第五十一章その5 勝敗を分かつもの
サイモンがトライを決めたその後、キッカーの坂本さんが丁寧にコンバージョンキックを蹴り込み、日本は7点を先制する。
そこからの試合は大きな展開も無い膠着状態に陥り、7-3で日本がリードしたまま後半に突入した。
「フィアマル、頼んだよ」
同時に俺はキャプテンを中尾さんに任せ、フィアマルと交代する。
「任せろ。太一たちの作ったリード、何としても守り通す」
フィアマルはむんと力強く意気込むと、その140kg超の身体で地面をずんずんと鳴らしながらコートに歩み出る。俺以外にも、フォワード数名は後半開始のタイミングで入れ替わっていた。
前半、セットプレーで優位に立っていたイングランドは、後半もフォワードを前面に押し出したゴリゴリのフィジカル戦を展開してくるつもりのようだ。特に日本を圧倒していたスクラムを攻撃の起点にして得点を奪わんと、彼らは覇気をみなぎらせていた。
だが純粋なパワーとスクラムでは、俺よりも体重のあるフィアマルに分がある。日本のスクラムに関しては、前半よりもむしろ強くなったと言っていい。
そしてその読みは当たった。後半開始早々、イングランドボールで始まったスクラムを、フィアマルはじめフレッシュな日本代表選手たちは渾身の力で押し返してしまったのだ。
思いがけぬプレッシャーにぐらついて膝をつくイングランドのフロントロー。その瞬間、レフェリーはホイッスルを吹いて反則を告げる。
「コラプシング!」
喜び沸き立つ日本代表。その傍らでは何が起こったのか理解が追い付かないとでも言いたげに、イングランド選手たちが呆然と顔を見合わせている。
ペナルティキックを奪った日本は、40メートル余りの距離を西川君が蹴り込んで3点を追加する。これで10-3、トライ1本分の余裕が広がった。
この力比べでの失点は、イングランド陣営にかなりの動揺を与えたようだ。
以降のプレーでイングランドはボールを持てば、我武者羅なキックを蹴り放ち、とにかく前へ前へと戦列を進める。だが力みすぎた不用意なキックは22メートルラインの内側まで蹴り入れてこちらにボールを渡してしまったり、コースが逸れてタッチラインを割ってしまうなど単純なミスを重ねてしまう。そのミスの隙を突いて日本が大きくゲインし、相手陣内深くまでボールを戻してしまう場面が幾度となく繰り返されたのだった。
「なんか今日のイングランド、らしくない気がします」
俺と同時にベンチに戻っていた矢野君が、イングランド選手により高く空中に蹴り上げられたボールを見つめながらぼそっと漏らす。ボールは日本陣22メートルライン内側に落下し、落下地点に先回りしていたフルバック西川君が「マーク!」と叫びながら捕球したことでフェアキャッチが認められる。これで一旦試合が途切れ、日本にフリーキックが与えられる。
「ラグビーの怖いところだよ」
後半途中で交代して、ベンチに腰かけていた中尾さんが腕を組みながらプレーを見守りながら独り言のように答える。コートの上の西川君はタッチラインの外へと蹴り出すかと思ったら、なんとウイング馬原さんめがけてショートキックを蹴り転がしたのだ。
速攻での試合再開に深くまで攻め込んでいた相手選手たちたちは対応が遅れ、ボールを受け取った馬原さんに容易に突破を許してしまう。
そして最後はフルバックがタックルで馬原さんの足を止められるものの、すぐにハイタックルの反則を言い渡されて、またしても日本にペナルティキックのチャンスを与えてしまったのだった。
「ラグビーでは実力が高いところで拮抗しているチーム同士が戦った場合、なかなか得点が入らない。そういう時に差がつく要因ってのは、如何にミスを減らせるかだ。ミスが多いとそれだけ多くの得点チャンスを相手に与えてしまうからな」
敵陣内にキックティーを置き、スタンドオフ坂本さんがH字型のゴールポストにじっと狙いを定める。やや角度はあるものの、彼ならば決して入れられない位置ではない。
そして数秒間の精神統一の後、坂本さんは大きく足を振り抜いた。シュルシュルとプロペラのように回転する楕円球は、2本のポールのど真ん中に吸い込まれ、余裕で通過する。この場面、日本はさらに3点を獲得したのだった。
