第四十九章その5 歴代最強の地上最強軍団
日本はオールブラックスの猛攻を、必死に耐えしのぐ一方だった。
バックス陣ですら軒並み100kg超の恵まれた体格を誇り、まるでフォワード戦のように真正面から身体をぶつけてくる。
それでいてステップの技術や加速、キックコントロールも優れているので、来るかと思って待ち構えていると一瞬でかわされてすり抜けられてしまう。この突破を防ぐだけで、日本の選手は精いっぱいだった。
運良くボールを奪えても安心はできない。日本選手がボールを持つと、相手は俺たちが動くよりも先に駆け付けて強引にボールを奪い取りに来るのだ。
そんなオールブラックスの前に出る守備は、俺たちに次どこにボールを回そうかと考える暇を一瞬も与えてくれない。こちらがボールを持って前に進もうとしても、気が付けば自分たちが後退させられている。
そしてこちらがノックオンでもしようものなら、相手はすぐさま拾い上げてアドバンテージを活かしたまま直進し、あっけなくトライを決めてしまうのだった。
ボールを抱えたクリストファー・モリスに、ハミッシュの強靭な身体が突き刺さる。やがてふたりとも倒れ込んでラックが形成されるなり、仲間の日本フォワードが壁になって相手からボールを守る。通常ここまで守りを固めてしまえば、日本の出方を窺うのが相手にとっても安全策になるだろう。
だがオールブラックスは違った。205cmのローレンス・リドリーら特に体格自慢の選手たちが突っ込んで、無理矢理にラックをこじ開けてボールを奪おうとしてくるのだ。これではろくに戦列を整える暇すら無い。
相手にボールを奪われるよりはとスクラムハーフ和久田君は急いでボールを仲間に回すものの、準備が整っていないので中途半端な攻撃しかできずに奪い返されてしまうのがオチだった。
今回も結局、バックスがボールを回されたところで相手のタックルを喰らい、ノットリリースザボールの反則で相手にボールを渡してしまうという悪循環を抜け出せないでいた。
「くそ、壁が迫ってくるとかデモンズウォールかよ」
「中尾、お前の例えはいちいちわかりにくい!」
ペナルティゴールが決まってニュージーランド3点が追加されるところで、中尾さんのひとりごとに進太郎さんがすかさず言い返す。
だが言いたいことはなんとなくわかる。前半だけでもう3トライ、対するこっちは1回ペナルティゴールを奪い返したのみ。南アフリカとアルゼンチンの試合を見て傾向を知った上でこれなのだから、もし前知識無しにぶつかっていたらより一層悲惨なことになっていただろう。
オールブラックス、強すぎる。それもこれまで戦った中でも間違いなく最上のチームだ。もしかしたら今の彼らは、歴代でも最強のチームに君臨しているのかもしれない。
前半35分、既に日本代表、特にフォワードはフルマラソンでも走り終えたかのように疲弊しきっていた。
「小森、お前も後半交代した方がいい」
日本のノックオンで試合が止まったその時、足取りもフラフラな中尾さんが俺の背中をぽんと叩く。悔しいが彼の提案には、無言のまま頷き返すしかなかった。後半からキャプテンはスタンドオフ坂本さんに引き継いでもらおう。
「ですがこのままでは終われません……せめてトライ1本でも!」
自然と俺の口から言葉が湧きだす。それを聞いて中尾さんは「もちろんだよ」と不敵な笑みを見せつけた。
試合は相手ボールのスクラムから再開される。
ゴールまで20メートルほど離れているためかオールブラックスはスクラムトライを狙わず、ボールを丁寧に確保したまま後方へと蹴り転がした。
そして相手スクラムハーフはナンバーエイトの足元から楕円球を拾い上げると、和久田君にも劣らぬ素早いパスを仲間のバックスに送ったのだった。
バックス同士がパスをつなぎ、最終的にウイングのエリオット・パルマーまでボールが渡される。エリオットは追加点を奪わんとゴールラインめがけ守りの薄い日本陣内を駆け抜けた。
だがそこに弾丸のごとく飛び掛かったのはフルバック西川君だった。体格面で勝る西川君の鋭い突進をもろに受け、エリオットはゴールを目前にしながらポロリとボールをこぼす。
そこに駆け付けたのは坂本さんだった。彼はすぐさまボールを拾い上げると、パントキックで敵陣めがけて大きく蹴り放つ。
ボールはセンターラインを越え、相手陣内でバウンド。それを拾い上げんと前に出てきた相手フルバックに、真っ先にタックルを入れたのは日本の特攻隊長こと進太郎さんだった。
だがさすがはオールブラックスの守護神を任せられるだけはある、進太郎さん渾身の一撃にも相手は踏ん張って立ち続けたのだった。
だがこれでいい。近くにパスを回す仲間のいない相手がボールを守る間に日本選手たちが我先にと駆け集まったおかげで、相手フルバックに第二第三のタックルが連続して入れられる。
一方のニュージーランド代表は超攻撃的な前に出る作戦が仇となり、大勢が日本陣内深くまで攻め込んでしまっていた。そのため一瞬で戻されたボールを追うのに対応が遅れ、その隙に日本は人数を武器にまるで群がるハイエナのごとく相手選手を押し倒したのだった。
そして鈍足のおかげで駆け付けるのが遅れた俺は、ちょうど背中から倒れ込んだ相手が抱え込むボールに両手をかけ、抵抗する相手のことなどまるで意に介さず楕円球をもぎ取ったのだった。
あとは白線を越えるのみ! 俺はゴールラインめがけてどすどすと走り出す。
「あの1番を止めろ!」
ようやく追いついたオールブラックスの選手たちが次々と俺めがけてタックルを入れる。
だがここで倒れるわけにはいかない。俺は膝をつくまいと身を屈めて重心を落とし、まるで一本の大木にでもなり切ったかのように足の裏にすべての体重を任せて2人のタックルを耐え抜いた。
その時、ぐらりと俺の身体が大きく傾く。3人目、タックルを入れてきたのはなんと世界のスーパースター、ハミッシュ・マクラーセンだった。
さすがにこれはまずい。俺の身体がコントロールを失って地面に倒れ込む、まさにその直前のこと。
「まだだ、あと2メートルもないぞ!」
身体の傾きがぴたりと止まる。見ると駆け付けた中尾さんら日本代表選手が俺の背中を支えてくれていた。
ちょうどそこでレフェリーの判断により、現在の密集がモールと認定される。
「チャンスだー、このまま押せー!」
後ろから聞こえるのはクリストファー・モリスの声だ。彼の一声をきっかけに、日本代表はフォワードもバックスも隔てなく全員が密集に参加する。そして集まった10人以上の力を結集させ、俺たちは必死で相手を押し返して前へと進む。
ついに俺の足がゴールラインを越えた!
