第四十五章その5 真実の愛
亮二がボールを外に投げ出した場面から、試合は相手陣内でのカナダボールのラインアウトで再開される。
タッチラインの外に出る相手フッカー。その目の前のコートでは、日本とカナダ両チームのフォワードが二手に分かれてバチバチと火花を散らし合っていた。
カナダとしてはボールを守ってピンチを脱したいところ、日本としてはボールを奪ってトライを決めたいところ。相反する執念がぶつかり、単なる前半のラインアウトとは思えない物々しい雰囲気に当事者たちは包まれていた。
「太一、俺はかまわない、気にせず思いきりいけ」
ロックのサイモンがそっと耳打ちする。
「オッケー。そのために肩は鍛えてきた」
聞いて俺はこくんと頷き返した。
直後、カナダ代表フッカーがボールを投入した。同時にタッチラインの近い位置にいた相手ロックがプロップに支えられて大きく跳び上がる。やはり確実にボールを受け渡すためにこうきたか!
ボールの投げられた高さは優に4メートル。そんな普通のジャンプではまず届かないような高さで、相手ロックの伸ばした腕がボールをつかむ、まさにその直前だった。
「させるか!」
相手ロックの目の前で、楕円球がふっとかすめ取られる。日本代表ロックのサイモンだ。彼は俺と矢野君に持ち上げられると空中でぐいっと身体を曲げると、上半身をコースに割り込ませるような形でボールをキャッチしてしまったのだった。
「いよ、横取りサイモン!」
地上からフッカー石井君が声をかける。
「ちっとも嬉しくねえ称号だな!」
リフトされていたサイモンは舌打ちしながらも、後方に控えていたスクラムハーフ和久田君に素早くボールを回す。一見倒れてしまわないかと冷や冷やしてしまう彼の体勢だが、この程度は彼にとっては朝飯前だった。
200cmの長身だけでロックのトップに立てるほど、日本の国内リーグは甘くない。サイモン・ローゼベルトがRリーグ最強のロックとして君臨できているのは長身に加え、空中で不安定な体勢を取っても簡単には倒れない驚異的なバランス能力を備えているからこそだろう。
学生時代、他のロックよりも身長が低かったサイモンは、ライバルよりも優位に立つためには何をすべきかと試行錯誤と特訓を繰り返していた。その地道な努力の結果身に着けたのが、ラインアウトで横からボールを奪う技術、それを下支えするバランス能力と優れた体幹だった。この唯一無二の武器のおかげで、国際試合では自分よりもさらに長身のロック相手でも一歩も退かずに渡り合えている。
パスを受け取った和久田君は、すぐさまスタンドオフ坂本さんへとボールをつなぎ、あっという間に守りの薄い逆サイドまで回される。
今だとばかりにボールを抱え、トライを狙いにいったのはセンターの秦亮二だ。彼は先ほどの悔しさを晴らさんばかりに、相手バックスの守備を突破してゴールへと走り込む。
だがゴール目前、またしても行く手を阻むのはジェイソンだ。ゴール前から飛び出して追いついたジェイソンが、再び亮二めがけて渾身のタックルを入れにきたのだ。
しかし同じ手に何度も引っかかる亮二ではない。彼はボールを足元に落とすと、斜め前方向にパントキックで蹴り転がしてしまったのだ。
この動きにはさすがのジェイソンもついてこられない。くるりと向きを変えた時には、後ろから駆けつけていたウイング馬原さんがボールを拾い上げ、そのままゴールラインを越えてしまっていたのだった。
「トライ!」
倒れ込むようにして決めた馬原さんの逆転トライ。ラインアウトからハーフ、バックスへとつながったパスの連鎖に、日本もカナダもファンは拍手で俺たちのプレーを称賛したのだった。
この逆転トライで勢いづいたのだろう、日本はそこから好調にトライを重ねていった。そして試合が終わったときには27‐9と、大差でカナダを打ち倒していたのだった。
「いやー、やっぱお前ら強いな!」
試合後、スタジアム併設のクラブハウスで行われたアフターマッチファンクションにて、ビールを片手に携えたジェイソン・リーは俺たち日本代表選手を見かけると次々に声をかけていた。
カナダが持ち味をしっかりと発揮し、俺たちからしても経験したことが無いほどのキック合戦となった本日の試合、点差ほどの実力の差は無かったのではないかと疑ってしまう。
