第四十四章その3 勝ち星行進曲
今年の日本代表はやはり強かった。
7月から始まった6か国対抗戦、初戦のアルゼンチンに快勝した俺たちは、そこからフィジー、さらには格上オーストラリアにも連勝を重ねたのだ。
ニュージーランドには力及ばず敗れてしまったものの、それでも4試合を終えて3勝1敗とすでに勝ち越しを決めており、日本国内でもラグビーへの注目度は日増しに高まっていた。テレビでは毎日のように特集が組まれているし、街を歩けば選手たちのポスターや広告があちらこちらで目に入る。
来たるべきワールドカップに向けて、国全体がラグビーに染まりつつあった。
「さあ今日は皆さんお待ちかね、絶好調の日本代表に突撃インタビューを行いたいと思います」
テレビ番組の取材だろうか、合宿先での練習中、でっかいテレビカメラやガンマイクを抱えた男たち、そしてハンドマイクを手にした若くて可愛らしい女性リポーターが現れる。初めて見る顔だ……新人かな?
途端、きつい練習のおかげで目に疲れを浮かべていた独身選手たちの大半が、きりっと表情を一変させる。進太郎さんに至っては「バッチこーい!」と無駄に気合いの入った声でパスを求めだす始末だ。高校の野球部かよ。
まったく男って奴らは。俺はやれやれと呆れながらも誰もこちらを見ていないのを確認すると、ささっと手櫛で髪の乱れをなおした。
「テビタさん、お忙しいところ失礼します」
「いえ、おかまいなく」
取材陣に最初に対応したのはキャプテンのテビタ・カペリだった。練習中の鬼気迫る形相はどこへやら、今日のテビタさんは穏やかな紳士といった笑みを浮かべている。
実はテビタさん、数年前に大学の同級生だった日本人女性と結婚しており、今は3歳と1歳の子を持つ2児のパパでもある。シーズンオフには家族で一緒に出掛けているのをよく目撃されるそうで、いつも決まって幼い我が子をあやしているそうだ。ワイルドな外見ながらファンや取材陣に対しても非常に丁寧なため、そのギャップに惹かれる女性ファンも案外多いのだそう。
さっきからめちゃくちゃ意識している野郎どもとは周囲に与える安心感が違うのだろう。マイクを向ける手つきのたどたどしい新人リポーターも、すっかり顔を緩ませている。
「今年の日本代表はオーストラリアにも勝って絶好調ですね。その秘訣は何でしょうか?」
「とにかく耐えるチームを作れたことです。日本代表は本当によく走る。この運動量で試合の最後までバテることなくプレーを続けられるのが、我々の強みです」
物腰は柔らかくも、堂々と自信にあふれた物言いでキャプテンは答えた。
あと1試合を残した6か国対抗戦。その現時点での順位は以下の通りだ。
1.南アフリカ(4勝)
2.ニュージーランド(3勝1敗)
3.日本(3勝1敗)
4.オーストラリア(2勝2敗)
5.アルゼンチン(4敗)
6.フィジー(4敗)
なんと暫定で3位の好成績。しかも後ろに迫るオーストラリアは次戦がニュージーランドなので、次の試合の結果がどうなったとしても日本の3位以上はかなり期待できる。
それだけではない。確率としてはかなり低いが、日本が2位になってニュージーランドを上回る可能性も残されているのだ。かつては地球が反対方向に回り出す方がまだあり得るとさえ言われていたほどなのに、今はもう手に届く位置まで登っているなんて……正直実感湧かないよな。
しかしそんな簡単にいくはずもないことなど、誰もがよくわかっていた。今年は日本以上に絶好調な超強豪が、世界を蹂躙しているのだ。
「残すところは南アフリカ戦のみですが、最後の試合はどう挑みますか?」
「南アフリカはニュージーランドも倒しています。おそらくは今、地球上で一番強いチームでしょう」
受け答えするテビタさんの声にも緊張がこもる。
6か国対抗戦最後の相手、それは2019年大会以来の世界制覇を目指す南アフリカだ。
南アフリカ代表スプリングボクスは先日の試合でオールブラックスとワラビーズに勝利したことで、僅差ながらニュージーランドから世界ランキング1位の座を奪還したのだった。
長らく首位に君臨していたオールブラックスを引きずり下ろすという快挙と同時に、ワールドカップの優勝候補に南アフリカを挙げる声もにわかに急増した。英国のとあるブックメーカーの提示した優勝予想のオッズでは、両チームが3.0倍の同率で拮抗するという事態も発生している。この勝敗についてはその道のプロでさえもまるで予想がつかなかないようだ。
当然、この6か国対抗戦でも南アフリカは全勝優勝を狙っている。最後の試合、勝利を確実なものにするために100%の力で日本を粉砕してくるだろう。
そんな超人軍団相手に、俺たち日本代表がどこまで食らいついていけるのか。次の一戦は世界のトップに日本がどこまで迫れるのかを示すひとつの指標になる。
「ありがとうございます。では他の選手にも突撃してみましょう!」
テビタさんへの取材が終わり、リポーターがカメラに笑いかける。
よっしゃきた!
