第五十一章その3 世界のナンバーワン
「うう、頭いてぇ」
「ほら言わんこっちゃない。こんなのジュースだからーとか言いながら、ノンストップでスクリュードライバー5杯も空にするヤツがあるか!」
翌朝、青白い顔のままホテルのロビーを歩く西川君の頭を、中尾さんが軽くはたく。これから飛行機で移動なのに、途中でぶちまけてしまいそうだな。
「皆さん、ブレイブブロッサムズです!」
ホテルの外に出た途端、パシャパシャとシャッター音が巻き起こる。テレビカメラや新聞記者、そして国籍問わず日本代表のジャージを着た大勢のファンが、規制線の向こうに集まっていたのだ。
「次もがんばれー、応援してるぞー!」
「亮二くーん、こっち向いてー!」
「気合いだ、気合いだ、気合いだー!」
今にも興奮のあまり飛び出してきてしまいそうなファンの皆さん。そんな人垣の傍らで、でっぷりと肥えた警備員が目を光らせる。
駆けつけた皆さんに手を振り応えながら、俺たちはロータリーに横付けされたバスへと乗り込んだ。
「なあ、俺たちってこんなに出待ちいたっけ?」
シートに腰かけると同時に、俺は周りのメンバーに尋ねる。いくらワールドカップ期間とはいえ、アウェーの地であそこまで人が集まったのは初めてだった。
「いいや、大会から帰ってきた空港くらいでしかこんなにいないぞ」
「だよなぁ、多すぎね?」
他の選手たちも不思議に思っていたようで、俺の発言を皮切りに次々と疑問を口にする。
「うん、原因たぶんこれ」
そんな中、和久田君がタブレット端末を操作して俺に見せつけた。映し出されたのは動画投稿サイトだ。
再生された映像は、日本代表がコートを走る姿。俺がフランス代表3人に絡みつかれながらオフロードパスを送り、矢野君、進太郎さん、そして秦亮二と順に回されてトライを決めるまでの一連のシーンだった。
「これって、昨日の!?」
「うん、昨日のフランス戦でのトライが、あまりにもファンタスティックだって世界中で注目されてるんだよ。もう100万回以上再生されてる」
「マジかよ……」
寝耳に水な事態に驚いて、俺はろくなコメントを返すこともできなかった。
コメント欄を見てみると、たしかに俺たちのプレーが世界に絶賛されていることがわかる。日本語や英語にとどまらず、スペイン語にフランス語、中国語に韓国語、そしてアラビア語まで様々な言語がずらりと表示されていた。
もう何回でも見ていられる。
ここの13番のチップキック、鮮やかすぎる。
ひとりの卓越したプレーヤーではない。15人がビジョンを共有しているからこそ成功できた日本らしいトライだ。
視聴者から送られた、いくつもの賞賛の言葉が並ぶ。読めない言語も中にはあるが、それらのいずれもネガティブなことは書かれていないであろうことはわかった。
「小森、お前のこと世界のナンバーワンだってさ」
コメント欄の一文をめざとく見つけた中尾さんが、早速俺をからかう。左プロップの背番号は1。そこにひっかけて褒めてくれたのだろうが、声に出されるとなんだか恥ずかしい。
「世界一の左プロップて意味だよね」
和久田君が補足を入れると、石井君も「ぴったりやんけ」と同調する。
「つまりは世界一のデブってことやな」
「その言い方には語弊があるな、てか石井君にだけは言われたくない」
直後、車内がどっと笑い声で沸き立った。
ちなみに二日酔い男の西川君はと言うと、俺たちが動画を視ている間にもすっかりダウンしてしまったそうで、ずっと前屈みに俯いたまま背中をクリストファー・モリスにさすられていたのだった。
その日の内にカリフォルニア州ロサンゼルスに移動した俺たちは、軽めの練習を終えるとホテルで過ごしていた。
そう言えばアメリカに入ってきたのもここロサンゼルスからだった。広大な国土のアメリカでの大会だ、この1月半ほどの間に俺たちはどれほどの距離を飛行機で移動したのだろう。
「うん今日はね、アイリーンとイエローストーン国立公園に行ってきたよ」
夜、俺はホテルの自室で電話口の向こうの亜希奈さんと夫婦の会話を交わしていた。彼女はワールドカップが始まってからというもの、ずっとアメリカに滞在している。
「アイリーンってば子供そっちのけでカルデラだ間欠泉だって興奮しっぱなしで。やっぱ好きなんだなぁって思ったよ」
こっちは連日ラグビーで汗を流している一方、嫁さんたちは試合の無い日はママ友同士アメリカ観光を思う存分満喫しているようだ。
「スミソニアン博物館とか楽しかったよ。太一もワールドカップ終わったら行ってみたらいいよ」
「気が早いなぁ、まだ試合残ってるのに」
「ふふふ。あ、それとさ、日本の友達から聞いたんだけど、太一のこと日本のテレビじゃ世界のナンバーワンって呼ばれてるらしいよ」
「え、そうなの!?」
動画のコメントで出てきた、あの大それたフレーズが?