「あ、そうだ。太一、言い忘れてたぜ」
ちょうどサンドイッチにかぶりついていた俺を見かけたジェイソンは思い出したように言うと、ジョッキを机の上に置く。そしてなぜか両手でハートを作ると、それをぐっとこちらに突き出してきたのだった。
「Congratulations on your marriage!」
やってる人がやってる人なので滑稽なポーズだが、祝ってくれていることに変わりはない。俺は「ありがとう、お返しよ」と手をハートにして突き返すと、周りから拍手と爆笑が湧き起こった。
「おいおい、そのハートは嫁さんだけに向けておけよ。ところで太一、フィアンセは見に来るのか?」
「次のイングランド戦を見に来るよ。会社に頼み込んで、うまく有休もらえたみたい」
ちなみに亜希奈さんは結婚後、俺に帯同してニュージーランドに来るため寿退社する予定だ。
「イングランドかぁ……俺たちもボロ負けしちまったからよぉ、お前らにはなんとか勝ってもらいたいぜ」
ジェイソンがビールを手に取り、ぐいっと喉に流し込む。
この日、別会場で行われた試合でもイングランドはアメリカに勝ちを決めていた。45-3の圧勝劇だった。
これまで4試合を終えたプールCは、現時点で以下のような順位になっている。
予選プールC順位(カッコ内は勝敗数・勝ち点)
1.イングランド(4勝・19)
2.日本(4勝・17)
3.スコットランド(2勝2敗・9)
4.カナダ(2勝2敗・9)
5.アメリカ(4敗・2)
6.ポルトガル(4敗・0)
1回の試合で稼げる勝ち点は最大で5。そのため最後の1試合を残して日本は2位以上、カナダは4位以上を確定させていた。
日本にとっては現在のレギュレーションになって以降初の2位以上での決勝トーナメント進出であり、カナダにとっては久々となる次回大会の予選免除だった。このワールドカップでは、両国ともに既に良い記録を達成したと言ってよいだろう。
だが俺たちの目標は前回大会のベスト8を上回る順位、そのために予選プール1位突破は何が何でも成し遂げておきたい。そのためには次のイングランド戦を白星で終えることが、日本代表にとっての絶対条件だった。引き分けでは両方に勝ち点2が入るので、イングランドには追いつけないのだ。
「ところで話戻すけどよ。お前ら、新婚旅行はどこ行くんだ?」
グラスから口を離して、ジェイソンが尋ねる。
「うん、実は亜希奈さんがオーロラを見たいって言うから、カナダに」
「カナダぁ?」
聞くなりジェイソンはそこらのヤンキーよろしく、ぎろりと目を大きく開いて俺の顔を覗き込む。
「なんだよ水くさいな、もっと早く教えてくれたらツアコンくらい引き受けてやったのによ。むしろ今からでもオールオッケーだぜ」
「ジェイソンがいたら邪魔になるだけだよ、新婚さんはふたりっきりにさせなくちゃ」
近くで立っていた和久田君がすかさずツッコミを入れる。さすが妻帯者だ。
ジェイソンは「何をー」と口を尖らせるものの、それ以上言い返すことはできないようだった。そして俺と和久田君ふたりの顔をじっと見ると、物憂げに「はぁー」と深くため息を吐いたのだった。
「にしても羨ましいよなぁ、俺もお前らみたいに運命の相手と結ばれたいもんだぜ。心の底からありのままの俺を受け入れてくれる相手に」
そんな奇特な人間いるか。周囲の誰もが心の声で突っ込んでいた。ひとりを除いて。
「わかる、わかるぞその気持ち」
そう言ってジェイソンの肩を後ろからポンと叩いたのは、日本製鬼瓦こと秦進太郎さんだった。今にも号泣せんばかりに内から湧き上がる激情に耐えるその顔は、仁王像の「吽」とそっくりだった。
「真実の愛に容姿、年齢は関係ない。今は近くにいなくとも、運命の赤い糸は地球上の誰かとつながっている」
「だよなシンタロー!」
「ジェイ!」
理解し合える何かがあるのだろうか、ジェイソンと進太郎さんがハグを交わす。傍から見るとめちゃくちゃ暑苦しい。
「あの二人、気が合うな」
そう話すのは近くで見ていた西川君だ。隣に立つ秦亮二も「モテない者同士、通じ合うものがあるんじゃね?」とあまりに辛辣すぎるコメントを言ってのける。




