第五十一章その4 激闘、フォワード対決!
大観衆に埋め尽くされたローズ・ボウルのコートに、紅白縞模様の日本代表と、白一色のイングランド代表が入場する。
日本代表人気がうなぎ登りというのは嘘ではないようだ。これまで耳にしたことがないほど、割れんばかりの「ジャパン!」の大声援が会場のあちこちで沸き起こっている。
相手のイングランドも世界的に大人気のチームではあるのだが、今日はまるで俺たちのホームゲームのような気分だった。
「ミスター小森」
国歌斉唱を終えて握手を交わすその時、イングランドキャプテンにしてナンバーエイトのベンジャミン・ホワイトが俺に声をかける。その純白のジャージの胸には、真紅の薔薇のエンブレムが描かれていた。
「我々は負けない。しかし、最高の勝負になることを祈る」
前回大会で予選プールとはいえ一度敗れているイングランドは、打倒日本に燃えていた。大会後のテストマッチでは日本に勝ち越しているものの、やはりワールドカップの借りはワールドカップで返したくなるのが人情というものだろう。
「それは日本も同じだよ」
俺はベンジャミンの大きな手をぐっと力を込めて握り返す。そして互いににやっと笑みを交わしたところで、ぱっと手を離したのだった。
そして両軍が分かれ、いよいよ試合が始まった。キックオフを日本が蹴り上げるや否や、日英両国のフォワード陣がボールめがけてだっと駆け出す。
そんな大男たちの激しい競り合いを制して落球をキャッチしたのは、イングランド代表のベンジャミン・ホワイトだった。
ボールをしっかりと抱え込んで地面に降り立つベンジャミン。そしてなんと間髪入れず、彼は身体ごと日本代表に突っ込んでモールを形成したのだった。
試合開始直後で勢いに乗るイングランド選手たちは、その自慢の体格で日本フォワードをごりごりと押し返す。俺たちは倒されまいと必死で抵抗し、センターライン付近まで後退させられるもののなんとか相手の前進を食い止めていた。
これ以上は難しいと判断したのか、イングランドはモールからボールを出して後方のスタンドオフまでパスを回す。
直後、相手スタンドオフは日本陣内までボールを高く蹴り上げたのだった。ボールを前に投げられないラグビーにおいて、キックはボールを一気に前に進める貴重な手段、これに長けたチームは攻撃のスピードがとにかく速い。
だがキックは相手にボールを奪われるリスクも高いプレーであり、多用はできない。これを成功させるには、競り合いで勝てるだけの強力なフォワードが必要だ。
ボールの落下点にひた走るは『シンカンセン』ことウイングの馬原さん。そこに敵陣からモールに参加していなかったイングランドロックが思いがけぬ俊足で駆け上がり、なんとボールの落下を前にふたりで交錯する格好になってしまったのだった。
両者の身長差は20cm近く。全力で跳び上がる馬原さんよりも、ずっと余裕をもってはるか高くまで手を伸ばした相手は難なくボールをキャッチすると、そのままゴールラインめがけて走り出す。
「待て!」
すかさず馬原さんがしがみついた。しかし相手ロックの馬鹿力は相当のもので、馬原さんの身体をずりずりとひきずりながらもさらに前へと進み続ける。
そこに両軍の選手が駆け付けて、残り5メートルもない位置でラックが形成されるものの、日本はボールを奪いきれなかった。
そしてボールは、イングランドの怪力王ベンジャミン・ホワイトの手に渡る。
ベンジャミンはその圧倒的なフィジカルを活かし、日本の守備ラインを押し退ける。そしてふたりの選手に絡まれながらもあと一歩で先制のトライを決めようという、まさにその直前だった。
「させるかぁ!」
ゴールの守護神フルバック西川君の強烈なタックルが入り、ベンジャミンの前進を防いだ。直後にようやく俺も追いついて追加のタックルを入れたところで、彼の手からぽろりとボールが落ちる。
「ノックオン!」
レフェリーが試合を止める。沸き立つ観客、悔しがるイングランド、そしてあまりのしんどさにぜえぜえと息を切らす日本代表選手たち。
なんとかトライは防いだものの、開始早々でピンチを招いてしまった。イングランドの突破力は、そこらの強豪チームとは桁違いの恐ろしさがある。
その後、試合はゴールライン5メートル手前から、日本ボールのスクラムで再開される。
相手はこの絶好の位置でトライを狙ってきているのだろう、ボールを投入した瞬間にとんでもないパワーで押してくるので、あわやボールを奪われるかと思ってしまった。
俺と矢野君のプロップコンビはぐっと耐え、なんとか石井君に後方までボールを送らせる。そして8人がかりで守り抜いたボールを、最後尾でスクラムハーフ和久田君はフルバック西川君へとパスを送ったのだった。
ボールを受け取った西川君は、すぐさま大きなパントキックを蹴り上げる。自陣を大きく飛び越えて、センターラインの辺りでタッチラインを割るきれいなキックだ。これで相手ボールのラインアウトにはなるものの、自陣深くでプレーするよりははるかにマシになる。
だがその後のラインアウトでも俺たちはボールを奪えきれず、またしても22メートルラインの内側まで相手の進攻を許してしまったのだった。
「やっぱりイングランドのフォワードは強力だな」
幸いにも相手のノックオンにより試合が止まったところで、俺たちは緊急の作戦会議を開く。
「フォワード勝負に持ち込まれたらこっちが不利だ。俺たちはとにかくバックスにパスをつないでいこう!」
俺の提案にフォワードは「ああ!」と頷き返す。苦しい状況だが、イングランド相手にこうなることは元々覚悟していた。そしてこのような相手が優勢に立っている時こそ、積極的に反撃を仕掛けるべきだ!