と同時に双方の選手たちが崩れるように倒れ込み、レフェリーがホイッスルを響かせる。
「オールブラックスのコラプシング! ペナルティトライ!」
判定が告げられた途端、地面で折り重なっていた俺たちは跳び上がり、そして「イェーイ!」と抱き合って歓声をあげた。
相手の反則が無ければ確実にトライが決まっていたと判断された場合、ペナルティトライとして得点が認められる。俺たちは戦力で劣りながらも、歴代最強のオールブラックスから反則を誘ったのだ!
しかもペナルティトライの場合はコンバージョンキックは行われない。トライの5点に加えてキックの2点、つまり7点が自動的に加算されるのだ。
そしてちょうどこのタイミングで前半終了の笛が鳴る。これまで南アフリカ、アルゼンチンと世界の強豪に1本のトライも許さなかった相手に一矢報いたところでのハーフタイムという、なんとも気持ちの良い展開だった。
しかし後半、日本は追加点を奪うことはできずに30-10で敗北してしまった。前半最後の場面は良かったものの、俺たちはオールブラックスの引き立て役にしかならなかったのだ。
「あれとワールドカップでぶつかるとか……」
「だよなぁ」
足取り重くロッカールームに引っ込む日本代表。ずっと守備で走り回されていたおかげで、試合開始前とは見違えるほど全員がげっそりとやつれていた。
「こんなに疲れたの、久しぶりだよ」
「俺もだ、もう腰が痛い」
絶望的なまでの力の差を見せつけられ、選手たちもすっかり気落ちしている。口から発せられるのは普段強気な彼らとは縁遠いネガティブな言葉ばかりだ。
そんな中で俺は何も言わないまま、ベンチにどさっと腰を下ろす。そして半ば自棄になってスポーツドリンクのキャップを開けると、ぐいっと一気に飲み干したのだった。
「あんな歴代最強チームが一発目なんて、運が悪かったとしか言いようが」
近くにいた選手が自嘲気味に笑う。その隣で俺はボトルから口を離し、そしてすぅっと息を吸い込んだ。
「始まる前から弱気になるんじゃない!」
自分でも驚くくらいの大音量だった。ロッカーがびりびりと震え、へへへと苦笑いを浮かべていた選手たちもびくりと跳ね上がる。
しんと静まり返るロッカールーム。柄でもなくつい怒鳴ってしまった俺は「やっちゃったかな?」と思いつつもぽかんと口を開いて固まる仲間たちをじっと睨み返した。
「小森、よく言ってくれたよ」
そんな俺の背中をポンと叩いたのは西川君だった。彼はにこりと優しい微笑みを俺に向けると、それと同じ顔で部屋の中の選手たちをぐるりと見まわしたのだった。
「オールブラックスが強いのはずっと前からわかり切っていたことだ。今さらぎゃーすかこーすか騒いでも決まってるものは仕方ない。それにプール戦で1位を取れなかったからってすぐ諦める必要はねぇんだ。ベスト12から決勝戦まで、決勝トーナメント全部勝てば優勝だもんな」
「そ、そうだよな」
「ははは、当たり前のこと見落としていたよ」
西川君が話し終えたところで選手たちの表情に余裕が戻る。それはもうダメだという自虐的なものではなく、ダメならダメなりにやれるだけやってみようという前向きな感情に思えた。
「西川君、ありがとう」
たちまち穏やかなムードに包まれるロッカールーム。俺はそっと西川君に耳打ちした。
「いいってことよ、俺とお前の仲だ。だがそうだなー、あげっぱなしってのも気分が悪いだろうし、せっかくだから資生堂の白桃パフェで手を打ってやるぞ」
にししと笑う西川君。俺は「せめてストロベリーで」と指でバッテンを作って返したのだった。




