第四十八章その1 人生の門出
「それでは、新郎新婦の入場です」
がらりと開けられる観音開きの大きな扉。その先に広がるチャペルには、家族や親戚一同が待ち構えていた。
ゲストの拍手に迎えられ、俺はゆっくりと前に歩き出す。そしてぐっと横に突き出した右腕には、純白のウェディングドレスを纏ってすぐ隣を歩く亜希奈さんの左手が添えられていた。
そう、今日は俺たちの結婚式だ。12月とは思えないほど穏やかな暖かさに包まれた朝、人生最大のイベントとも呼ぶべきこの日を俺は無事に迎えていた。
場所は横浜市内のホテル、形式は人前式だ。ふたりで誓いの言葉を述べた後に指輪を交換し、結婚誓約書にサインを入れる。そしてゲストからの拍手による承認を得た後、俺と亜希奈さんはチャペルを去る。
挙式の後は別会場にて、結婚披露宴が催される。最大300人収容の大広間には、先ほどのチャペルには入り切れなかった招待客が大勢列席していた。来ているのは現在所属するユニオンズのチームメイトに横浜の小中学校の友人、そしてニュージーランド留学時代の友人だ。
ラグビーコートとボールを象ったウェディングケーキの入刀の後、昼食を兼ねた食事と歓談が開かれる。その最中、ゲストがテーブルごとにひとりひとり俺たちの元に歩いてきて声をかける。
「小森、ハッピーウェディング! 幸せにな!」
「浜崎、ありがとな!」
浜崎はラグビー強豪私大に入学したものの、結局4年間一軍で登用されたことは一度も無かった。だがラグビーへの情熱は誰よりも強く、卒業後は地元プロクラブ横浜グレイトシップスのフロントスタッフに就職したのだった。現在は広報担当としてチームのために日夜走り回っているそうだ。
「いつでも店来てくれよ、お前たちの特等席、用意しておくからさ」
「ハルキもありがとうよ」
ハルキは今も実家の中華料理店で、父親といっしょに店を切り盛りしている。ラグビーファンの間ではラグビー観戦しながら中華を楽しめる店として、すっかり有名らしい。
また夕方からはハルキの主催で二次会が開かれることになっている。ここからほど近い中華街の、修業時代にお世話になった高級レストランのオーナーに頼み込んで、特別に会場を借りることができたそうだ。
「チアゴ、遠くからありがとうな!」
「お前のためなら地球一周くらいへっちゃらだよ。俺も久しぶりにみんなと会えて、嬉しいよ」
小中とスクールでいっしょだったチアゴも、ブラジルから飛んで帰ってきていた。現在彼はブラジル人では数少ないプロラグビー選手として、アメリカのプロリーグに所属している。そして次のワールドカップにブラジル代表を出場させることが今の目標らしい。
そしてここに来ているのは小中学校時代の友人だけではない。留学時代の友人も、特に同い年のメンバーが大勢訪れていた。
「いやぁ、和久田に続いてお前も結婚しちまうとはな。俺も急がねえとって焦っちまうぜ」
大阪ファイアボールズ所属の韓国代表キム・シノが小さく拍手しながら俺たちに話しかける。
彼は今回のワールドカップに初めて出場したものの、結果は全敗で終わってしまった。だがルーマニアとトンガに奮戦し、勝ち点2を奪えたのは母国のラグビー界を大いに勇気づけたという。実際にここ数年、韓国ではラグビーをやりたいという子供が急激に増えているそうだ。
「そうだよぉ、羨ましい限りだよぉ。それも小学校からの幼馴染だなんてぇ」
その隣ではオールブラックスとして世界一の座に2度も立っているニカウが、相も変わらずのんびりとしたペースで話していた。よくよく考えたら今この会場にいるメンバーの中では、ニカウが一番のビッグネームなんだよな。
そして披露宴は滞りなく終了し、通常ならここでゲストが帰宅するところだろう。
だが俺たちの式は、ここで終わりではない。マイクを持った和久田君と西川君が、「えー、では」と皆の前に出て呼びかける。
