第四十七章その5 帰ってきた日本代表
「さて、今夜はスタジオにビッグゲストをお招きしています。先週終了したワールドカップで大活躍、ラグビー日本代表の皆さんです!」
興奮を抑えるように話す男性アナウンサー。その声に合わせて桜のジャージを着た秦兄弟、西川君、和久田君、そして俺のひな壇に並んだ5人は、テレビカメラに向かって「どうもー」と頭を下げる。
「皆さん、ワールドカップで南アフリカを破っての3位、おめでとうございます! 西川さん、世界の勢力図をまたひとつ変えることができたその時、どのようなことを思われましたか?」
「はい、日本で応援してくださったファンの皆様、コーチやクラブ、そして今まで自分を支えてくれた家族や友達にありがとうって。もう感謝の気持ちでいっぱいでした」
さすがは西川君、司会者からの突然のフリにも慣れた様子で対応する。
1週間ほど前、ワールドカップで3位に輝いて帰国した日本代表は、成田空港に到着するなり待ち構えていた数千人というファンの大歓声に迎えられた。あまりにも人が来すぎたせいで、大勢の警備員を動員して空港の入場制限が行われるほどだったという。
現在メンバーは各々がテレビ番組や雑誌の取材に大忙しで、とても集まってなどいられない。
この日も俺たちは夜のスポーツニュース番組のゲストとして出演していた。まぁメインは秦亮二と西川君のイケメンコンビであって俺は添え物、ドリフで言うと高木ブーみたいな立ち位置なのだが。
「では、日本の戦いの記録をVTRで振り返ってみましょう」
スタジオの大画面がぱっと切り替わる。そして勇壮なBGMとともに仰々しいテロップが表示され、プール戦から決勝トーナメントまでワールドカップのすべての試合のダイジェスト映像が流れ始めたのだった。
自分たちのプレーを眺めながら、俺はつい先日の2か月弱の連戦を思い返す。ああ、もうちょっと内側から攻めていたら相手を潜り抜けられたのに、もっと早く反応していたら相手を防げたのに。良かったと感慨に浸るよりも、反省すべき点の方が多いくらいだ。
それにしても……よくもまぁこんな大それたことをやってのけたものだと我ながら感心する。
今年のワールドカップの最終的な順位は、以下のようになった。
ワールドカップ2035オーストラリア大会結果
優勝 ニュージーランド
準優勝 オーストラリア
3位 日本
4位 南アフリカ
ベスト8
イングランド アルゼンチン ウェールズ アイルランド
ベスト12
フランス スコットランド フィジー ジョージア
プール4位(次回大会予選免除)
イタリア トンガ カナダ サモア
プール5,6位
ロシア ナミビア ルーマニア 韓国 アメリカ ポルトガル ウルグアイ ドイツ
前回2031年アイルランド大会に続き、ニュージーランドが連覇を果たしていた。ワールドカップの連覇はニュージーランド自身が2011年、2015年大会で達成して以来のことだ。
そして同時に、ニュージーランドは自身の持つ最多優勝回数記録を6回とさらに更新した。これまで開催された13回のワールドカップの内、実に半数近くでニュージーランドは優勝に輝いていることになる。
日本代表も史上初の3位と、世界を仰天させるに十分な成果を挙げることができただろう。特に最後の3位決定戦では圧倒的不利という前評判を覆して南アフリカに勝利してしまったものだから、試合後から今日に至るまで日本国内だけでなく世界中のメディアが日本代表の取材に殺到している。
そして日本の劇的な勝利に多くの人がかつてのあの試合を重ねたのだろう、20年前の「ブライトンの奇跡」が民放のゴールデンタイムにフルで再放送されるという珍事まで発生してしまった。
衝撃はそれだけではない。世界ランキングにも、大きな変動が見られたのだ。
世界ランキング(2035年ワールドカップ終了時点)
1.ニュージーランド
2.日本
3.オーストラリア
4.南アフリカ
5.イングランド
6.ウェールズ
7.アイルランド
8.アルゼンチン
9.フランス
10.スコットランド
なんと南アフリカを抜いて、日本が世界2位に躍り出てしまった!