再度の日本ボールスクラムを、イングランドはまたしても凄まじいパワーで押し返す。この位置で反則を誘い、ペナルティゴールの1本でも奪っておこうというのが相手の狙いだろう。
だが俺たちはなんとかボールをキープし続けた。そしてナンバーエイトの足元からボールを拾い上げた和久田君はバックスへとパスを送る……と見せかけて、なんと自らの足で走り出した!
意表を突いたプレーに戸惑いながらも、スクラムから離れた相手フランカーが和久田君に飛び掛かる。だが和久田君は得意の低姿勢走法で切り抜け、フランカーの高いタックルをかわしてしまったのだった。
直後、スクラム最後尾から飛び出したナンバーエイトのベンジャミンが襲い掛かるものの、和久田君はその巨体に触れる直前、ようやく真横へとパスを送ったのだった。
すれ違いざまにボールを受け取ったのは、スクラムの後ろから駆け上がってきたスタンドオフ坂本さんだ。既にスピードに乗っていた坂本さんはボールを抱え込んだまま全速力で走り抜け、追走するフォワード陣を引き離す。
そんな坂本さんの行く手を遮るのは、フルバックとウイングらイングランドバックス陣。そこで坂本さんは一旦ぐいっとカーブを描くようにして相手守備ライン前を横切る。当然、相手選手たちはそちらのサイドへと引き付けられ、選手たちの守備範囲に大きな偏りが生じる。
このタイミングを坂本さんは待っていた。今の今まで全速力で走っていた彼は、突如ステップを踏んでくるりと身体の向きを切り替える。そして流れるような動きでボールを足元に落とすと、なんと逆サイド、つまり今まで自分の走ってきた方向とはほぼ真後ろの向きへとボールを蹴り放ったのだ。
どよめきとともに、空中で美しい弧を描きながら選手たちの頭上高くを越える楕円球。なぜ目の前のバックス陣の突破を諦め、こんなよくわからないプレーに出るのか。そう思った観客たちはボールの飛来する方向に目を向けたその瞬間、その意味を理解して「Unbelievable!」と次々に感嘆の声をあげた。
相手フォワードが坂本さんを追っていたおかげで、逆サイドにはあらかじめ駆け上がっていた日本フォワードが集まっていたのだ。ここは敵陣22メートルラインの内側、どんな鈍足ラガーマンでも、4秒もあればゴールを越えられる。
その落下地点に先回りして、ジャンプと同時に確保したのは日本代表ロックのサイモン・ローゼベルトだった。メンバー最長身にして空中戦に長けた彼にとって、このようなキックパスの捕球はお手のものだ。
「よっしゃ、ぶっちぎれ!」
フォワード仲間の声援を受け、サイモンはだっと駆け出す。
目の前のゴールライン目指し、一目散に走るサイモン。そこに慌てて切り返してきたベンジャミンが追い付いてタックルを仕掛け、サイモンの身体を組み倒す。しかし前のめりに倒れ込んだサイモンの長い腕は、ボールを白線の向こう側までしっかりと叩きつけていたのだった。
「トライ!」
「いやったぁあああああ!」
立ち上がると同時にボールを放り投げ、雄叫びをあげるサイモン。そんな彼の咆哮をかき消さんばかりの拍手喝采が、スタジアムを包み込む。
「でかしたぞサイモン!」
「俺たちフォワードで奪い取った」
俺たちはトライを決めた我らがロックに駆け寄る。
サイドを大きく切り替えた大胆なプレー。このトライを決められたのは、坂本さんというキックの名手と、サイモンという長身ロックがいたからに他ならない。
「やったよ、俺たちイングランドに先制したんだ……よ?」
200cm超の巨人の顔を覗き込んだその瞬間、俺はぎょっと目を剥いた。なんとトライ直後に猛り狂っていたあのサイモンの目から、なんと大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていたのだ。
「どうした、どこか怪我したか!?」
つい慌てて尋ねる俺に、サイモンは「お、俺……」と言葉を切らしながら答える。
「俺、よく考えてみたら、日本代表戦で自分の手でトライ決めたの……初めてだよ!」
そう言ってサイモンは、幸せの絶頂のような顔を俺たちに見せつけたのだった。
「はっはっは! 今日はお前の記念日だー、こりゃもう墓に入るまで……いや、死んだ後も天国でずっと誇っていいぞー!」
同じくニュージーランド仲間のクリストファー・モリスは豪快に笑い飛ばす。そして15年以上の付き合いになる友の背中をバシバシと叩いて、その記念すべきトライを祝ったのだった。




