第四十七章その3 泣いても笑っても
翌日、決戦の舞台であるスタジアム・オーストラリアは日本、南アフリカ両国から駆けつけたファンで超満員にあふれかえっていた。
「っしゃあ、整った!」
俺は自分の両頬にパーンと平手を打ち付け、闘争のスイッチを目覚めさせる。
日本の歴史上初めて挑むこの3位決定戦。最後の相手は開催前には優勝候補とも目された超々強豪、南アフリカ代表ことスプリングボクス。
コートに立った俺たちと向かい合うは、緑のシャツに白いパンツの大男たち。聞けば15人のポジション全員が日本代表選手よりも身長で上回っているという驚異のフィジカル軍団だ。こんなのと戦うと思うと、一般的な思考回路の持ち主なら裸足のまま逃げ出してしまうところだろう。
だが俺たちは、自分たちでも不思議に思うほどに平然としていた。
緊張していないというわけではない。だがどうしてだろう、この8万人が見守る中で感じるプレッシャーが心地よい感覚にすらに思え、俺はこれまでの人生でも一度として感じたことの無い高揚感を全身で享受していた。
「今頃ハミッシュたちも、テレビの前で応援してくれているところですね」
各自守備位置についたところで、俺はぼそりと呟く。
「ああ、これが最後の試合だ。泣こうが喚こうが、あと80分で終わりだぞ」
「それ言うなら泣いても笑っても、だろ」
不敵に笑う進太郎さんに、中尾さんが間髪入れず突っ込む。
直後、キックオフの笛が鳴り響き、3位決定戦の時計が動き出す。
「おらぁ!」
スタンドオフ坂本さんの蹴り上げたボールが、スタジアムの空に高く舞い上がる。やがて落下してきた楕円球を、大会最長身210cmのヘルハルト・クルーガーがプロップに支え上げられながら5メートル近い高さで捕球した。
そして地面に降り立ったヘルハルトはボールを抱え込むと、飛び掛かってきた切り込み隊長の進太郎さんとガチンコのかち合いを演じたのだった。その様はまるで相撲を見ているようで、ぶつかり合ったふたりのパワーで周囲の空間に衝撃が伝播したのかと錯覚するほどだ。
やがてもつれ合って倒れ込む両者。そこに両軍の選手が駆け付け、南アフリカがボールをキープしたままラックが形成される。
そこから南アフリカは俺たちを上回る体格をフルに使い、バシバシと身体をぶつけてボールを前へと進める。
だがオールブラックスとの猛特訓を重ねた日本は、南アフリカの攻撃をひたすら耐え続けていた。自分よりもはるかに大柄なフォワード相手でも、細身のバックスが低姿勢のタックルで重心を崩して倒し、スプリングボクスの進軍を食い止めたのだった。
これではキリがないと判断したのか、ボールを受け取った相手スタンドオフはパントキックで日本の守備ライン裏へとボールを落とす。地面を跳ねまわる楕円球。真っ先に飛びついたのは、世界屈指の大型ウイング、ナレディだ!
ナレディはボールを抱え込むなりアフリカ先住民特有のバネの強さで急激に加速すると、後続の日本代表選手をぐんぐんと突き放す。緑の芝を走り抜けるその姿は、草原で獲物を狩るチーターそのもの。
タッチライン際をまっすぐ突き進み、22メートルラインを越えてついにゴールラインを射程にとらええたときだった。
「待てやぁ!」
真横からその脇腹をえぐり込むように突っ込んできたフルバック西川君が、ナレディの195cmの身体をがっしりとホールドする。さすがのナレディもこの強烈な一撃には耐え切れず、あと一歩のところでタッチラインの外へと押し出されてしまったのだった。
ピンチから一転、日本ボールのラインアウトでの再開だ!