独身男たちは小さくガッツポーズを作ると、俄然張り切って練習に打ち込み始めた。
しかし下心が見え見えだったためか、取材陣は進太郎さんら毒男ズをスルーし、ちょうど地面に置いた梯子を使ったトレーニングのインターバルに入っていた選手に声をかけたのだった。
「馬原さん、失礼します」
リポーターに話しかけられて「え?」と小さく驚いたのは、2年前から日本代表に定着したウイングの馬原さんだった。カメラを向けられても一向に仏頂面なのは、最早彼のキャラだろう。実際のところ本人はこれで笑っているつもりのようだが、一般からは笑わない男として定着していた。
「今は何のトレーニングをされていたのですか?」
「はい、敏捷性……特に加速力ですね」
「加速力? 最高速ではなく?」
「ええ、最高速はもちろん大事ですが、混戦では一瞬で最高速に達せられる加速力がものを言います。ほんのわずかな距離でも、出足の速さはトライに直結しますから」
淡々と話す馬原さんに、リポーターもうんうんと頷く。
だが彼女は気付いていなかった。カメラクルーの背後から、進太郎さんたちが今にも血の涙を流しそうな目でインタビュー中の馬原さんをにらみつけていた。
その後、リポーターは目に付いた選手たちに次々と話しかける。
「秦進太郎さん、亮二さん、おふたりのこれからの目標は?」
「そりゃもちろん優勝よ! 弟と一緒にな!」
「兄貴をさっさと引退させて、ずっと世界のトップに居続けたいですね」
嬉しそうな進太郎さんとは対照的に、毒舌を振るう弟。もしかして進太郎さんに関しては、亮二と一緒に取材するように指示を受けていたのではないだろうか?
そしてついに、彼女は俺にも声をかけてきたのだった。
「では小森さん、南アフリカを攻略するポイントはどこにあると思われますか?」
ランパスを終えてちょうどドリンクを飲んでいた俺はゴホゴホとむせる。
「ず、ずいぶんとストレートな質問ですね」
「はい、南アフリカの最大の武器はフィジカルを活かしたセットプレーです。フロントローの小森さんでしたら、きっと対策を考えているだろうと思いまして」
ここまでまっすぐなインタビュアー、逆に驚かされてしまったよ。このリポーター、見た目は可愛いらしいのにかなりのラグビー通みたいだな。
だが確かに、無策で南アフリカに挑むほど俺たちもバカではない。
「そうですね、実は」
口を開きかけた、まさにその時。
「すまんなぁ、こっから先は企業秘密やねん」
突如カメラの前に石井君が横っ飛びで割り込むと、両腕でバッテンを作って撮影を遮ったのだ。
おっと危ない。俺は慌てて口を塞ぐと、「まああれです、たくさん食べてぐっすり寝るってことですかね」とはぐらかしたのだった。
ええー、と苦笑いするリポーター。報道の仕事を抜きにして、純粋に知りたがっている様子なだけに話せないのは残念だが、そこは勘弁してほしい。
それにしても石井君、ナイス! ワールドカップ終わったら横浜中華街でランチ奢るよ!
その日の夜、ホテルの自室に戻った俺は、寝間着に着替えるとうーんと欠伸をしてベッドに腰かけた。
さて、明日は南アフリカへの移動日だ。フライト時間の関係から、今日はぐっすり寝ておかないと現地での活動に支障をきたす。
「あ、そうだ。明日の天気」
テレビニュースやってるかな? 俺は机に置かれたリモコンを手に取り、スイッチを入れた。
一秒ほどのタイムラグを経て、黒一色の画面に映像が映し出される。
「中尾さん、合宿で一番辛いことは何ですか?」
「リアルタイムで深夜アニメが見られないことです。今期は20本、見ないといけないのに」
昼間の取材、しかもいきなり目に飛び込んできたやりとりがこれだった。完全に不意を突かれた俺は、ぶっと噴き出してテレビのリモコンを手から滑り落としてしまった。
今日はしっかり休まないといけないってのに、こんなの見せられたら思い出し笑いで眠れなくなるじゃないか!




