第四十三章その5 実現、日本人対決!
「プレーオフ、まずは1勝おめでとう」
電話口の向こうから聞こえるのは亜紀奈さんの声だ。
初戦を制したその夜、俺はオークランドの自宅でのんびりとくつろいでいた。三人がけのソファに腰を下ろすと、自分のケツだけで半分以上が占領されてしまうのは巨漢あるあるだな。
「日本人同士の対決だって、テレビじゃ大盛り上がりだよ。まるでワールドカップの時みたい」
「そうなの? 嬉しいなぁ」
話題はもちろん、次のユニオンズとパープルバタフライズの一戦についてだ。
もしアメリカのMLBやNBAで日本人選手の所属するチーム同士が、それも決勝進出のかかったプレーオフで対戦するとなればスポーツニュースはその話題で一色に染まるだろう。それと同じようなことが、今の日本で起こっているのだろうか。
「日本の大多数は俺に負けろと思ってるんだろうなぁ。みんな日本代表メンバー多い方応援するだろうし」
「そんなことないって、少なくとも私は太一を応援するよ。ワールドカップ前に景気良く優勝しちゃいなよ!」
「まぁたそう軽々しく言う」
「できるよ! オールブラックスのスターと太一が一緒になったら、怖いもん無しだよ!」
「はは、ありがと」
ハミッシュ・マクラーセンやローレンス・リドリーが世界トップクラスの選手であることは、誰も否定しないだろう。彼らと同列に語られて、嬉しくないはずがない。
だがそれでも、決して気は抜けなかった。
勢いに乗るパープルバタフライズはもちろんだが、最も警戒すべきはレギュラーシーズンを圧倒的な成績で制した南アフリカのサンダースだ。彼らは初戦でニュージーランド3位キングスに1トライも許さず、自分たちは7トライを決めるという圧倒的大差で勝利を収めていた。
無事俺たちが次戦を突破できた場合、サンダースとは決勝戦で相まみえることになる。ナレディやヘルハルト・クルーガーといった南アフリカの誇るフィジカルモンスターも多く在籍しており、決勝戦は実質オールブラックスとスプリングボクスの代理戦争と言えるだろう。
そしてその日はあっという間にやってきた。スーパーラグビー2035プレーオフ、準決勝のパープルバタフライズ戦だ。
オークランド市内最大にして、ニュージーランドラグビーの聖地イーデンパーク・スタジアムのロッカールーム。試合前最後のミーティングを開いていたユニオンズの出場メンバーは、ハミッシュを中心に円陣を組んでいた。
「相手は勢いに乗っている、油断は禁物だ。だが実力ではこっちに分がある、しっかりと守備を固めておけば負けることは無い。しっかりとボールキープをして、堅実に勝ち上がろう!」
キャプテンの激励に「おう!」と俺たちは声をそろえる。
さあ、心身ともに準備は整った。集まったファンの大歓声に迎えられ、俺たちは芝の上に進み出る。
しかしコートに立ってぐるりと回りを見渡した途端、ユニオンズの選手たちは誰もが「え?」と言葉を失うのだった。
「おいおい、マジかよ」
ローレンス・リドリーがへへっと乾いた笑いを浮かべる。この日のイーデンパークの様子は、いつもとはまるで違っていた。
普段なら応援に来る客はほとんどがユニオンズの白いジャージを着たファンなのに、今日のスタンドは青紫色が半数近くを占めていたのだ。
そう、日本から駆けつけた凄まじい数の大応援団だった。このスタジアムの収容人数は5万人。日本勢が新たな歴史を作る瞬間を自身の目で見届けようと、わざわざニュージーランドまで渡ってきたファンが数千……いや、もしかしたら万単位でいるのか?
やがて自然発生的に、日本からやってきたファンがパープルバタフライズの応援歌を合唱しだす。鳴り物禁止のラグビーでは、時おりこういった合唱が応援に使われる。
本当にここは俺たちのホームなのか?
