発起人の俺自身も驚いている」
腕を組んだキムがうんうんと頷く。たしかにこの時期にふたりを呼べるのはすごい。どちらのチームも予選プールで敗退してしまったので、すでにアメリカを発ったとばかりに思っていたのだが……。
「僕たち、プール戦終わってすぐに帰国してさ。で、しばらくはあちこちのイベントに出てたんだけど、ちょうど暇になっちまって、せっかくだからアメリカまで舞い戻ってきたんだ」
ゴリゴリのマッチョ体型とは裏腹に、にこやかに説明するアレクサンドル。俺は「あ、ありがとう。すっごく嬉しいけど……どうしてまた?」と訊き返した。
「ぶっちゃけ言うとよ、今のオールブラックスなら俺たちが何もしなくても決勝まで上がってくるだろ」
ジェイソン・リーがそっと顔を近づける。
「オークランド仲間の腐れ縁ってやつかな。俺たちはお前たちと、ハミッシュたちがぶつかることを応援している。そのためには南アフリカ戦で勝ってもらわねぇと、俺たちが困るからな」
そう言ってジェイソンはにへへと白い歯を見せた。すぐに俺も同じ顔を見せ、彼と拳を突き合わせる。
「さあ、じゃんじゃん言いつけてくれよ。もしくは腹ごしらえでもするか? 差し入れの食い物、大量に持ってきたからよ」
キムが声をあげると、集まった選手たちがまるで統率された軍隊のようにえっほえっほとでっかい段ボールをいくつも運び込む。
「いやいや、今食ったら練習中吐くから!」
俺たちは手をぶんぶんと振って彼らの暴走を制した。
日本から駆けつけたみんなのおかげで、俺たちの練習の密度はぐっと上がった。
代表を引退しているとはいえテビタさんのスクラム技術はまだまだ健在で、俺たちフォワードをビシバシと指導する。キムやアレクサンドルもRリーグフォワード陣に混じり、日本代表のスクラム相手として実践的な練習に付き合ってくれたのだった。
ジェイソン・リーはそのキックの技術を、ウイングやセンターといったバックス陣に伝授する。特に敵陣を突破する際のショートパントやチップキックは使いこなせれば攻撃の幅がぐんと広がるので、トライを狙う選手たちは真剣に耳を傾けて身体を動かしていた。
そして練習に汗を流したその夜のこと。俺のスマホにまたしても電話がかかってきたのだった。
「太一、お前大活躍だな! 元気してるか? 体調崩してないか?」
電話口から聞こえるのは父さんの声だ。
両親は仕事があったので、亜希奈さんたちからはやや遅れて決勝トーナメントが始まってからアメリカへと入国した。どれだけの期間いられるかは俺たちの勝ち進み具合にかかっているわけだが、現在は親族とアイリーン母子とも合流し、さらにニュージーランドからやってきたウィリアムズ夫妻も加えて4家族でアメリカを満喫しているそうだ。
「大丈夫だって、メディカルスタッフがちゃんと毎日チェックしてくれているし、コンディショニングコーチがいるから休憩時間もしっかり確保してくれている。それより父さんこそどうなのさ、アメリカ観光もそろそろ疲れたんじゃない?」
「そんなわけあるか、毎日毎日ビッグサイズのバーガー食べられて大満足だぞ」
そういえば父さんは、歳をとるにつれてより一層肥満が進行している。年齢重ねるごとに食べていく量が増えていくって、なかなかいないだろう。それで何の病気にもかかっていないのだから、うちの家系はデブであることが健康の証なのではとすら疑う。
「次の南アフリカ戦ももちろん見に行くからな。大変な戦いになるとは思うが、お前ならできる、ささっと倒して決勝まで進んでくれ!」
週末に行われる南アフリカ戦の会場は、カレッジフットボールの聖地オハイオ・スタジアムだ。収容能力はなんと10万1000人。まさに桁違いのスケールだ。
ここから先ベスト4以上の試合は、すべてキャパシティ10万人以上の巨大スタジアムで行われる。当然ながら俺たちにとっても、それだけの観衆の前で試合を行うのは初めてのことだ。
このワールドカップをアメリカで開催できなければ、これだけの規模の競技場でプレーすることなどまず経験できなかっただろう。
「随分と簡単に言うなぁ、息子の気も知らないで」
「ははは、それにしてもワールドカップ準決勝か。お前なら父さんの手に及ばなかったことも成し遂げられると思っていたが、もうそんなレベルをはるかに超えてしまっているなぁ」
父さんの声色が変わる。それに勘付き、俺もいつもの調子で軽く返すのをやめて父さんの話に聞き入った。
「お前がラグビーを始めてもう25年、ラグビーをやりたいって言いだした時はまたスーパーヒーローになりたいってのと同じものかなと思ったけど、ここまで大きくなってくれて父親として鼻が高いよ。結果はどうなろうと、お前は最高の息子だぞ」
「父さん……」
普段親子でこういう会話なんかしないせいだろうか、改めて文字に起こすとこっぱずかしい内容であっても、なんだか涙腺を刺激されてしまう。4年前の結婚式の時以来だよ、こういう感情は。
「次の試合、思う存分戦ってこい……お、母さんが戻ってきたな。太一、ちょっと変わるよ」
ごそごそとスピーカーの向こうから音がする。ちょうど父さんから母さんの手に、スマホが手渡されているのだろう。
「太一、あんた大活躍じゃないの。元気してる? 体調崩してない?」
そして繰り出されたのは、さっきの父さんとまったく同じ質問だった。このふたり、やっぱり夫婦なだけあるよ。




