第五十一章その2 つなげビクトリー・パス!
「さあ、準備はいいか?」
試合直前、ロッカールームで円陣を組んだ日本代表選手たちは、本日のキャプテンである中尾さんにじっと目を向ける。
「俺たちの目標は優勝だ、ここで躓いてなんていられない。だがそのためには目の前の勝利、気を抜かず走れ!」
そして「おう!」と気合いを入れるスコッドの23名。心身ともに準備は整っていた。
決勝トーナメント第一試合、フランス戦の舞台はテキサス州アーリントンのAT&Tスタジアムだ。
8万人収容の観客席もほぼ全席が埋め尽くされ、母国から駆けつけたファンのおかげで日本語とフランス語が入り混じった声援があちこちからあがっていた。
今日の左プロップはフィアマルが先発で、俺はベンチからのスタートになる。
キックオフでボールを丁寧に確保したフランスは、まっすぐ攻め込む……と思ったらすっと後ろにボールを戻したり、絶好の位置で送球を待つ仲間と見せかけて反対方向の味方にパスを回したりと、次にどう動くのか一切読むことができない。
「やっぱり速いですね、フランスのパス」
同じくベンチスタートの矢野君がボールを目で追うが、あっちにこっちにと忙しなくコートを行き来するのでずっと見ていると目を回してしまいそうだ。
「それだけじゃない、直前まで誰に投げるかわからないから、マークのしようも無いんだ」
どこに飛ぶのか予測不可能のパスを実現するため、フランスはボールを持っていない選手たちもとにかくよく走り回る。誰がキャッチするやら、動きのすべてがフェイントに見えてしまう。
だが日本も負けてはいなかった。一度ボールを奪えばしっかりとキープし続け、自らの足で確実に前へと運ぶ。
そして試合はハーフタイムに突入する。前半終了時点でスコアは6-7とわずかにフランスがリードしていた。トライを奪われたのは痛いが、フォワード陣が頑張ってモールやスクラムで反則を与えてくれたおかげでなんとか食い下がっているという印象だ。
後半から、俺とフィアマルが入れ替わる。矢野君も右プロップの守備に就いた。フレッシュなメンバーを投入して、逆転を狙うのが日本の算段だ。
だがフランスのパス回しは相変わらず予測のつかないもので、俺たちは苦戦を強いられる。守備ラインでは防ぎきれずあわやトライという場面も、フルバックとウイングの活躍でなんとかピンチをしのぎ続ける。
やがて後半15分、久しぶりに日本がボールを奪回し、俺の手元までボールが回される。
フランス陣営は俺がキックを使えることも熟知しているのだろう、すぐにはこちらに走り寄ってこず、戦列を整えてあらゆるプレーに備える。
これでは別の選手にパスを回しても、防がれてしまうな。
……それならいっそのこと。結論が出るよりも先に、俺は相手に向かってまっすぐ突っ込んでいた。
後半から入ってスタミナの有り余っている今の俺ならば、比較的小柄な選手の間を強引に抜けることは難しくない。
一切の躊躇なくど真ん中に突っ込んでくる俺に怖気づきながらも、相手選手はふたりがかりで俺を止めにかかる。だがそれでも俺はなおも前に進むので、慌てて3人目もタックルを入れた。
さすがにこれ以上はきつい。が、これで日本の数的優位は生まれた!
「任せた!」
四肢のあちこちを相手選手に絡まれながらも、俺は身体をひねらせて斜め後方にパスを送る。その位置には誰もいない、が次の瞬間には土煙を上げんばかりの勢いで走り抜けたひとつの影が、投げ出されたボールをキャッチした。
追い抜き際にパスを受け止めたのは、同じく後半から加わった右プロップの矢野君だった。俺と絡んだ3人の選手が地面に倒れ込むそのすぐ脇を、体重130kg近い彼は持てる力を振り絞ってまっすぐ走り抜けたのだった。
何とも珍しいプロップの独走。どすどすと地面を踏みながら、フランスの守備ラインを突破した彼はひとかけらの迷いもなく走り続けてついにセンターラインを越えた。
だがやはり足の速さだけはどうしようもない、追いついたフランス選手が低くタックルを入れ、重心を崩された矢野君の巨体が大きく傾く。そんな不安定な体勢にもかかわらず、彼は両手で抱えていたボールをふわりと後方に投げ出したのだった。
またしてもタックルの最中に飛び出した日本のパス。それが繰り出される位置を把握していたのか、ボールの軌道上に走り込んで見事にキャッチしたのはフランカーの進太郎さんだった。
「ナイスパス!」
連続のオフロードパスが、進太郎さんへとつながった!