その後、日本は終始リードを守りきり、16-6で強敵イングランドを見事突破したのだった。
「強いぞニッポン!」
「愛してるわぁ!」
「気合いだ、気合だ、気合だぁー!」
ホテルに帰った俺たちがバスの窓から目にしたのは、エントランスまでを埋め尽くす人、人、人。その多くは日本代表のジャージを着ており、距離が近いだけに観客席以上の熱気で俺たちに手を振っている。
警備員がなんとか道を確保して群衆を食い止めてはいるが、何かきっかけがあれば決壊して俺たちに飛びついてきそうな異様な雰囲気を漂わせている。嬉しさと困惑とで苦笑いを浮かべながら、俺たちは足早にホテルの中へと引っ込んだのだった。
ホテル内の会議室は既に記者会見場に様変わりしており、大勢のテレビカメラや新聞記者が詰めかけていた。俺たちは荷物を置くと一休みする間も無く、ぞろぞろと会見場に入場し、カメラのフラッシュをその身に浴びたのだった。
「今日はスクラムでイングランドを圧倒していました。強敵を相手にどのような攻め方をしていこうと、事前に話し合われていたのですか?」
記者会見の最中、キャプテンでありフロントローでもある俺に記者から質問が飛ばされる。
「日本代表は世界で見ても非常に合宿の多いチームです。スクラムは力のタイミングをぴったりと合わせる必要のあるプレーなので、とにかく互いの癖やタイミングをよく知って、互いにベストな状態で力を合わせていることが大切であると考えています。ですから相手が強敵だからといって、これといって普段と違った何かをしているというわけではありません」
とまあこうも得意げに応答してはいるものの、実際は勝てるかどうかやってみるまで不安だったのは内緒だ。
「次は南アフリカです。世界一強靭なフォワードを誇るスプリングボクスに対しても、今日と同じく普段の実力を発揮したいとお考えですか?」
南アフリカという単語に俺は一瞬、ぴくりと身体を震わせる。だがすぐさまスマイルを取り繕うと、「もちろんです。今の日本が100パーセント実力を発揮すれば、どんな相手でも打ち勝てると私は信じています」と頷き返した。
本日、準々決勝の結果が出揃ったことによって、優勝杯の行方はすでに4チームにまで絞られていた。現在のところ、決勝トーナメント進出チームの順位は以下のようになっている。
ベスト4(準決勝進出)
オーストラリア ニュージーランド 南アフリカ 日本
ベスト8
ウェールズ スコットランド アイルランド イングランド
ベスト12
アルゼンチン イタリア アメリカ フランス
ベスト4以上は前回大会とまったく同じ、南半球中心の顔ぶれ。そしてホームネイションズ全員がベスト8で消えてしまったのは、最早見えない何かの力がはたらいたとしか言いようがない。
記者会見を終えて自分の部屋に戻った俺は、どさりとベッドに倒れ込む。
前半しか出ていないのに、とんでもなく疲れた。フォワード中心で攻めてくる相手の場合、俺たちプロップは常に肉弾戦を展開しっぱなしなのでとんでもないエネルギーを消費する。
「次は……勝てるかな?」
そしてカメラの前ではずっと自信に満ちた素振りをしていた俺の口から、無意識のうちに弱音が漏れ出ていたのだった。
今日は幸いにも相手のミスに助けられた部分も大きかったが、次の南アフリカもそうなるとは限らない。フィジカルの強さはイングランド以上、今日よりも過酷な戦いになることは必至。彼らはキックを蹴り込んでリスクとともにチャンスをつかむ必要はなく、ただボール持って走って突っ込む、ただそれだけで桁違いの突破力を誇るチームなのだ。
南アフリカ対策、本当に充分だろうか?
言いようの無い不安に苛まれながらも、押し寄せる眠気には敵わない。柔らかく包み込むようなベッドの寝心地に、うとうとと瞼を閉じていたまさにその時だった。
突如、枕元のスマホがピピピと鳴る。電話の着信のようだ。
「亜紀奈さんかな?」
俺は目をこすりながら、充電中のスマホを持ち上げる。だがその画面を目にした時、表示されていた思いがけぬ名前に「えっ?」と眠気を吹き飛ばされてしまった。
「キム?」
そう、電話をかけてきたのは、ニュージーランド留学仲間のキム・シノだった。