そんな疑問さえ浮かんできそうな、異様な雰囲気に包まれている。
一方、アウェーのつもりだったのに日本国内のような声援を受けたパープルバタフライズは、全員が闘争の炎を目にたぎらせていた。
さて、試合は西川君のキックオフで開始される。
大きく蹴り上げられたボールロックのローレンスが22メートルライン手前で丁寧にキャッチした直後、先陣を切って突撃してきた進太郎さんが、いきなり強烈なタックルを食らわせる。
開始間際で全力をぶちこんできた彼のタックルは、ローレンスの205cmの巨体をいとも簡単に押し倒す。
ふたりが倒れたところにすぐに両軍の選手が駆けつけ、試合開始早々ラックが出来上がる。マイボールを維持したいユニオンズは、フォワードが肉壁を形成して地面に転がるボールを守った。
通常、この状況からボールを奪うのは難しい。自信がない限り、フォワードの裏で相手スクラムハーフがボールを拾って展開するのを待つのが常道だ。
だが今日のパープルバタフライズは違った。相手は芝の上のボールを奪おうと、壁になってボールを隠す俺たちユニオンズのフォワードにも臆することなく突っ込んでくるのだ。
単なる牽制を超えた本気のタックル。繰り出してきたのは120キロ超級の石井君だった。
まさかいきなり勝負に出てくるなんて、誰も思い付きもしなかっただろう。予想以上のパワーにラックを形成していたフォワードのひとりが弾き飛ばされ、その勢いで後方のスクラムハーフと接触し、ボールが密集の外へと転がり出てしまう。
大歓声と同時に、ラック付近にいた相手スクラムハーフ和久田君が反応した。彼はロケットのごとく飛び出すと、所有者を失ったルーズボールを素早く拾い上げ、抱え込んで芝の上を駆け抜けたのだ。
「危ない!」
慌てて反応したロックの選手が、和久田君にタックルを浴びせる。だが200㎝を超える彼のタックルは、身を屈めた忍者走りの和久田君には高すぎた。
「ハイタックル!」
無情にも言い渡される反則。
「ドンマイドンマイ」
「まだ始まったばかりだ、気にすんな」
相手にペナルティキックを与えてしまった仲間を励ますユニオンズのメンバーたち。
ゴール前という絶好の位置でキックの機会を得たパープルバタフライズは、当然ながらペナルティゴールでの3点を狙う。キッカーはフルバック西川君、彼にとっては目を瞑っていても成功できるような簡単なコースだ。
西川君はふうと呼吸を整えると、キックティーに置かれた楕円球を力強く蹴り上げる。そして高く打ち上げたボールを、H字型のゴールポストの間を通過させてしまったのだった。
その後、ユニオンズは度々得点機会を迎えながらも決めきれず、トライを奪えないまま時間だけが過ぎていった。
一方のパープルバタフライズは、まるで強運を味方につけているかのようだった。逆サイドへのキックパスやチャージなど、リスキーなプレーにチャレンジし、見事に成功させてしまう。そういった思わぬプレーを決められ、奥深くまで攻め込まれるという展開が何度も繰り返されていた。
やがて前半終了間際、俺たちは細かいパスをつなぎ、相手陣まで攻め込んでいた。
ちょうどボールを持っていた仲間の選手が、5メートルほど離れて真横の位置で並走していた俺めがけてパスを送ったのだ。近くでも受け取りやすいよう、ふわりとした山なりの軌道だった。
俺は慣性に従って飛来するボールに足を合わせ、自分の胸に飛び込んでくるのを待ち構える。
だがあと少しで手に触れるといったまさにその時、俺の目の前を突風が吹き抜けたかと思うと、今さっきまでそこにあったボールが消えていたのだった。
慌てて振り返る。見えたのはボールを抱えて一目散に走り去る、西川君の背中だった。
「まずい!」
俺たちは急遽Uターンしてボールを追う。フルバックとしてゴール前を守っていた西川君は、フェーズを重ねる内に俺たちのパスの癖を見抜いたのだろう。そしてさっきの場面でボールが俺に回されると睨んで、ウイングにも劣らないダッシュで飛び込みインターセプト、ボールを横からかっさらってしまったのだ。
守りの薄い自陣を駆け抜ける西川君に追い付かんと、俺たちは必死で走る。しかし既にスピードに乗った西川君には、ユニオンズ随一のスプリンターであるエリオット・パルマーですら引き離されてしまうのだった。
そして最後は誰もいないゴールまで走り込み、堂々のトライ。この試合最初のトライは、西川君の独走だった。
直後、イーデンパークが揺れた。観客は一様に大歓声をあげて、リズミカルにとびはねる。その鳴動は恐ろしささえ感じさせるほどで、スタジアムが壊れてしまうのではと本気で思った。
その後のコンバージョンキックも西川君はしっかりと成功させ、前半は3‐13のパープルバタフライズのリードで終わったのだった。
興奮した観客の歓声が未だに鳴り止まぬコートの上で、俺たちユニオンズの面々は頭を押さえたり芝を蹴りつけたりと穏やかではなかった。決して手は抜いていないのに思わぬ苦戦を強いられ、誰もが焦りの色を隠せないでいた。
それはハミッシュとて同じだった。珍しく眉間にしわを寄せ、「うーん」と小さくうなりながら必要以上に芝を強く踏んでいる。
「まずいな、このままでは」
本当に負ける。そこまでは口にしなかったものの、彼が何を言いたいのかは周りのメンバーたちは察しがついていた。
「俺たちとは積極性がまるで違う、この試合にラグビー人生のすべてを賭けようという気概さえ感じさせる、とんでもない圧力だ」
ハミッシュの言葉に、俺は「言われてみれば……」と小さく呟き返した。相手チームの今の心理状態がどんなものか、心当たりがあった。
そう、前回ワールドカップのワラビーズ戦だ。ベスト8進出のため、俺たち日本代表がオーストラリア相手に総力戦で挑んだことを思い出す。あの時、俺はこの試合で勝てるのなら次の試合で負けてもかまわないとすら思っていた。
きっと今のパープルバタフライズのみんなは、あの時と同じような心持ちになっているのだろう。次の試合も見据える俺たちと違って、目の前の勝利のためにすべてを投げ出せる最高の状態に。
「堅実な戦い方でいこうと思ったが……見込みが甘かった」
ハミッシュが大きく頷く。そして周りに集まったメンバー全員の顔を見回すと、「みんな!」と力強く呼びかけたのだった。
「俺たちもこの試合にすべてを賭ける! あっちが全力でくるならこっちも大胆に、思い切っていくぞ!」




