第四十九章その1 新しい家族
「パープルバタフライズ、今日の試合も見事勝利!」
この日、7万人が押し寄せた日産スタジアムで、俺たちは南アフリカの強豪クラブ相手に白星を挙げていた。
「よっしゃあ!」
「応援ありがとうございまーす!」
仲間たちといっしょになって、俺は大歓声にこたえて手を振り返す。着ているのは青紫を基調としたパープルバタフライズのジャージだった。
その後、俺たちがコート脇まで移動すると、マスコミのテレビカメラが一斉にこちらに向けられる。同時に駆け寄ってきた若い女性のリポーターが、マイクを向けて尋ねてきたのだった。
「ではキャプテンにインタビューです。小森さん、いかがでしたか?」
「はい、今日の相手は強敵でしたが、皆さんの声援のおかげでなんとか競り勝つことができました」
テレビカメラに向かってはきはきと答える。このスタジアムの中だけでなく、きっと今頃テレビやパソコンを通じて何百何千万という人数がこのインタビューを見てくれていることだろう。
2039年4月。29歳を目前に控えた俺、小森太一は日本代表候補を多く擁するスーパーラグビーのパープルバタフライズでキャプテンとして定着していた。
オークランドのユニオンズから日本のパープルバタフライズへと移籍したのは2036年のシーズン終了後だ。中学で留学してから生活の拠点をずっとニュージーランドに置いてきた俺にとって、日本に住所を戻すのは12年ぶりのことだった。
このチームで過ごすのも3シーズン目。出戻ってきた俺がキャプテンになるのは不安の声も少なからず上がっていたものの、日本代表で共に戦ったメンバーが多く所属することもあってすんなりと打ち解けることができたのは幸いだった。
「では小森さん、ありがとうございます。それでは次は後半のトライで活躍しました、中尾選手と秦進太郎選手のおふたりにインタビューしてみましょう」
「中尾が活躍? おいおい、こいつ前半のラインアウトでボール取りこぼして、危うく失点するところだったぞ」
「うっさい進太郎、お前だってせっかくのキックパスをノックオンにしたじゃねーか。あれが決まってたらここまで接戦になることも無かったんだぞ」
全国のお茶の間にののしり合いを晒す中尾さんと進太郎さんの三十路独身コンビ。そんな彼らのやり取りを呆れながら見つめていたところで、観客席から「太一ー!」と声が届く。
「あきなー!」
俺はスタンドの方に顔を向けると、今一度大きく両手を振る。その俺に高く上げた右手を振り返すのは最愛の妻、亜希奈さんだった。
そんな彼女の左腕には、うとうととまどろむ小さな男の子が抱きかかえられていた。
「亮太郎ー、ちゃんと見てたかー!?」
大声で尋ねる俺に、亜希奈さんは「だめ、完全に寝てる」と手首をぶんぶんと横に振る。この大歓声で寝てられるって、将来大物だな。
「すっかり大きくなったね亮太郎君も。いまいくつだっけ?」
後ろから和久田君が話しかける。微笑ましい母子のようすを見て和んだのか、試合直後とは思えぬほど穏やかな表情だ。そんな彼に、俺は苦笑いを返した。
「もうすぐ2歳だよ。まったく、誰に似たんだか」
もうおわかりだろう。4年前に結婚した後、俺はすでに一児のパパになっていた。
「亮太郎、もう寝たよ」
夜、寝室からリビングに戻ってきた亜希奈さんはうーんと大きく伸びをしながらカウンターキッチンに向かう。
「本当よく寝るな。こりゃ将来でっかくなるぞ」
「そりゃ太一の子だもん、きっとおっきく逞しくなるよ」
ダイニングテーブルで缶ビールを片手にニュースを見ていた俺が話しかけると、亜希奈さんも冷蔵庫から350ミリリットルの缶ビールを取り出し、そして俺の向かいの席に腰かけた。彼女が細い指でプシュッとタブを外すと同時に、缶の隙間から白い泡が少量飛び散る。そして俺たち夫婦は互いに「かんぱーい」と缶をぶつけたのだった。
