第四章その6 ガチンコ重量級対決
俺の記憶が正しければ、石井秀則はRリーグ大阪ファイアボールズに所属し、若くしてチームのリーグ3連覇に貢献したフッカーだ。
付けられた渾名は『国産重戦車』。大柄な外国人選手の多いフォワードの中で、日本人であっても並外れたパワーで相手をねじ伏せる姿から命名された。
日本代表としても2035年のワールドカップに出場し、試合に敗れはしたものの強豪イングランド相手にスクラムで互角の勝負を演じたのは間違いなく彼の存在が大きい。
「まさかそんなすごい人と出会うなんて」
翌日午前の練習試合直前、ヘッドキャップを装着しながら俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。たしかに自分とも年齢が近いなとは思っていたが……ラグビーの世界は存外狭い。
「あ、昨日の!?」
コートでパスをしながら身体をほぐしていた石井君が、驚いて駆けつける。
「なんや、金沢スクールの人やったんか。先に言うてぇな」
「まさか石井君も天王寺スクールだとは思っていなかったよ」
「ん、何で俺の名前知ってるんや?」
「うん、6年生が教えてくれたよ」
石井君は5年生ながら、既に大阪でもトップクラスのフォワードとしてミニラグビー関係者の間では名が知られていた。大阪トップ、これすなわち日本トップ。それくらいに関西は選手層が厚い。
ばくばくと心臓を鳴らせる俺のことなど誰も意に介すことはなく、無情にも試合は開始される。
開始とともに相手の蹴り上げたボールをキャッチしたのは西川君。彼は試合開始直後にもかかわらず、いきなり自慢の俊足を飛ばしてコートを駆け上った。
そんな西川君の行く手を阻むように、石井君の巨体が立ち塞がる。
天性の運動神経でステップを踏み、西川君は石井君のタックルをかわそうとする。
だが直後、西川君の身体は地面に倒されていた。なんと西川君がフェイントをかけるや、驚異的な反射力で方向転換し、西川君を押し倒したのだ。
そこに走り込んだ敵選手がボールを奪い、あっという間に攻守が切り替わる。
相手は俺以上の恵体の持ち主、力を抜いたタックルでも並みの選手には十分な脅威になる。
加えてその図体のどこにそんな能力が眠っているのか、反射的な瞬発力は非常に高い。一流の相撲取りは陸上100m走の選手と出だし10メートルのタイムは同等もしくはそれ以上と言われているが、彼はまさにそのタイプだった。
正直に言う。完全に俺の上位互換だ。
バックスからのパスを受けた石井君は、坂を転がる大岩のごとく芝の上を駆け抜けた。
このままだとトライを許してしまうと、俺は身を呈してタックルをしかける。俺のアタックにさすがの相手も足を止めるが、それでもなおひきずって前に進もうとする。おいおい、俺の体重90キロだぞ?
「あそこだけラグビーじゃなくて相撲やってる……」
メンバーのひとりがぞぞっと身を震わせた。
言い得て妙とはまさにこのこと。俺もタックルがこんなにしんどいの初めてだ。
激しいぶつかり合いの試合はラインぎりぎりまでボールを運んでも互いにトライを奪い切れず、結局前半は両チーム0点のまま終わってしまった。後半に入っても同じく試合は動かず、両軍とも苛立ちがたまりプレーがどんどん荒くなっていく。
昨日の練習が屁でもないくらいにへとへとだ。タックルの受け過ぎで痛いという感覚も既に忘れてしまった。
だがそれでもなお、石井君他相手選手たちは機敏に動き回ってボールを持つ俺に襲い掛かる。こいつらのスタミナはどうなっているんだ?
「仕方ない、はい!」
このまま奪われてたまるものかと、俺はボールを後方に送った。
受け止めたのは西川君だ。今日の彼のポジションはウイング、ライン際を走り抜けてトライを稼ぐのが仕事だ。
だが今はまだ相手の守備を崩せていない。このまま走り込んでも相手に止められるのは目に見えている。
「そりゃ!」
だが西川君はボールを大きく蹴り上げた。彼のキックコントロールは折り紙付き、ボールは敵選手の頭を越えて、ゴールライン手前できれいに落ちる。
そのボールを敵陣奥深くを守っていた相手バックスがキャッチするが、それを見越した俺たちは既に残る力を振り絞って駆け出していた。
ここで突っ込まれると不利と睨んでか、バックスは急いでボールを蹴り返して陣地を取り戻す。それを相手バックスのひとりが猛然と追い上げてキャッチすると、走り込んできた俺たちを見て別の選手にボールを回した。
受け取ったのは、あの石井君だった。彼の体格を活かして、強引に突破するつもりだ。
だがその直後だった。ボールを抱え込んだ石井君に、俺は全力のタックルを加えたのだ。
石井君の動きが止まる。それでも倒れないのはさすがと言ったところか。
しかし間髪入れず、近くにいた金沢スクールのメンバーもタックルを石井君に入れると、彼の巨体が大きくぐらついた。
1人でダメなら2人。2人でダメなら3人。俺たちは次々とタックルを仕掛ける。
そしてついに石井君の巨体は倒れた。彼が背中を芝生に打ち付けた瞬間、その大きな手から楕円球が転がり落ちる。
「ノックオン!」
ここでレフリーが試合を止めた。自陣を大きく進めての金沢ボールでのスクラムに、選手たちはこの日一番の安堵の顔を浮かべたのだった。
臆する必要は無い。個人の力量で敵わない相手がいたら、多人数で連携すればよい。
小さく非力な人間だって、協力すれば巨大なマンモスでも倒すことができるのだ!
とうとう試合は終了した。前後半それぞれ20分のはずなのに、まるで永遠のように感じる激戦だった。
結果は0対0のスコアレスドロー。力の差が点数に直結するラグビーでは珍しい数字だ。
「死ぬ、冗談抜きで……」
終了の合図とともに体から力の抜けた俺たちは、芝生の上にバタバタと倒れ込んだ。
強豪相手に0点に抑えられたのは大健闘と言っていいだろう。だがそれ以上に、ハードな試合がようやく終了したことの喜びの方が大きかった。
使い古した雑巾のようになった俺たちは、誰一人まともに立ち上がれないでいた。
「なあ、みんな」
だがそこに、ひとつの大きな影が歩み寄る。
天王寺スクールの石井君だ。さっきまでの鬼気迫る表情はどこにいったのか、申し訳なさそうにしゅんと肩をすくめている。
「すまんな、俺、みんなのこと馬鹿にしてたわ。神奈川県予選も突破できないクラブなんか余裕やろって。ここまで大変な試合、大会でもなかなかないで」
俺たちはぜえぜえと息をするばかりで返事すらできない。だが全員、顔を向けてじっと話に聞き入っている。
「最高の試合やった。全国大会でまた戦おうや」
そしてぐっと親指を立てた石井君。俺たち金沢スクールの面々も、ぶっ倒れながら親指を立てる。
俺たちでもやれば全国に行ける。スクールのメンバーはこの激戦でひとつ、大きな自信を得ることができたのだった。




