表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/276

第五十章その5 フランカーの見た夢

 奇しくもワールドカップで実現してしまった、久々の日韓フル代表戦。


 アジア勢同士のこの一戦を一目観ようと、日韓両国からは大勢の応援団がアメリカまで駆け付ける。このカードに注目するのはアメリカ国内に住むアジア系移民も同じで、親や祖父母の世代の祖国が世界で戦う姿を見んがため、相当数が7万人収容のメルセデス・ベンツ・スタジアムに詰めかけていた。


 そして始まった試合では世界ランキングに20の差があるとは思えないほど、真っ向からぶつかって一進一退の攻防劇が繰り返されていた。


 全体的にキックの精度に自信の無い韓国は、フォワードの体格を活かしたアタックで日本の守備を後退させ、ラックで確実に仲間につなぐ攻撃を展開する。そのおかげで一度相手にボールが渡ればこっちまでなかなかボールが戻ってこないというフラストレーションの溜まる状況に陥っていた。


 ここで下手なキックや中途半端な攻撃を行えばあっさりとボールを奪い返されてしまう。確実に勝ちを稼ぎたい俺たちは思い切ったプレーに出られず、なかなか思ったように試合を進められないでいた。


「パス!」


 後半25分、ラックで拾い上げたボールが和久田君から右プロップ矢野君へと渡される。そしてすぐさまボールを抱え込んだ矢野君が、守りの薄いサイドをひた走っていた時のことだった。


 真横から極めて低い姿勢で、キムが強烈なタックルを一撃入れてきたのだ。


 声をあげる暇すら無く、130kg近い矢野君の巨体がぐらりと傾く。同時にあまりの衝撃から手からボールがこぼれ落ち、芝の上をバウンドした。


 並走していた日本代表バックスが急いで拾い上げるものの、すぐにレフェリーがノックオンの反則で試合を止める。


「矢野君、大丈夫か!?」


「はい、大丈夫です」


 呼びかける俺に、矢野君は芝の上に倒れながらもすぐに手を挙げて応じた。


 韓国代表フランカー、キムのタックルはあのハミッシュにも匹敵していた。どんな体勢でも確実に重心を崩してくる研ぎ澄まされた一撃は、体格自慢のプロップやロックであっても簡単にひっくり返される。


 加えてそれほどの破壊力を秘めながらハイタックルなどの反則は犯さずに、実にきれいな姿勢で身体をぶつけてくるのだ。彼の芸術的ともいえるタックルは、受ける側にも絶対に怪我をさせないだけの高い技術の蓄積でもあった。


 韓国はスクラムからボールを確保し、ナンバーエイトのパク・ミョンホの足元まで楕円球を蹴り転がす。そして相手スクラムハーフはボールを拾い上げると、すぐさまバックスに回して攻撃に移った。


 その突撃を食い止めんと、日本バックス陣が先回りして相手の進路を塞ぐ。だがそこにスクラムが解けるや否や一目散に走り込んできたパク・ミョンホにボールが回されると、彼は194cmとキム以上の体格でバックスを弾き飛ばして日本の守備を突破してしまったのだった。


 倒されるバックスを置き去りにし、独走状態のキム。最後はゴール寸前でとびかかった西川君のタックルに絡まれるものの、その馬鹿力でなおも数メートル前進し、ギリギリ白線を越えると同時に倒れ込んでトライを成功させたのだった。


 これで韓国、本日2本目のトライ。スコアは27‐14とすでに3トライを奪った日本がリードしてはいるが、油断すればすぐに差を埋められるという緊張は一切途切れなかった。


 増してひとつでも順位を上げて決勝トーナメント進出を狙う日本代表にとって、単に試合に勝つだけでは意味が無い。貴重な勝ち点を稼ぐため、4トライ以上を挙げてボーナスポイントを獲得することも求められている。


 だが試合時間は後半30分、35分と残り少なくなっているのに、日本はなかなかあと1本のトライが奪えないでいた。


「あと1本、あと1本なのに」


 後半37分、センターライン付近にできたラックを歯ぎしりしながら見守っていたその時、俺の手元にボールが回される。これまもう行けるところまで行くしかないと、俺はボールを抱えてだっと駆け出した。


 だが俺は見逃していなかった。こちらをロックオンしたキム・シノが、俺めがけて魚雷のようにまっすぐ突進してきていることを。


 俺の足では彼に勝つことはできない。かといって別の仲間にパスを回すのも、今のタイミングでは効果的ではない。


 それならば。俺は覚悟を決め、ぐっと歯を食いしばった。


 直後、キムの猛獣のようなタックルが俺の腰の高さに入る。そして思った通り、俺の身体が足元から崩され、まるで空中に投げ出されたような感覚に陥る。


 自身よりも30kg以上重い俺を一撃で沈めるなんて、彼のタックルは正しく脅威だ。だがこれで、一番厄介な相手は足止めすることができた!