ここは俺の自宅、横浜市街地にもほど近い高層マンションの一室だ。今は賃貸契約だが、いつか亮太郎が大きくなって、2人目、3人目も育てることを考えれば、近い将来一軒家を購入しようと夫婦でよく話し合っている。
パープルバタフライズは全国各地の選りすぐりが集まるチームなので、メンバーはスタジアム近くの宿舎で宿泊している者がほとんどだ。だが東京や横浜で試合があるときには、自宅の近い俺はこうして家族の元に帰してもらっていた。
「今年はいつにも増して絶好調だね。これならワールドカップも期待できるかも」
「ああ、みんな本番に向けて日々テンション高めてるよ。若い子もどんどん強くなっているから、俺たちも油断できなくってさ」
輝かしい結果で終わった2035年大会からもう4年。またしてもワールドカップがやってくる。
今大会の開催地は、なんとアメリカだ。
かつてはラグビー不毛の地とも呼ばれた北米にメジャーリーグラグビーが発足して20余年、ワールドカップの決勝トーナメントにも進出できるレベルまで実力を高めたアメリカラグビー界は、ついに念願の自国開催を叶えたのだった。
それでもまだ、アメリカのラグビーはやはり世界トップクラスの国々からはまだ離されている。本当に客が集まるのかと、疑問に思う方も少なくないだろう。
だがその点は安心してほしい。世界一の大国だけあってヨーロッパからも南太平洋からも交通手段がしっかりと確保されており、大人数を受け入れる施設もしっかりと整えられている。世界中のファンが大挙して押し寄せても、全員を余裕で寝泊まりさせられるだけのホテルが用意されているそうだ。
そして何より世界一のスポーツ大国だけあって、10万人以上収容可能な競技場がそこら中にごろごろとあるのがアメリカのすごいところだ。日本最大規模の日産スタジアムが7万2000人収容であることと比べれば、本当に桁がひとつ違う規模の観客を呼び込める。
四大プロスポーツにはまだ及ばないものの近年では北米でのラグビー人気も確実に高まってきており、アメリカ代表と強豪国のテストマッチならば7万人以上が詰めかけることも珍しくない。統括団体であるワールドラグビーも新たなビジネス開拓のため、アメリカ開催を積極的に後押ししている。この大会は世界のラグビー界にとって、またひとつ大きな躍進を遂げるきっかけになるだろう。
だが一方で、俺たち日本代表候補は不安を隠しきれないでいた。
前回大会で3位に入った日本は予選免除で本戦に出場できてはいるものの、ワールドカップ後のテストマッチで強豪国に連敗し、世界ランキングの順位を落としてしまったのだった。
その結果、組み合わせ抽選会では各プールトップの位置に入ることはかなわず、本番では以下のような組み合わせでプール戦をこなすことに決まったのだった。なおカッコ内の数字は、現時点での世界ランキングを表している。
プールA
アメリカ(11・開催国) オーストラリア(6) フランス(9) ルーマニア(16) ロシア(20) ブラジル(25)
プールB
ニュージーランド(1) 日本(4) アイルランド(7) ジョージア(14) ウルグアイ(17) 韓国(24)
プールC
南アフリカ(2) ウェールズ(5) イタリア(12) フィジー(13) サモア(15) ポルトガル(21)
プールD
イングランド(3) スコットランド(8) アルゼンチン(10) トンガ(17) カナダ(18) ナミビア(22)
まさかのニュージーランドと同組。いくら俺たちが以前とは比べ物にならないほど強くなったと言っても、まだ世界最強オールブラックスからは一度として白星を奪えてはいない。
予選プール1位突破はかなり難しい。同組のアイルランドも侮れないチームである以上、前回大会よりも厳しい戦いになるのは確実だった。




