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第五十章その2 リベンジ、黒衣軍団

 世界経済の中心地ニューヨーク。そこからほど近いハドソン川沿いのメットライフ・スタジアムには8万2000人の観客が集まり、夜だというのに真昼のような照明が焚かれていた。


 催されているのは2039ラグビーワールドカップの開会式だ。名実ともに世界一の大都市と言えるこの地で、ラグビーはついにデビューを果たしたのだった。


 さすが国全体がこの事業をバックアップしているだけある、会場が暗転したかと思えば大掛かりなプロジェクションマッピングでスタジアムが彩られ、全米を代表するシンガーが熱唱で盛り上げる。そして大統領による開会宣言により、2か月に渡る戦いの火蓋が切られたのだった。


 開幕戦はアメリカとルーマニアだ。上り調子の開催国が欧州の古豪をいかに打ち倒すかと、押し掛けたニューヨーカーたちが大歓声で選手たちを迎える。この熱狂ぶりを見ればラグビーをよく知らないアメリカ人であっても、ついテレビのチャンネルを合わせてしまうことだろう。


 そして試合が始まったのを、俺たちは滞在先のホテルの会議室に用意された、大画面のモニターを通じて見届けていた。


「俺たち、いつも開会式見られないよな」


 コートに入場するアメリカ代表イーグルスの選手たちを眺めながらぼそっと呟くと、和久田君が諦観したように息を吐き出す。


「それは仕方ない、ここから遠すぎるよ」


 東海岸のニューヨークは既に陽も沈んでいるが、ここ西海岸のロサンゼルスはようやく午後5時を過ぎたところ、まだ夏の日差しを残す太陽が周囲を明るく照らしている。3時間も時差があると、タテに細長い島国の人間にはとても同じ国の出来事とは思えないな。


 まあ仮にすぐ近くに滞在していたとしても、自分達の試合に向けての練習のため、悠長にスタンドで観戦できる余裕なんてこれっぽっちも無いとは思うが。


 試合はアメリカが押し込む形で進むが、ルーマニアは執念の守備を見せてゴールラインを割らせない。それでも最後は大観衆の声援を背中に受けて、アメリカが力づくでトライを奪たのだった。


「やるなぁアメリカの4番」


 ガタイの良いルーマニア選手を押し退けて大会初トライを決めたアメリカ代表ロックの喜ぶ姿を見ていると、俺の頬も無意識の内に緩む。


 一昔前までアメリカのラグビー界はアメフトの競争が激しいのでラグビーに転向したという選手が大半だったそうだが、近年は第一希望にラグビーを選ぶ子も増えていると耳にしたことがある。


 そういえば最近は日本でも、特に小さな子供の間では年がら年中サッカー一筋といった一点特化よりも、夏は野球、冬はラグビーといったように季節によって習う競技を変える欧米のスタイルが定着しつつあるらしい。俺がこうやってラグビーに専念している間にも、世界のスポーツ情勢は日々変化しているようだ。


 その後も開幕戦は滞りなく進められ、最終的に31-13で開催国アメリカに軍配が上がった。このアメリカ大会の成功を予感させる、そんな幸先の良いスタートだった。


「さ、試合見たし明日も練習だ。俺たちも本番に備えて、今日はぐっすり休むぞ」


 中尾さんの呼びかけに選手たちはぞろぞろと会議室を出て、各自の個室へと戻る。30代に入ってコンディショニングに気を使う選手の割合が高い日本代表は、就寝時間にはさっさと床に入ってしまうのがほとんどだった。進太郎さん曰く「年寄りは早寝早起きなんだ」とのことだが、長く現役選手を続けていく上では試合に向けて調子を整えることは絶対条件なのだろう。


「俺たちも寝るか」


「そうだね。でもその前に、本番も近いし」


 俺と和久田君もそれぞれの部屋に戻るため、会議室の席を立つ。


 この大会、日本代表の初戦は明後日のニュージーランド戦だ。一発目にして予選プール最大の障壁と呼んでよい。


 アメリカに渡ってから調整をする間にも、俺たちはアルゼンチン、ウェールズと強豪相手にテストマッチを開催し、対オールブラックスの突破口をこじ開けんとあれこれ試行錯誤を重ねていた。


 俺たちはこの初戦に勝つため、徹底的にオールブラックスを研究した。彼らは前に出る守備故、ラインの裏にスペースができやすい。そこにうまくボールを蹴り込めれば、一気にカウンターで突っ切れる。地力で劣る日本がニュージーランドに打ち勝つには、数少ないチャンスをものにするしかない。




 そして翌々日。アメフトの聖地ローズボウルは、その長い歴史において大きな転換点を迎えていた。


 スタンドを埋め尽くす観客の大半が黒一色のジャージを着ている。オールブラックスはアメリカ国内でも大人気で、まだメジャーリーグラグビーが創設される以前の2014年にシカゴで開かれたアメリカ代表とのテストマッチでは、なんと6万人以上が押し掛けたそうだ。