「と、止まらねぇ!?」
どれだけ止めようとも止まらない。そんなキリの無い日本の攻撃にずっとボールを追いかけていた相手スクラムハーフのティエリーが吐き捨てる。
そう、このフォワードを中心に使ったオフロードパスこそ、フィジカルと組織力を活かした日本らしい戦い方。フランスが無限に湧き出すシャンパンラグビーならば、日本のパスは最短でゴールまでつなぐビクトリー・パスだ!
ボールを持った進太郎さんはついに22メートルライン手前まで駆け上がる。しかしそんな彼を止めるべく、俊足自慢のフランス代表ウイングはすぐ背後まで追いついてきていた。
そしてウイングが進太郎さんにタックルを入れる直前だった。進太郎さんは手にしていたボールをひょいっと軽く真横に放り投げる。
しまった、とフランス代表ウイングが顔を向けた時には既に遅かった。ボールはやや離れた位置をすっかりスピードに乗せて走っていた弟、センター亮二の手に渡っていたのだ。
タッチライン近くを走る亮二は、改めてゴールラインを見据える。ここまでフォワード陣が身体を張ってフランス選手を引き付けてきたおかげで、相手チームの守りも相当薄くなっていた。フットワークに長けた亮二にとっては、今の敵陣などガラガラも同然。
「亮二、ぶちこめぇ!」
兄の応援を受けるまでもなく、亮二は全速力で走る。
最後の砦として目の前にフルバックが襲い掛かるが、亮二は手にしていたボールを一度足元に落とすと、ポンとパントキックで蹴り上げ、相手の頭上を飛び越えさせてしまったのだ。
ゴール目前でのリスキーなキックにフルバックが戸惑う間に亮二は脇をすり抜け、そのまま落球をキャッチする。そして最後は白線を越え、とどめのグラウンディングを成功させたのだった。
「よくやったぞ我が弟よ! お前は俺の自慢の、最高の弟だぁ!」
亮二がトライを決めた直後、進太郎さんが駆け寄ってとびつく。まだ試合の真っ最中だというのに、兄の顔は涙と鼻水でずくずくに濡れていた。
「きたねぇ、あっちいけ」
口ではそう言いながらも、弟は泣きつく兄を突き返すこともなくその背中をぽんぽんと軽く叩く。
結局これが決勝点となり、日本は13-7の逆転勝ちを収めたのだった。
「いよっしゃあああ!」
「決勝トーナメント初戦突破、おめでとう!」
俺たちはビールの泡が溢れ落ちるジョッキをぶつけ合い、そして一気にぐびぐびと飲み干す。
ここは宿泊先のホテル、その最上階のバーだ。普段は眺望の良い静かな大人の空間といったところだろうが、俺たちむさ苦しいラガーマンたちが体育会系のノリで夕食後の酒盛りを始めると、せっかくのムードもぶち壊しだ。
「今日のMVPの秦兄弟、一言どうぞー」
すっかりアルコールが回って上機嫌なロックのサイモン・ローゼベルトが、そのデカい身体と長い腕で亮二と進太郎さんを引き寄せると、皆の中心に立たせる。
「ははは、またひとつ亮二の雄姿が世界に放送されてしまったな」
「あれは兄貴もだけど、太一や矢野のおかげでつながったパスだ。俺は最後にボールを置いただけ、だから俺と兄貴だけがMVPて言われるのはなんだか釈然としないな」
「うえ、自分大好き亮二君がらしくもないこと言ってるぅ」
「こりゃ明日は雪……いや、カエルが降るんとちゃうか?」
身を寄せ合う中尾さんと石井君に、すかさず亮二が「どういうことだよ!?」と言い返す。
「喜ぶのはまだだ、次の試合は今日よりも大変になるぞ」
だがそんな浮かれたメンバーに向けて、ぴしゃりと鋭い一言が投げつけられる。口にしたのはひとりカウンターに座り、ショットグラスでバーボンをひっかける西川君だ。
不動のフルバックのシビアな言葉に、俺たちはうっと黙り込む。そう、次戦の相手は北半球の雄イングランド、それも2週間休んでコンディションを整えた状態だ。
平常時でさえ日本はイングランド相手では分が悪い。ワールドカップでテンションを高めている相手に日本がどれだけ食らいついていけるかは未知数でしかない。本当はこんなにばかすかと酒を飲んでいる場合でないことは、全員がわかっていた。
「とは言っても……今夜くらいはまぁいっか! お姉さん、次はファジーネーブルで!」
ひとりカッコつけてバーにたたずんでいる間にも、彼はすでに出来上がってしまっていた。さっきのシリアスな口調とは一転、バーテンダーの女性に陽気に話しかける西川君の姿に俺たちはずるっとずっこける。
彼はビールよりも日本酒よりも、甘ーいカクテルが一番お好きなようだ。