当然ながらこんな事態、天地開闢以来初めてのこと。かつては永遠に叶うはずが無いとさえ思われていた出来事だ。この一件についてはラグビーだけでなく、野球にサッカーにテニスにとあらゆるスポーツに「やればできるんだ!」という想いを根付かせたと多くのスポーツ記者が評している。
しかしそれでもまだ、世界一にはなれていない。
歴史的快挙であることに疑いの余地は無いのだが、俺たちがいるのはまだ世界の2位だ。1位の椅子がある以上、さらなる高みを目指したいと思うのは競技者として自然なことだろう。
あと一歩、日本はどうすれば世界の頂点に立てるのだろう?
ついうーんと考え込んでしまう。そんな調子だから司会者が「では小森さん」と声をかけてきたことに、俺は「は、えは!?」と間抜けな声を返してしまったのだった。やべぇ、上の空で全然話聞いてなかったぞ!
「代理でキャプテンを3度務めた小森さんとして、これから日本のラグビーをどう引っ張っていきたいですか?」
ああ、そういうことね。俺は跳ね上がった心臓を押さえながら、「やっぱり3位になったのですから、これからはさらなる上を目指していきたいです」と平静を装う。
「さらなる上、というと具体的に?」
追及する司会者。その勢いに圧され、俺は「そりゃもちろん……優勝ですよ!」と強く答えるしかなかった。なんだかのせられてしまった感はあるが……まあいいか。
「そういえば昨日のテレビ見たよ。絶対、違うこと考えてたでしょ」
「見抜かれてた?」
「バレバレ」
翌日、地元横浜の喫茶店にて、俺は婚約者の亜希奈さんと対面してコーヒーを飲んでいた。
結婚式まであと1か月、本番に向けて必要なものを買いそろえている最中の、休憩の一時だった。
「新しい車も買わないとね。私も国際免許、取った方がいいかな?」
亜希奈さんは先日東京のニュージーランド大使館からもらってきた、外国人向けの生活ガイドブックを開きながら微笑む。
現在スーパーラグビーに所属する俺に合わせて、俺たちはオークランドで新生活を開始する。既に新居を借りる手続きは済ませており、あとは籍さえ入れればビザの申請も可能になるはずだ。
結婚と同時に始まる海外での生活に不安よりも嬉しさが勝っているのか、ウキウキ顔の亜希奈さん。
だが俺はその顔を見せられる度に、どうしてもいたたまれない気持ちに胸を痛めるのだった。
「ねえ、亜希奈さん」
「うん?」
「俺、次の契約更改では……日本のチームに移ろうかと思うんだ」
「……どういうこと?」
ガイドブックを開いたまま、きょとんと丸くした目をこちらに向けて固まる亜希奈さん。
「日本はワールドカップで3位になれたけど、まだ優勝には及ばない。じゃあどうすれば優勝できるか、俺自身には一体何ができるのかって考えたら……俺、今はニュージーランドのチームにいるけど、それじゃ足りないんだと気付いたんだ」
度々言葉に詰まりながらも、俺はずっと考え続けていたことを一気に吐き出す。亜希奈さんはただただじっと、こちらを見つめながら聞いていた。
「日本がワールドカップで世界一になるためには、俺自身も今よりさらに連携を高めないといけない。そのために必要なのは、日本のみんなと常にプレーして……できればパープルバタフライズとかで……真の意味でひとつのチームになることだと思う。年齢的にも……次が最後だから」
ここまで言ったところで、喉の渇きが限界に達する。さっき水を飲んだばかりなのに。
「だからごめん、ニュージーランド生活は……そんなに長くならないかもしれない」
とても彼女の顔を見ていられない。俺は頭を下げた。
結婚前にこんなこと、話すべきじゃなかったかな?
今さらになって後悔の念が押し寄せる。
「なぁんだ、驚かせないでよ」
だが返ってきたのは、亜希奈さんの屈託の無い返事だった。
ふと顔を上げる。そこには「心配して損した」と言わんばかりの婚約者の笑った顔があった。
「そんなことにショック受けるとでもと思った? 太一が最高のラグビーできるなら、私が反対するわけないでしょ」
話しながら、彼女はそっと左手を俺に差し出す。その薬指にはダイヤモンドののっかった指輪が嵌めこまれていた。
「……ありがとう」
この人が結婚相手で、俺は本当に幸せ者だ。つくづくそう感じ入りながら、俺は彼女の伸ばした手をそっと握り返したのだった。