「よくやったぞ、西川!」
駆け付けたフォワードが称賛すると、西川君はぐっと得意げに手を突き返して応えた。
「ああ、オールブラックスの連中を止める練習を重ねたおかげだな」
最後の砦であるフルバックとして、彼はエリオット・パルマーのようなウイングは当然ながら、ニカウやローレンス・リドリー、さらにはハミッシュ・マクラーセンら世界屈指のフォワードを相手に、1対1はもちろん1対2や1対3を想定した練習を繰り返していた。あの練習の過酷さに比べれば、俊足のナレディとはいえ止められないことは無かった。
その後、日本ゴール前で行われたラインアウトで、ロックのサイモンが石井君の放り投げたボールを優れたバランス感覚で手を伸ばしてキャッチする。
そして素早くスクラムハーフ和久田君、スタンドオフ坂本さんとパスがつながれ、日本は失点の危機を脱したのだった。
やがて時計の針が回り前半20分、試合は7-3で南アフリカがリードしていた。
フィジカル自慢の南アフリカでも、日本がどこまでも食らいついてくることに戸惑いを隠せないようだ。試合開始直後はボールをキープしてフォワード勝負を展開していたのに、今はキックとロングパスを多用してスペースを狙う攻め方に切り替えている。
だがキックで転がったボールはスプリングボクスの手を離れるため、先に日本が確保してしまえば攻守がすぐに切り替わる。俺たちは巡ってきた貴重なチャンスを逃すまいと、南アフリカに代わってボールキープを最優先にしてフォワード中心の肉弾戦を繰り広げていた。
「どおりゃあ!」
センターライン付近、闘将テビタさんがボールを抱えながら敵陣に突っ込む。それを真正面で受け止めるのはヘルハルト・クルーガーだ。
140kgと210cmのぶつかり合い。世紀の巨漢対決は、テビタさんがじりじりと相手を2メートルほど押し込んで決着がついたようだ。
そろって倒れ込む2人の巨漢。すぐさまボールを奪うべく南アフリカ選手が、守るべく日本選手が重なり合うようにわっと群がった。
「いでぇ!」
だがその時、耳を塞ぎたくなるようなテビタさんの声が響いた。
「オーバーザトップ!」
今の異様な声はレフェリーの耳にも届いたのだろう。すぐさま反則のホイッスルと同時に試合を中断させる。
「テビタさん、大丈夫ですか?」
折り重なった選手たちが慌てて立ち上がる。そして数人がその場を離れてようやく、地面に倒れたまま息を切らすテビタさんの姿が現れたのだった。
「ああ……歳は取りたくないもんだな」
にやりと歯に装着したマウスピースを見せびらかすものの、ラックでもみくちゃになった際にどこかを強く踏まれたのだろうか、なかなか起き上がれない。
「立てそうか?」
「大丈夫だ、イングランド戦に続いて負傷退場なんて、ザマァねえぜ」
仲間がしゃがみ、地面に倒れ込んだテビタさんの片腕をつかんでぐいっと引っ張る。
だがいくら引っ張ろうと、その身体はぴくりとも持ち上らなかった。本人も「あ……あれ?」と目を点にしながら自分の肩や脚を見つめている。まるで痛みは感じていないのに、身体が思ったように動かないといった様子だ。
「おいおい、これはまずいぞ」
駆け付けた中尾さんは頭を抱えながらも、坂本さんや俺にそっと視線を送った。その意図を読み取って、俺は小さく頷き返す。
「テビタさん……」
俺が尋ねるや否や、我らがキャプテンは「言うな、わかってる……」とうつむいたまま答えたのだった。気の毒だとは思うが、これはまたしても選手交代せざるを得ない。
「俺の代わりに矢野を入れてくれ。あいつなら残り60分、きっとうまくやってくれる。それと小森」
仲間に手をつかまれたまま、テビタさんはぎろりと俺をにらみつける。
「キャプテンは任せた、頼んだぞ!」
静かながら強い口調のテビタさんに、俺はぐっと身体をこわばらせながらも頷き返した。こうなることはある程度覚悟していた。テビタさんが俺のことを疎ましく思いながらも信用してくれていることは、6年前にヨーロッパ遠征に行った時からわかっている。
だが頭ではそうわかっているにもかかわらず、俺の口からはどうしても「え、ええ」と歯切れの悪い返答しか出てこなかった。
前回イングランド戦では相手の人数がひとり少ないからなんとかなったものの、この南アフリカ戦を乗り越えられるかと言われるととても首を縦には振れなかった。何よりも準決勝のニュージーランド戦では、後半俺がキャプテンになってからはペナルティキック1本しか得点できなかったし。
本当に俺がキャプテンを任されていいのか、自分でも気付かない内に自信が揺らいでいる……いや、気付いてはいるが必死で目をそらしているのだろうか。
「小森」
その時、思う通りに動かないはずのテビタさんの腕がゆっくりと持ち上がる。
そして周囲の選手たちが絶句する中、ぷるぷると震えるその手をそっと俺の方に差し出すと、ぐっと親指を立てたのだった。
「お前ならできる、俺の目に狂いがあるはずねぇだろ」