発生源がどこかはわからないが、知らん間に定着していたのか。
「街頭インタビューでも太一のこと話す人増えてるんだって。あだ名ってかひとつ称号ができたから、イメージしやすくなったんじゃないかな?」
「お名前効果ってすごいね。今までは日本のデブA、デブBみたいな扱いだったのに」
世界のナンバーワン、か。たしかに左プロップの第一人者って感じで呼ばれて嬉しくないわけではないんだけれども。
「いくらなんでも大袈裟すぎない? 世界のナンバーワンて」
「そうかな? 贔屓目なしに見ても、太一は超一流だと思うよ。スター性が無いだけで」
「亜希奈さん、それ、けっこーきついっす……」
スピーカーの向こうから無邪気な笑い声が上がる。同じチームで活躍できたとしても、やっぱりハミッシュや西川君とは違うよね、俺。
そして週末、俺たちはついに準々決勝イングランド戦の時を迎えた。
会場は予選プールのニュージーランド戦以来のローズ・ボウルだ。まさか2度もこの伝統あるスタジアムに立つことになるとは、夢にも思うまい。
「聞いた話だがー、日本代表の応援団がぐっと増えてるらしいぞー」
クリストファー・モリスが間延びした声を弾ませる。試合前のウォームアップを終え、ロッカールームで休んでいた俺たちはぐっと親指を立てた。
「あのトライのおかげやなぁ。俺ら今、ビッグウェーブに乗れてんで」
「そりゃ乗るしかねぇや、このビッグウェーブに」
そう言って石井君と秦亮二は互いに顔を見合せてぶっと吹き出す。このふたりは見た目もポジションも正反対だが、存外に気が合うらしい。
「もうそろそろ時間だな。じゃあ頼むぜ、世界のナンバーワンよ」
壁にかけられたデジタル時計を見ていた西川君が、俺ににやっと笑みを向ける。
「そうだね。じゃあみんな、あれやるか!」
俺が声を上げるなり、ロッカールームの日本代表選手たちは素早く互いの肩を組み、ひとつの大きな円陣を作る。格上相手だろうとアウェーの試合だろうと、この儀式だけは絶対に欠かせない。
「みんなイヤと言うほどわかっているとは思うけど、イングランドは絶対に手を抜けない……いや、抜こうなんて考え付く暇も無い強敵だ。プール戦でもすべての試合で大差をつけて勝利している」
そう言って俺は全員をぐるりと見まわし、ひとりひとりと視線を交わした。今日はスターティングメンバーである俺がキャプテンを務める。
「でも俺たちは違う、話題性なら日本の方が上だ、本番でこれは大きな力になるぞ。観客は全員、俺たちの味方だと思え! どんな強敵の15人でも、俺たちには9万2000人がついているんだ!」
言い終わると同時にスコッドの23人が「おう!」と声をそろえる。そして円陣を解くと、各々「いよし!」と気合に猛りながらロッカールームを後にしたのだった。




