第四十五章その1 上陸、戦いの舞台!
「当機は間もなくシドニー・キングスフォード・スミス国際空港に到着します。お客様は座席にお戻りになって、シートベルトをおかけください」
ポーンとシートベルトのサインが点灯した直後、機内アナウンスが鳴り響く。俺は座席からシートベルトをひっぱり出すと、突き出た腹にぐるりと回して固定した。
飛行機に何度乗っても、着陸の瞬間ってのは冷や冷やさせられてしてしまう。高い所が苦手な進太郎さんに至っては、前の座席に手をかけると、強く目をつむって歯を食いしばりながら前かがみになっていた。
その後、ずんという揺れとともに飛行機は滑走路に降り立つ。そしてターミナルのボーディングブリッジと接続され、立ち上がった乗客はぞろぞろと外に出たのだった。
「ふわー、疲れた」
歩きながら、俺は大きく背骨を伸ばす。
「俺の人生、こんなに飛行機に乗るとは思わなかったよ」
すぐ後ろの馬原さんはズーンと疲れた顔を貼り付け、足を引きずるようにしてついてきていた。彼は所属チームの本拠地も札幌なので、移動の際にはほぼ100%飛行機を利用するそうだ。
ワールドカップ開幕まであと2週間というこの日、日本代表ブレイブブロッサムズの31人は、開催地オーストラリアに到着した。
6か国対抗戦を終えて南アフリカから帰国した数日後、日本国内ではワールドカップへの出場メンバーが発表されていた。
左プロップは俺とフィアマルだ。6か国対抗戦もふたりで乗り越えてきたので、ここは順当なところだろう。フッカーにも前回に続いて石井君が選ばれ、スクラムの司令塔として活躍が期待されている。
最後は自信を失っていたものの、矢野君も右プロップとしてリストに名前が含まれていた。テビタさんの控えに入り、キャプテンの作った良い流れをうまくつないできたことが評価されたのだろう。
発表を受けてぽかーんとしている矢野君を、俺は「だから言ったろ、絶対に選ばれるって」と背中をバシバシ叩いてねぎらった。直後、矢野君はぶわっと涙を浮かべると同時に表情を緩ませ、「はい、頑張ります!」と久しぶりに心の底から喜んだ顔を見せたのだった。
「オーストラリアに来たからにはコアラ見たいぞー。抱ける動物園もあるらしいぞー」
「おいおい、試合しに来たんぞ、試合」
入国審査を経てロビーに出た直後、ナンバーエイトのクリストファー・モリスがとぼけたように言うのでロックのサイモン・ローゼベルトが素早くツッコミを入れた。ニュージーランドからやってきたふたりにとっても、初のワールドカップ参戦だ。
「レクリエーションで連れて行ってくれると思うよ。あと僕はコアラよりイリエワニが見たい」
「和久田、お前沖縄旅行でニシキヘビ首に巻いて喜ぶタイプか?」
身体を震わせて尋ねるフルバック西川君に、スクラムハーフ和久田君は「大好きだよ!」と目を輝かせる。
ラグビーワールドカップは2か月弱にも及ぶ長期戦だ。連戦の疲れを癒すためにも、選手たちは試合の合間に現地観光やレジャーを楽しむことが多い。2019年の日本大会でも、海外のチームが別府の砂風呂や琵琶湖の観光船クルーズを楽しんでいたのを覚えている。
空港の外に出ると、先回りしていた日本の報道陣が俺たちにカメラを向ける。そんな彼らに手を振りながら、俺たちはターミナルに横付けされていたバスへと案内された。これから一旦ホテルに向かうらしい。
だがバスに乗り込む直前のことだった。突如バスの扉が開き、中から大きな影がぬっと、顔を出したのだ。
「よう!」
そして予想さえしていなかった人物の登場に、俺たちは「ええ!?」とどよめきをあげた。
先代キャプテンのジェローン・ファン・ダイクだ!
