第四十五章その4 楕円球のファンタジスタ
首都キャンベラのキャンベラ・スタジアムに集まった観客は2万5000。そしてほぼ全員が日本かカナダどちらかのジャージを着たファンという、まさにワールドカップならではの光景。
そんな大観衆に見守られながら、日本代表はコートに入場する。今日の俺たちは青と紺の縞模様のジャージで試合に臨んでいた。
プール戦第4戦、激突するカナダ代表メイプルリーフスのユニフォームは赤だ。彼らはチェンジカラーも白であるため、紅白縞模様の日本代表とは見分けがつきにくい。ゆえに遠目からでもどちらの選手がプレーに参加しているのかがわかりやすくなるよう、この日は日本がチェンジカラーを使用していた。
「いってやろー、やってやろー!」
ポジションに就く選手たちが緊張に顔をこわばらせる中、カナダ代表ジェイソン・リーはただひとり愉快に手を叩きながら声高らかに歌う。なんという大胆さ、こいつの心臓は毛が生えているどころかドレッドヘアーにでもアレンジされているんじゃないのか?
試合は日本のキックオフで始まった。
最初に坂本さんが高く蹴り上げたボールは、相手陣22メートルライン手前ですとんと落ちる。それを敵ロックはジャンプしながらキャッチするものの、直後に切り込み隊長の進太郎さんのタックルをぶちこんで倒してしまった。
駆け付けたカナダ選手はボールを拾い上げると、すぐさま後方へとパスを送る。
ゴールラインすぐ手前でパスを受け取ったのはフルバックのジェイソンだった。捕球直後、彼は2歩ほど軽く助走をつけると抱えていたボールをころりと足元に落とし、そして大きく足を振り抜いた。
蹴り放たれたボールはまるで砲弾のように力強く凄まじいスピードで、俺たちにチャージをさせる隙さえ与えなかった。
「ああー」
どうしようもないほどの高さ。俺たちは空を見上げてボールを目で追うことしかできなかった。
ロケットさながらに打ち上ったボールはあっという間にセンターラインを越え、日本陣22メートルライン少し手前のタッチラインギリギリの位置で落下する。そして一度跳ね返った後にラインを越えて、コートの外に出てしまったのだった。
観客席から大歓声が湧き起こる。なんとジェイソンの一蹴りで、カナダは70メートル近く自陣を回復させてしまったのだ。ボールの支配権は日本に移行するが、彼の強烈ながら正確なキックコントロールには両軍のファンもすっかり魅了されていた。
その後、日本はラインアウトでボールをキープするものの、ノットリリースザボールの反則によりカナダにペナルティキックを与えてしまう。
位置は日本陣内だが、ゴールポストまでは角度がついてしまっているので直線距離では50メートルくらいあるだろう。ワールドカップ出場クラスの選手でも、タッチラインの外に出してラインアウトを選択する距離だ。
だがジェイソンはキックティーを置くと、念入りに角度を調整して狙いを定める。そして屈伸にも似たルーチンで集中力を最大限まで高めると、ゴールポストめがけて楕円球を蹴り込んだのだった。
空気抵抗もなんのその、旋回するボールはH字型のポストへと寸分の狂い無く吸い込まれ、レフェリーが通過を確認すると旗を上げてゴールを報せたのだった。
俺は唖然と絶句した。ジェイソンは50メートルの超遠距離のキックを、それも角度のついた難しい位置から成功させてしまったのだ!
1発3点とは思えないほど、地響きのような大歓声にスタジアムは包まれる。会場はすっかりカナダムードだった。
「うえ、あの位置から……」
右プロップの矢野君が口を押さえる。彼の所属するRリーグには、ジェイソンほどの卓越したキッカーは残念ながら見つからない。ジェイソンのキックを初めて生で見て、そのえげつなさに驚きを隠せないようだ。
「気にしなくていい、3点くらい俺がキックですぐに追いつく」
だがそこで、圧倒されている矢野君の後ろからすっと背の高い選手が声をかける。日本のキッカー、坂本パトリック翔平さんだ。かつて日本A代表でジェイソンと得点王争いを繰り広げた彼にとっては、この程度の展開など覚悟の上だろう。
「先制点は奪われたが、まだ75分ある。それに相手がキックを選んだのは、キックじゃないと点が取れないからだ。俺たちはトライを取れるだけの仲間がいる、しっかりとトライで点を稼ごう。そのためには矢野、お前みたいな強いフォワードが必要だ」
キッカーの言葉に励まされ、矢野君は「はい!」と朗らかに答える。
その後、カナダはフォワードで勝る俺たちとのぶつかり合いを避けてか、キックを蹴り込んでとにかく日本の陣内にボールを押し止めるようにプレーを続けた。
一方の日本は俺たちフォワード陣のフィジカルとショートパスの繰り返しで、少しずつながら確実に前へとボールを進める。先日のアメリカ対カナダ戦と同様、タイプのまったく異なる攻撃の応酬に発展していた。
日本がカナダ陣に攻め込むも、ボールを奪われて即座に蹴り戻される。そんなせめぎ合いが何度か繰り返されていたある時、スタンドオフ坂本さんにボールが回される。
ここまで日本のフォワード戦術にすっかり疲弊していた相手は坂本さんが突っ込んでくるものと思ったのだろう、慎重な様子で守備ラインを前に進めて突進に備える。
だが彼はこの隙を待っていた。敵がすぐにはとびかかってこないことを察知すると、坂本さんは足元にボールを落として逆サイドへの大きなキックパスを蹴り放ったのだ!
しまったと向きを変えるカナダ守備陣。しかし彼らの背後にボールが落下した頃には、日本の俊足自慢数名がすでに走り込んでいた。細かくつないできた日本がいきなり大胆なプレーに移ったことで、カナダは対応が遅れてしまったのだ。
ボールを拾ったのは秦亮二だ。誰もいない芝の上を、ボールを抱えた彼はひたすらゴールめがけて走る。すぐ後ろにはサポートの仲間も並走していた。
だがゴールまであとわずかというところで、横から相手フルバックのジェイソンが飛びかかり、強烈なタックルを食らわせにきたのだった。
ラグビー選手としては細身とはいえ、190㎝の長身から生まれる威力はそこらのフランカーを凌駕する。その一撃をもろに受けた亮二は目を白黒させ、ぐらりと大きく身体を傾かせたのだった。
「亮二、こっちだ!」
後ろから走ってきたナンバーエイトのクリストファー・モリスが叫びながら両腕を広げる。倒れ込むその最中、亮二は力を振り絞って後続の仲間にオフロードパスを放り投げる。
だが不安定な体勢から投げられたパスは、コースを見失っていた。無情にもクリストファーの手を反れたボールは芝の上を転がり、そのままタッチを割ってしまったのだった。
「すまない、みんな」
立ち上がった亮二は申し訳ないという想いと悔しいという感情とで、小刻みに震えながら頭を下げた。
「気にすんな、亮二のおかげでここまで進めたんだ」
俺は右センターの背中を軽く叩いて彼のランを讃えた。
結果としてカナダボールからのラインアウトになったものの、陣地を回復できたのは事実だ。フォワード勝負に持ち込めば、日本にとってまたとないチャンスになる。
「はなそろそろ、トライ取りに行くで」
石井君もにやりと笑みを浮かべていた。テビタさんがベンチスタートの今日は、彼がフォワードのまとめ役を担っていた。
「こもりん、サイモン!」
石井君が声を張り上げる。呼ばれたのは俺と、ニュージーランド出身のロック、サイモン・ローゼベルトだった。
「あれの出番やで、準備しときや」