「頼んだ!」


 身体が地面に倒されるその最中、俺は上半身を捻らせてオフロードパスを真後ろへと送る。



 しまったと目を開きながら、キムは楕円球を目で追うことしかできない。そして力なく放り出されたそれをキャッチしたのは、スクラムハーフ和久田君だった。


 ボールを持った和久田君はその身を低く屈め、海外の選手から『ニンジャ』と呼ばれる独特のフォームで芝の上を駆け抜ける。この走法は姿勢が非常に低くなるために相手がタックルを入れても重心を崩しきれないというメリットがあり、この時もとびかかってきた大柄な韓国代表フォワードのタックルもうまく逸らして切り抜けてしまった。


 そして敵陣22メートルラインに入り込んだところで、ついに相手フルバックが襲い掛かる。このフルバックもまたタックルの名手であり、1対1ではさすがの和久田君でも避け切るのは難しい。


 だがその点も彼は抜かりなかった。フルバックがタックルを仕掛けてきたまさにその時、和久田君は相手を真っすぐ見つめて走りながらも、手にしていたボールをなんとタッチラインの方に向かって軽く放り投げてしまったのだった。


 直後、ライン際スレスレをひゅんと駆け上がってきた人影がボールを奪い去り、和久田君と相手フルバックの脇をすり抜ける。


 どよめく会場、いつの間にかボールを受け取ってゴール目指して走っていたのは、最高速まで加速した『シンカンセン』ことウイング馬原さんだった!


 日本きってのトライゲッターである彼は単に足が速いだけでなく、いつどの位置に飛び出せば良いのか、どの位置にいれば絶好のパスを回されるのかを察知する能力が非常に優れていた。和久田君のノールックパスが通ったのも、こういう状況を想定して様々なパターンでの出方をパープルバタフライズと日本代表で重ねて互いに動きをよく把握しているからに他ならなかった。


 そして今、風のようにコートを突っ切る彼の足に追いつける者は最早このスタジアムにはいない。圧倒的な独走でゴールラインを越えた馬原さんは余裕でゴールポストの裏まで移動し、そしてボールを地面に置く。


「トライ!」


 後半38分、日本4本目のトライ。そして同時に俺たちはプラス1のボーナスポイントを確定させたのだった。


 やがて試合は終了し、結果は34-14。20点の差をつけることができたものの、その内容はスコア以上に白熱したものだった。




「ありがとうな、小森」


 キムが声をかけてきたのは、試合後のアフターマッチ・ファンクションでのことだった。


「ああ、試合楽しかったよ」


 俺は自分の手に持っていたビールのグラスをキムのグラスにカツンとぶつける。


「まあそれもあるんだけど、それだけじゃないんだ。お前と和久田がいなかったら、俺きっとニュージーランドで取り残されていたよ」


 だがキムは首を横に振り、今まで一度も見せたこと無いようなしおらしい表情を見せたのだった。


「今さらな話だけど、ずっと不安だったんだ。意気込んでニュージーランドまで留学したは良いけど、周りのレベルについていけなかったらどうしようって。みんな小さい頃からラグビー文化の根付いた環境で育ったヤツらばっかりだし、もし置いてけぼり喰らったらって怖かったんだ」


 もう15年も前の話じゃないか。本当に今さらではあるが、キムの顔を見ると黙って彼の話に耳を傾けるしかできなかった。


「でもお前たちが最初に話しかけてくれて、俺すっごく嬉しかったんだ。ほら覚えてるか? 3人で初めて会ったその日、いっしょにハンバーガー食べに行ったろ?」


 キムがここぞとばかりににこりと微笑む。つられて俺も「ああ、あの時ね」と同じ顔で返した。


「入部テストの前から3人で練習積めてさ、あれがあったから今の俺があるんだと思う。そしてあの時話した俺の夢、ついに実現できたよ」


「夢?」


「ああ、ラグビーのおもしろさをみんなに伝えて、韓国を世界で戦えるチームにするってな」


 そう言い切るキムの目は澄み切っていた。その顔を見ていると、なんだか俺まで嬉しくなってくる。


「ああ、俺もそう思うよ。じゃあ次は俺が夢をかなえる番だな」


「お、小森の夢って何だ?」


「そりゃもちろん、このワールドカップで優勝して、ウェブ・エリス・カップを日本に持ち帰ることだよ」


 進太郎さんよろしく、俺はわざとらしくガハハと笑う。キムも半分呆れた様子で「こりゃまたずいぶんと大きく出たな」と頭を掻いたものの、すぐに「よし、それなら」とにやっと笑ったのだった。


「俺とお前の仲だ、お前の夢のため、俺にできることならいくらでも協力してやるよ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ああ、キムの気持ち少しわかります。 風俗の時に比べて今のリサイクル工場はなんか空気がぎすぎすしていて居心地悪い上に話をできる人がいまだ見つかってないという状態なんで。 まあ、話をできる人…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