第四十三章その3 今年のワールドカップ
ホテルの下見を終えた俺と亜希奈さんは、その足で鎌倉まで移動した。鎌倉市内の寺院や海岸で、式で使う写真の前撮りを行うためだ。
本番ではウエディングドレスなので、せっかくだから今日は和装をしたいというのが彼女の要望だ。俺も彼女もウェディングフォト専門店で衣装を借り、振袖と袴姿のまま各所をめぐる。
「Oh, Japanese KIMONO!」
「What a beautiful garment that is!」
Tシャツにリュックサックというラフな出で立ちの外国人観光客カップルが、鮮やかな振り袖姿の亜希奈さんをパシャパシャと激写する。
おいこら、何撮ってんだよ。すかさず俺は彼らのレンズの前に割り込んで妨害した。
「いいじゃない、撮らせてあげなよ」
しかし当の本人はどうでもよいといった風に、むしろ通りがかりの皆さんにも自分の晴れ姿を見てもらいたいようだ。髪を結いあげたおかげで首元をさらけ出す亜希奈さんの笑顔に、俺は「まあ亜希奈さんが言うなら」としぶしぶでかい身体をスライドさせる。
そしてすっかり陽も沈んだ夕食時。撮影を終えて着替えた俺と亜希奈さんは、事前に予約しておいた鎌倉駅前のフレンチレストランでディナーを楽しんでいた。
「今日は疲れたね」
普段着慣れていない袴なんてずっと着ていたせいか、試合の時よりもどっと疲労がのしかかってる気がする。
「うん、今日の写真が出来上がるの、楽しみだなぁ」
「そうだね……お、きたきた」
やがて食前酒のシャンパンが運ばれ、今晩のディナーが始まった。
突き出しには塩味を利かせたサーモンのカナッペ、前菜には半分に切ったトマトの上に衣をのせてバーナーで炙ったようなもの、そしてスープには冷たいヴィシソワーズ。普段ひとりなら食べようとすら思わない豪勢なコース料理だ。
「美味しい!」
「今日は暑かったから、冷たいスープは嬉しいね」
さすがネットで星4を取っているだけある、味は最高だ。
だがいかんせん、超級デブの俺にとっては量が少なすぎる。家に帰ったら冷凍ピザ3枚くらい食っておこうかな。
「ところで太一、ワールドカップ前の合宿はいつから?」
「スーパーラグビーのシーズンが終わったらほとんど日本にいる予定だよ。だから6月末には帰ってきて、合宿しながら6か国対抗戦やって、それから8月末にオーストラリアに向かうって流れかな」
もちろんこれは最終メンバーに選ばれたら、という前提ではあるが。
今年9月から始まるワールドカップの開催地はオーストラリアだ。
前回大会で日本に敗れてベスト12で終わったオーストラリア代表は帰国後、国内ではかなりのバッシングを受けたそうだ。だが自国開催である次の大会に向けて奮起してからは本来の実力を取り戻し、翌年の6か国対抗戦では日本はもちろんニュージーランドや南アフリカをも破っての全勝優勝を果たして名誉を回復させたのだった。
そんなオーストラリア大会のプール戦の組み合わせは以下の通りだ。
2035オーストラリア大会プール分け(カッコ内は2035年4月時点世界ランキング)
・プールA
オーストラリア(5) ウェールズ(4) ジョージア(13) イタリア(14) ロシア(20) ナミビア(21)
・プールB
南アフリカ(2) アイルランド(7) フィジー(12) トンガ(17) ルーマニア(18) 韓国(25)
・プールC
イングランド(3) 日本(6) スコットランド(10) アメリカ(11) カナダ(16) ポルトガル(25)
・プールD
ニュージーランド(1) フランス(8) アルゼンチン(9) サモア(15) ウルグアイ(19) ドイツ(26)
プールCの日本は、前回大会と比べれば組み合わせに恵まれたと言えるだろう。
ここ最近は南半球6か国対抗戦でもフィジー、アルゼンチンにはかなりの勝率を得られ、オーストラリアにも3回に1回は勝てるレベルになっている。ヨーロッパ勢でもアイルランドやウェールズと五分五分まで持ち込めており、日本の世界ランキング6位というのは至って順当な立ち位置だった。
大崩れしない限り、プール戦突破は堅い。できればイングランドにも勝ってプール1位でベスト8を確定させておきたいところだ。そうすれば1戦少なくなるし、決勝トーナメントも有利に進められる。
選手生命で言えば、俺にとっては今大会が最も脂ののった時期に迎えられるワールドカップだろう。是非ともここで自分のできるベストの結果を残し、最高の形で12月の結婚式を迎えたい。
食事を終え、あとは会計という時のこと。食後のエスプレッソコーヒーを飲み終えたところで、俺はトイレに立ち寄った。
用を足して洗面所で手を洗っていた時のことだった。
「あの、すみません」
後ろから声をかけられ、俺は思わず振り向いた。
立っていたのは俺と同い年くらいの男性だった。きっと恋人とのディナーに来ているのだろう、パリッとアイロンがけされたスーツを着込み、胸ポケットからは三角形の白いポケットチーフを覗かせている。
「ラグビーの……ユニオンズの小森さん、ですよね?」
大当たり。嬉しさを隠すように、俺は「はい、本人です」と頷いた。
「わあ、本物だ!」
男性がたちまち幸せそうな表情を浮かべる。そしてすぐにはっと我に返ると、慌てて頭を下げたのだった。
「あ、すみません。いつも試合見ています! あの、申し訳ないのですがサインいただいてもよろしいでしょうか?」
男性は自分の胸ポケットにさしていたボールペンと真っ白のポケットチーフを俺に差し出した。緊張のせいか、手が少し震えている。
「はい、かまいませんよ。応援ありがとうございます」
俺はにこりと微笑み返し、男性の手からペンとチーフを受け取る。
ポジション柄玄人しか注目してくれないせいか、街中を歩いていてもこういう機会はあまり無いので素直に嬉しい。時々俺の存在を気付いてあっと驚いた顔を向けてくれる人もいるにはいるが、たいていは声もかけられずに終わってしまうからなぁ。
やがて俺はサインを書き終える。
「ありがとうございます! 一生の家宝にします!」
チーフを受け取った男性はそれを両手でぎゅっと小さく折りたたむと、何度も何度も頭を下げる。そして足取り軽く、トイレから去っていったのだった。
そのチーフ、大事に取っといてね。間違っても洗濯しないでくれよ。
「俺も有名になったもんだなぁ」
ふと洗面台の鏡に映り込んだ自分の姿にちらりと目を向ける。何の変哲もない春物のジャケットを着てはいるが、威圧感を与えるほどでかい身体はたしかに物珍しいだろう。
この15年ほどで日本のラグビー人気もすっかり定着したことから、ラグビーワールドカップはオリンピックやサッカーワールドカップと並んで国内メディアの注目を集めるスポーツイベントとして数えられていた。開催までまだ半年近くあるが、スポーツ特番では既に誰が代表に選ばれるか、今大会の優勝候補はどの国かといった話題が頻繁に飛び出してくる。
ちなみに人気なのはイケメンセンター秦亮二、そしてフルバック西川俊介のツートップだ。やっぱバックスの方がカッコイイのは仕方ないよな。フォワード、それもプロップなんて観戦初心者にとってはスクラムに混じってるデブなモブAくらいにしか映らないだろうし。
代わりと言っちゃなんだが、元ラガーマンとかガッチガチのスポーツオタのおっさん連中からの評判はすごいんだぞ。あんまり嬉しくないけど。