実はふたりは披露宴後に何かを計画してくれているようで、だいぶ前から「頼む、披露宴の後に時間を空けてくれ!」と懇願されていた。そのため俺たちは式のスケジュールに余裕を持たせ、披露宴終了後から夕方から始まる二次会までの間、彼らに任せていたのだ。
「皆さん、この披露宴が終わりましたらホテルの外に出てください。バスを用意しております」
会場がざわつき、俺も「ええ?」と声をあげる。
会場を移動するのか? そんなこと、まったく聞いて無かったぞ。
ホテルのロータリーに出ると、たしかに40人乗りのバスが数台横づけにされていた。冗談かとも思ったのに、どうやらガチのようだ。
このタイミングで新婦はヴェールやら床を引きずるほど長いドレーンやらで動きにくいウェディングドレスを脱ぎ、二次会にも使用できるシンプルな白のパーティードレスへと着替えを済ませる。
そしてゲストと新郎新婦が乗り込むと、バスは行き先も告げずに発進したのだった。
そして揺られることおよそ10分、バスは三ツ沢公園に到着した。ここは横浜市街地の中にありながら陸上競技場や球技場を備えた大きな運動公園だ。神奈川県内の高校サッカーやラグビーの試合が行われる会場として、県民に親しまれている。
バスから降りた俺たち新郎新婦とゲストたちは、誘われるがままに連れ歩かされる。そして案内されたのは、1万5000の観客席を備えた球戯場だった。
「ここで何するんだよ?」
誰もいないグリーンの芝。観客席まで出てきた俺は、きょろきょろと左右に首を振った。
その時、後ろから「小森!」と誰かが名を呼んだ。
耳に覚えのある男の声だ。まさかと俺は振り返った俺の目に飛び込んできたのは、元日本代表キャプテンのジェローン・ファン・ダイクさんだった!
「よう結婚おめでと、と、何だよその顔、俺のこと忘れちまったのか?」
忘れるわけがあるものか。俺が初めて日本代表になった時、そして初めて出場したワールドカップでのキャプテンだ。
「ジェローンさん!?」
まさかの思わぬ大物の登場に、俺は固まってしまった。
現在33歳になったジェローンさんは選手としては引退したものの、スポーツ解説者としてテレビから引っ張りだこらしい。どっちかというと口が上手いのでお笑いのできるタレントとして重宝されているそうだが。
「ははは、お前もとうとう所帯を持つと思うと、感慨深いものがあるな」
そのジェローンさんの背後から、のっしのっしと巨大な影が現れる。
「テビタさん!」
先のワールドカップで正キャプテンを務めたテビタさんだ。ワールドカップで2度負傷したものの、何の後遺症も無くぴんぴんしている。
「結婚おめでとう、小森!」
いつの間にか俺の周りには、見知った顔であふれていた。秦兄弟に中尾さんとサイモン・ローゼベルトのロックコンビ、クリストファー・モリスに矢野君といった日本代表メンバーが俺と亜希奈さんを取り囲んでいたのだ。
そんな日本代表メンバーをかき分けるようにして、ひとりの男が俺たちの元へと近づく。
「よう」
その顔を目にした瞬間、俺だけでなく亜希奈さんも、そしてゲストの皆さんも「えええ!?」と目を剥いて驚いた。
「ハミッシュ!? なんでここに!?」
「お前の結婚を祝いに来たんだよ。それ以上のものは無い」
そう、世界のスポーツ界で知らない者はいない、ハミッシュ・マクラーセンその人だった。世界のスーパースターは不敵に笑いながら俺たち新郎新婦を見遣ると、「結婚おめでとう」と拍手を贈った。
そしているのはハミッシュだけではない。彼の背後にはさらに大勢の、見知った顔が並んでいたのだ。
ローレンス・リドリーやエリオット・パルマーらオールブラックスのメンバー、アレクサンドル・ガブニアにジェイソン・リーといった海外で活躍する留学仲間、そしてスティーブン・ニルソンやティエリー・ダマルタンのような他国の強敵まで。
これまでラグビーをやって知り合った世界のメンバーが、この横浜に集結している!