 今日はその1.5倍、驚愕の9万人が俺たちの試合を観るために全米、日本、ニュージーランド、さらには欧州各地からも訪れている。


「めっちゃアウェーな気分ですね」


 コートに入場する直前、スタメンに選ばれた矢野君が苦笑いを浮かべた。俺より2つ年下で27歳の彼は、今が最も選手として脂ののった時期。ラグビーを始めたのは高校からと日本代表の一員としては遅い方だが、現在ではテビタさんの後を継いで不動の右プロップとして桜のエンブレムを胸に施している。


「大丈夫、この一戦で日本のファンを増やせばいい」


 俺は冗談ぽくも、半分本気で返す。


 かつてワールドカップ2015年大会で日本代表が南アフリカに勝利した後、大会中の試合では大勢の地元イギリスの皆さんが日本代表応援団としてスタジアムに押し掛けていた。この試合でニュージーランドを破ることができれば、俺たちはあの時以上の衝撃をもって全米の関心を集められるだろう。


 試合前のハカはまたしても『カマテ』だった。


 これまで日本代表がオールブラックスに『カパオパンゴ』を見せられたのは、前回ワールドカップ準決勝での1度のみ。


 膝を叩いて戦意を高揚させるオールブラックスの選手たち。それと相対する俺たちは23人で横一列のまま肩を組んで、じっと彼らを睨み返していた。


 舐められちゃあ困る。あんたたちに勝つために、どれほど対策を準備してきたと思っているんだ、と。


 やがてキックオフの笛とともに、ニュージーランドの選手がボールを蹴り上げる。


 相手の蹴り込んだボールをまず最初にしっかりとキャッチしたのは中尾さんだ。相手選手がわっと攻め上がるがこちらは無理をせず、ボールを奪われないよう仲間同士丁寧につなぐ。


 だがオールブラックスはとにかく前に出てボールを奪う超攻撃的守備を展開し、ボールを確保した俺たちをじりじりと後退させていった。フェーズを重ねるほど俺たちは追い込まれ、時間的にも精神的にも余裕が失われていく。ただでさえ最強なオールブラックスがどこまでも追尾してくるのは恐怖でしかない。


「小森君!」


 その時、ラックからボールを掻き出した和久田君の手から、俺の手元に楕円球がパスされる。直後、守備ラインを形成していた相手右プロップのニカウが俺をロックオンし、その巨体からは想像もできない出足の速さで飛び出したのだった。


 150kg近いニカウがこっちに向かってまっすぐ走り迫る。だが出だしはともかくスピードに関してはやはりその体重が足枷になっているのか、ワンプレーを挟むくらいの余裕は十分にあった。


 よし、今だ!


 俺は相手チームを引き寄せたところでボールから手を離し、素早くパントキックで相手守備ラインの裏にボールを放り込む。


 急遽Uターンするニカウ達。だが俺がキックに移るその瞬間には、自陣から飛び出した日本フォワードきっての俊足、ナンバーエイトのクリストファー・モリスが全速力でボールを追いかけていた。


 地面に跳ね返って高くバウンドする楕円球。走り込むのはクリストファーと、守備ラインの裏を守っていたウイングのエリオット・パルマーだ。


 ふたりがボールにたどり着いたのはほぼ同時。だがちょうど背丈よりも高く弾んでいた楕円球に小さなジャンプで先に手をひっかけたのは、クリストファーだった。身長190cmと国内ではロックも務まるほどの体格を誇る彼はあらゆるプレーに精通しており、本業でない空中戦でも力を発揮する。


 ボールを確保した彼はエリオットを力で押し退け、ゴール目指してさらに加速する。


 よし、これはもらった!


 試合中にも関わらず、俺はははっと笑みをこぼしてしまった。


 だがその時だった。スピードに乗り始めるクリストファーの背後から、ひとつの巨大な人影が猛牛のごとく駆け上がり、あっという間に追いついたのだ。


「うおー!?」


 その人影の直撃を受け、前に倒れるクリストファー。美しいとすら思えるほどきれいに入ったタックルだった。同時に地面にボールが転がり落ち、逆サイドから並走していたウイングの馬原さんが急いで拾い上げたところでレフェリーが試合を止める。


「ノックオン!」


 コールとともに、クリストファーに覆いかぶさった人影がゆっくりと立ち上がる。その黒いジャージの背中に白く浮かび上がる文字は『8』。


 そう、オールブラックスのナンバーエイトにして世界のスーパースター、ハミッシュ・マクラーセンだ!


「すっげえ!」


「あれが世界最高のタックルか!」


 ただ反則を奪っただけにもかかわらず、大喝采に包まれるスタジアム。たったワンプレーでチームのピンチを救ったハミッシュは、会場に集まった9万人のハートをすっかり鷲掴みしていた。


「そんな……」


 せっかくのチャンスだったのにと、俺は頭を抱える。


 そして同時に疑問にも思うのだった。あのハミッシュの反応の速さは尋常ではない、まるで俺たちが次に何をするのか予想していたような……。


 そこまで考えて、俺ははっと気付かされたのだった。本当に単純なことだ、オールブラックスも自分たちの弱点をしっかりと把握し、対策を講じていたのだと。

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