「ジェローンさん、どうしてここに!?」
「日本じゃRリーグもストップしてるからな、水先案内人として応援に来てやったぞ。テビ、チームもうまくまとまってるようだな」
「当たり前だ、お前も元気そうで何よりだな!」
豪快に笑いながらも、現キャプテンと元キャプテンは軽く抱擁を交わす。
何の予告も無いサプライズだ。選手たちはまさかの展開に呆気にとられながらも、日本ラグビー界のレジェンドの応援に飛行機の疲れもすべて吹き飛ばされ、沸き立ったままバスに乗り込んだのだった。
俺たちを乗せたバスは、美しいシドニーの街並みを望みながら進む。リアス式海岸に発展したこの都市は市街地の奥まで海が入り組んでおり、市内にはいくつもの橋がかけられているのだ。そんな天然の良港ゆえか、シドニーは現在に至るまでオセアニア最大の人口と経済規模を抱える都市として世界に名をとどろかせている。
バスがハーバーブリッジを渡っていた時だった。目に飛び込んできたあまりにも有名な建造物に、日本代表の面々は一斉に「おお!」と窓の外を眺める。
「さてさて、右手に見えますのがかの有名なシドニー・オペラハウス。日本の皆さんにはマグロ食ってたやつがゴジラに一撃で倒された場所としておなじみですね」
最前列に座っていたジェローンさんが、バスガイドさながらの口ぶりで得意げに話し出す。
「何の話だよ?」
バスの中では中尾さん以外の全員が頭に大きなクエスチョンマークを浮かべていた。直後、先代キャプテンはかっかっかといたずらっぽく笑う。
「プール戦まではまだ時間もあるんだ、今からガッチガチになってたら勝てる試合も勝てないだろ? リラックスしていけよ、リラックス」
開幕と同時に始まるプール戦。俺たちの目標は全勝、つまり1位での予選突破だ。
決勝トーナメントに進出するのは12チームだが、プール戦で1位になったチームはシード権を得て、いきなりベスト8までコマを進めることができる。プール2、3位のチームよりも1試合少なくて済むので、コンディションをしっかりと整えてから戦うことができるだけはるかに有利だ。
実際にレギュレーションが改正された2027年大会以降、これまで決勝戦に進めたのはプール戦1位を取ったチームだけであることがその影響を物語っているだろう。上位進出を目指すならば、プール戦全勝は前提条件だ。
だが出場チームはいずれも本気だ。そう簡単に勝たせてくれないのがワールドカップというもの。日本はプール戦で、以下のようなスケジュールで試合をこなしていくことになる。
プールC対戦相手および開催都市(カッコ内は会場と収容人数)
1.アメリカ ニューカッスル(ハンター・スタジアム 26164)
2.ポルトガル ゴスフォード(セントラルコースト・スタジアム 20059)
3.スコットランド ブリスベン(ブリスベン・スタジアム 52500)
4.カナダ キャンベラ(キャンベラ・スタジアム 25000)
5.イングランド シドニー(シドニー・フットボール・スタジアム 45500)
この中で最も大きな壁は北半球最強にして世界ランキング3位のイングランドだろう。北半球伝統の組織だったラグビーに、アングロサクソン系の強靭なフィジカル両方を備えた強さは伊達ではない。
しかし絶対に勝てない、というほどの相手ではないのもまた事実。この大一番で勝ちを決めて最高の状態で決勝トーナメントを迎えることができれば、日本の大躍進も夢ではないはずだ。
密かに俺は意気込む。だがバスの中はジェローンさんのおかげで、緊迫とは程遠い雰囲気に包みこまれてしまっていた。
「今日はみんな疲れてるだろうし、いきなり練習って気分にもならないだろ。というわけでホテルに着いたら早速、国内最大級のタロンガ動物園に出発だ!」
「よっしゃコアラー!」
「よっしゃイリエワニー!」
クリストファーと和久田君が同時に声をあげた。
「そうだ、コアラと記念撮影できるぞ! 有袋類も爬虫類もみんな友達だ!」
さらに煽るジェローンさん。和久田君は「わーいコモドオオトカゲー」とさらに続けるので、近くに座る西川君はぶるると震えて両耳を塞いでしまった。本当にこの和久田君、少し前に父親になったのだろうか?
「まったくもう、みんな何しにオーストラリアに」
「サイモン、タロンガ動物園にはカモノハシもいるみたいだぞ」
呆れるサイモンにジェローンさんがぼそっと小声でささやきかける。途端、彼は「カモノハシ!? 見たい!」と表情を一変させてしまった。
「みんな好きなんだなぁ」
俺はすっかりお気楽気分の日本代表を見回す。まあ確かに、ニュージーランド生活の長い俺でもオーストラリアの珍獣たちは魅力的に映るけれども。
「まあええやん、今日くらい」
隣に座った石井君が俺の肩を叩く。
「俺やって珍しい動物見れるの楽しみやで。こもりんもペンギン見たいやろ?」
「もちろん!」
俺は即答した。
飛べないから、陸じゃ動きがのろいから何だって言うんだ。北半球の人間にとって、ペンギンは憧れの鳥第一位なのだ。