「みんな、なんで……あれ、その服は?」
「へへ、ようやく気付いたか」
西川君がシャツの胸を両手でぴんと引っ張る。見るとここにいるメンバーは青一色のジャージを着ている者と、赤一色のジャージを着ている者とでちょうど半々に分かれていた。
「では出そろったようですし、ネタばらしといきますか」
突如、スタジアムのスピーカーから耳になじんだ声が響く。浜崎の声だ。
「これから小森太一君と南亜希奈さんのご成婚を祝して、世界各国から集まった30人により『チーム新郎』と『チーム新婦』のスペシャルマッチを行います!」
俺は絶句した。そんな新郎新婦のことなど一切気にせず、周りのラガーマンたちは「うぇーい!」と歓声をあげる。
どうやら俺が知らない間に、西川君たちは世界中の知り合いに声をかけてこのスペシャルマッチを計画したらしい。ジェローンさんやハミッシュの伝手もあり、もおもしろそうだからと他国からやってきた選手も少なくないそうだ。
「青がチーム新郎、赤がチーム新婦で分かれてるからな。ふたりがいつまでも仲睦まじくいられるよう、代わりに俺たちが夫婦喧嘩をやってやるってなもんだよ」
進太郎さんがガハハと笑う。
「ひっでえな、ここでチーム新郎が負けたら太一一生勝てねえじゃん」
すかさずキムがツッコミを入れた。このふたりは大阪でいっしょにプレーしている先輩後輩の仲だ。
「ほれ、スクリーン見てみろよ」
中尾さんに言われるがまま、俺は電光掲示板に目を移す。そこにはチームの内訳が、でかでかと表示されていた。
チーム新郎
左PR フィアマル(日本)
HO アレクサンドル・ガブニア(ジョージア)
右PR 矢野侑大(日本)
左LO ローレンス・リドリー(NZ)
右LO サイモン・ローゼベルト(日本)
左FL キム・シノ(韓国)
右FL 秦進太郎(日本)
No8 クリストファー・モリス(日本)
SH 和久田秀明(日本)
SO フィリップ・ヒューズ(ウェールズ)
左WB 馬原和樹(日本)
左CT リカルド・カルバハル(アルゼンチン)
右CT 秦亮二(日本)
右WB ナレディ(南アフリカ)
FB 西川俊介(日本)
チーム新婦
左PR ギオルギ・ルスタヴェリ(ジョージア)
HO 石井秀則(日本)
右PR ニカウ(NZ)
左LO ヘルハルト・クルーガー(南アフリカ)
右LO 中尾仁(日本)
左FL ベンジャミン・ホワイト(イングランド)
右FL ジェローン・ファン・ダイク(日本)
No8 ハミッシュ・マクラーセン(NZ)
SH ティエリー・ダマルタン(フランス)
SO 坂本パトリック翔平(日本)
左WB パク・ミョンホ(韓国)
左CT スティーブン・ニルソン(豪)
右CT チアゴ・モリモト(ブラジル)
右WB エリオット・パルマー(NZ)
FB ジェイソン・リー(カナダ)
「一部本職でないポジション任されているのもいるけど、そこは勘弁してくれ」
中尾さんがてへっと自分の頭を小突く。だがそんなことはどうでもよかった。この日のために世界中からみんなが集まってくれた。それだけで俺には十分だった。
「みんな……」
さっき披露宴では泣かないぞとぐっと涙をこらえていたのに。こんなの……耐えられるわけないじゃないか。
もうかまっていられるものか。俺は涙に濡れた顔で、「ありがとう」とみんなに告げた。




