第四十三章その4 プレーオフの波乱
日本で結婚式の準備を済ませて本拠地のニュージーランドへ戻ってからというもの、俺はスーパーラグビーの後半戦をこなした。
そしてレギュラーシーズンすべての試合を終えた6月、ワールドカップまではあと3月を切っていた。そろそろ代表合宿に呼ばれて日本で調整を始めたいと考える頃合いだが、俺はまだニュージーランドに残っていた。
「ニュージーランドカンファレンス優勝、おめでとう!」
オークランド市内のクラブハウスのグラウンドで、俺やハミッシュといったユニオンズのメンバーは各自互いにシャンパンのボトルを手に取り、泡とともに噴き出すアルコールを仲間たちに浴びせていた。特に長身で目立つローレンス・リドリーは格好の的のようで、他の誰よりも多くのシャンパンを浴びせられており、頭のてっぺんから足の先まで完全に白い泡に覆われていた。
祝勝のシャンパンファイトだ。最終戦をなんとかカンファレンス首位で終えた俺たちユニオンズだが、2位、3位との差はわずかだ。あと1、2試合多ければいくらでもひっくり返ってしまうような混戦を制したことを、選手たちはほっと安心しながら優勝の喜びに浸っていたのだった。
「太一、お前雪だるまみたいになってんぞ」
そう言って俺の顔面にシャンパンを浴びせるのはオールブラックスのウイングでもあるエリオット・パルマーだ。
「やったな、仕返しの日本流ビールかけスタイルだ!」
俺は自分より身長の低いエリオットの片腕をつかむと、その頭の真上でシャンパンボトルをまっすぐ下に向けた。
ボトルの口から白い泡の混じった液体が滝のように流れ落ちる。それを頭から浴びせられたエリオットの姿を見て、周りの選手たちは「イエティだ!」と爆笑した。
「みんなの頑張りのおかげでこの厳しい戦いを乗り越えることができた、ありがとう」
俺たちをねぎらうヘッドコーチも、すれ違う選手全員からシャンパンを噴き掛けられるので既に泡とアルコールでずくずくだ。
「だが本番はこれからだ、今日は楽しめるだけ楽しんで、明日からはまた気を引き締めていけよ!」
ヘッドコーチの顔に一瞬、本気が浮かぶ。その声のわずかな変化を、酒にまみれながらも選手たちは読み取って「はい!」と本気の返事で答えたのだった。
そう、レギュラーシーズンだけで終わるのがスーパーラグビーではない。ここから上位チームのみで最終順位を決定する、プレーオフが待ち構えているのだ。
3地域のカンファレンスに分類されるためかスーパーラグビーのプレーオフはやや特殊で、各地域ごとのカンファレンスで首位になった3チームと、それ以外の全12チームの中で勝ち点の多い上位5チームが進出する。これら計8チームが1発勝負のノックアウト方式でトーナメントを行い、最終的な順位を決定するのだ。
ニュージーランドカンファレンスで1位になったユニオンズは、全体でも首位に立った南アフリカヨハネスブルグのサンダースに次ぐ全体2位でプレーオフに参加する。このサンダースは南アフリカ代表スプリングボクスを中心に強豪各国の現役選手を数多く擁するチームで、今シーズンではぶっちぎりの勝ち点で全体優勝を遂げていた。
そして驚くべきことに、なんと西川君らの所属するパープルバタフライズも全体6位、オーストラリアカンファレンス2位でプレーオフに進出しているのだ。彼らにとっては初のプレーオフであり、同時にこれは日本ラグビー史にも刻まれるべき快挙である。
「さあシャンパンファイトはこれくらいにして、今度は飲むぞ飲むぞ! みんなー、ハウスの中でビールが待ってるぞー!」
さっき一瞬だけ見せた鬼神のようなオーラはどこへやら、ヘッドコーチは陽気な声をあげて両手をあげてリズミカルに飛び跳ねる。まるで阿波踊りみたいだな。
そして翌週から、スーパーラグビー2035シーズン上位8チームによるプレーオフが開催された。俺たちの初戦の相手は全体7位、南アフリカ3位のゼブラスだ。
ホームであるオークランドでの開催ということも後押ししてかスタジアムには地元のファンが大勢詰めかけ、完全に俺たち優位の雰囲気で相手を圧倒した。最終的にユニオンズは5トライを決め、42‐11の大差で危なげなく勝利を決めたのだった。ハミッシュに至っては2トライをもぎ取るスーパープレーで、大いに会場を沸かせていた。
「みんな、良い滑り出しだ!」
ロッカールームに戻った際、ハミッシュ・マクラーセンが汗を拭いながらチームメイトに声をかける。スーパースターである彼は現在27歳と選手として最も力を発揮できる年齢におり、同時にユニオンズのキャプテンとして選手たちを引っ張っていた。
「特にフォワード、相手もスクラム強いのに反則を誘うなんて俺も驚いたよ。うちのプロップの安定感は抜群だな」
「後ろからみんながサポートしてくれたからだよ」
俺は謙遜ぶりながらもでへへと表情を崩す。単に試合で勝つよりも、スクラムで褒められる方が嬉しいのはフロントローあるあるだ。
「おい、次の相手が決まりそうだ」
その時、スマホを覗いていた選手のひとりが声をあげた。聞きつけた周りのチームメイトがまだ着替え終えてすらいないのにわっと群がる。
俺たちの次の相手は全体3位チームと6位チームの勝者だ。この全体3位というのはオーストラリアカンファレンス優勝のバイキングス、オーストラリアやフィジーなど強豪国の代表メンバーをそろえた名門クラブだ。そしてこの6位こそが、日本から参戦しているパープルバタフライズである。
現在、彼らはオーストラリアで試合を行っている。今シーズン、パープルバタフライズはバイキングスに勝ち点を得られておらず、戦力で見ても劣っていた。同カンファレンスで1位と2位といえど前評判では圧倒的にバイキングス有利と目されており、誰もがそういう結果になるだろうと覚悟していた。
だがスマホの液晶画面に映し出されたライブ映像を目にした瞬間、そんな憶測などまったく当てにならないことを俺たちは思い知らされたのだった。
「おい、勝ってるぞパープルバタフライズ」
上半身裸のまま、ローレンス・リドリーが唖然と口を開く。
スコアは25‐7。なんと劣勢とみられていたパープルバタフライズが、シーズンではぼろ負け繰り返していた上位のバイキングスに2トライ以上の差をつけている!
時計は既に78分にしてパープルバタフライズがボールキープ。現実的に考えて、パープルバタフライズの勝利は確実だった。
ボールを抱え込む背番号2の巨体はフッカー石井君だ。彼はその巨体をまっすぐに敵の守備ラインに突っ込ませると、数歩粘って倒されるもののすぐに後方の仲間につないでボールを守り切る。残り時間もわずか、絶対に相手にボールを渡さないぞという強い執念を感じるプレーだった。
その後もパープルバタフライズはフォワードを中心にラック形成と肉弾戦を繰り返し、着実に時間を稼ぐ。そしてとうとう表示が80分を越えたところでホーンが鳴り響き、すぐさま後方の選手にボールを回してラインの外へと蹴り出し、試合を終了させたのだった。
なんということだろう、パープルバタフライズは実力で勝るバイキングスを破って勝ち上がってしまったのだ。
スーパーラグビーでも珍しいまさかの下剋上。ワールドカップを目前に控えた相手選手や観客はもちろん、遠く離れたオークランドのロッカールームの俺たちも一様に度肝を抜かれてしまった。
「これは厄介なことになったな」
後ろからスマホを覗き込んでいたハミッシュが顔をしかめる。
実力ではこちらに分があるとしても、勢いに乗ったチームは何を起こすかわからない。その恐ろしさをユニオンズの選手たちは皆理解していた。
たしかに今年のレギュラーシーズンでは、ユニオンズはパープルバタフライズにアウェーでの勝利を収めている。だがそんな結果などもう当てにならない。目に見えない流れに乗ることができたチームは、奇妙なほどに勝利の運勢まで引き寄せてしまうのだ。
バイキングスが勝ち上がってくれた方が、まだ対策も取りやすかったのに。予想を裏切られ、チームメイトの表情もたちまち固くなる。
「あれ、小森なんでにやついてんだよ?」
しかしふと俺の顔を見た途端、エリオットは不思議そうな表情で首を傾けて尋ねてきたのだった。
「え、そう?」
「そうだよ、お前だけ今すぐにでもやってやるぜって感じで、こええよ」
「そんな顔なの?」
俺は掌を自分の顔にペタペタと当てた。まさかみんなが神妙な面持ちを浮かべる中、ひとりだけ場違いな顔をしていたなんて。
だがその原因は簡単に分かった。俺はパープルバタフライズが勝ち上がってくれることを、心の奥底でずっと願い続けていたのだ。彼らが勝ち上がって驚くのは当然だが、同時に嬉しいと感じているし胸もわくわくしている。
スーパーラグビーのプレーオフで西川君たちと戦う。小さい頃から憧れていた世界最高峰のレベルで幼馴染同士が戦うというシチュエーションがついに巡ってきたのだ、黙っていられるはずがない。




