第四十二章その1 おめでとう日本!
街中のあちこちでクリスマスの装飾が目に付く12月上旬、その日は東京のビル街にも冬の冷たい風が吹き付けていた。
ここは丸の内仲通り。普段は石畳の整備されたケヤキ並木に高級ブランドショップが軒を連ね、ビジネスマンや有閑マダムがのんびりと歩くハイソなエリアである。
だがこの日は朝早くから老若男女問わず大勢が押し掛け、人をかき分けて前に進むことすらできないほどの混雑に陥っていた。通りに面した建物でも、上階のオフィスやカフェの窓際には隙間なく人がべったりと貼りついている。
そんな大群衆を貫くようにして、警備員とフェンスで作られた花道を、俺は皴ひとつ無いスーツにきっちりと身を包んでゆっくりと練り歩いていた。
俺だけではない、和久田君や石井君、中尾さんに進太郎さん、テビタさんにジェローンさんら31人のラガーマン、そしてヘッドコーチ。彼らもいつものジャージを脱いでスーツを着込み、群衆に向かって手を振りながら悠然と歩いていたのだった。
そう、今はまさにラグビー日本代表のパレードの真っ最中だ。
「ベスト8おめでとう!」
「ありがとうブレイブブロッサムズ!」
手だけでなく国旗や応援旗を振りながら、身を乗り出して声をかける大観衆。半数近くが日本代表の桜のジャージを着ており、コースになる800メートルあまりは試合と同等以上の熱気に包まれていた。
これまでも同様のイベントでは常に10万人以上の観衆が訪れていたそうだが、今年は例年より何割も増しているそうだ。
「みんな、応援ありがとう!」
「これからもよろしく!」
俺や和久田君らワールドカップ出場選手は全員が満面の笑みでファンの声援に感謝の気持ちを言葉に表す。このパレードの主催者は日本ラグビーフットボール協会、ワールドカップの間熱心に応援してくれたファンに、選手たちが直接感謝するために実施されている。
先月、ラグビーワールドカップ2031アイルランド大会は大きな事件や事故も起こらず無事に閉幕した。
決勝トーナメントでオーストラリア相手に歴史的勝利を収めた日本代表は準々決勝でニュージーランドとぶつかったものの、前戦の疲れが抜けきれずに10‐49の大差で敗れてしまったのだった。
しかもハミッシュには4トライを決められ、前半はともかくスタミナの切れた後半はあれよあれよと30点を奪われている。恐ろしいのはニュージーランドは主力メンバーを休ませた若手メンバー中心であり、オールブラックスとして決して万全のスコッドではなかったことだ。
ワラビーズに1勝できたからといって浮かれてはいられない。世界トップレベルと戦うにはまだまだ埋めがたい差があるのを改めて知らされ、俺たちのワールドカップは終わったのだった。
だがすごすごと帰国してきた俺たちを、日本のファンは温かく迎えてくれた。
長年打ち破れないでいた決勝トーナメント1勝の壁を、4度目の挑戦にしてついに乗り越えた。日本ラグビー界にとって大きな前進を示す快挙であることを、ずっと応援してくれたファンは俺たち以上に評価して喜んでくれたのだ。
「キャプテン!」
「これからも応援するね!」
「ありがとう、みんな本当にありがとう!」
キャプテンのジェローンさんは目に付いたひとりひとりについ声をかけてしまうので、なかなか先に進めない。タイムキーパーのスタッフから「急いで」と小さく声を掛けられ、しぶしぶ歩調のペースを上げる。そんな彼の背中を見送るファンは、大勢が涙ながらに「本当に辞めちゃうの!?」や「まだ引退しないで!」と嘆くような声を贈っていた。
帰国直後の記者会見で、ジェローンさんはこのワールドカップをもって日本代表を引退すると発表した。関係者や記者からはまだ早いのではないかという意見も多く寄せられたものの、「ピークを過ぎた自分よりも、若くて才能のある選手に代表を任せたい」と押し通したのだった。
これまで俺たち日本代表がまとまってこられたのは、キャプテンであるジェローン・ファン・ダイクの存在あってのものだ。同時に不動のナンバーエイトに君臨していた彼の不在は大きな戦力ダウンに他ならない。次のワールドカップまでに彼に代わるナンバーエイトを育て上げることが、日本ラグビー界の喫緊の課題だった。
「亮二くーん!」
「こっち向いてー!」
若い女性に70くらいの高齢女性まで、一際黄色い声が沿道からわっと寄せられる。その声に応えて二枚目担当の秦亮二がにかっと白い歯を見せてほほ笑むと、「きゃー!」だの「このまま死んでもいい!」だのと大歓声が上がり、周りの人々も思わず耳を押さえてしまうのだった。
さて、2か月弱続いた熱狂のワールドカップは以下のような結果で幕を閉じた。
ラグビーワールドカップ2031アイルランド大会結果
1.ニュージーランド
2.イングランド
3.南アフリカ
4.ウェールズ
ベスト8
日本 フランス アイルランド アルゼンチン
ベスト12
オーストラリア アメリカ スコットランド イタリア
プール戦4位(次回大会予選免除)
トンガ サモア ジョージア フィジー
プール戦5,6位
カナダ 香港 ルーマニア ナミビア ロシア ドイツ ウルグアイ スペイン
前回優勝を逃したニュージーランドはプール戦も含め全勝で王座を奪還し、2大会ぶり5度目の優勝に輝いたのだった。ハミッシュ・マクラーセンやローレンス・リドリーといった俺と年代の近い選手にとっては初のウェブ・エリス・カップだ。
次回は2035年オーストラリア大会だ。次の大舞台に向けて、各国は今大会の反省を活かして新たな代表チームを4年の間に作っていくことだろう。
「小森!」
フェンスから身を乗り出していた子供たちに手を振り返していたその時だった。群衆の中から突如聞こえてきたのは耳になじみのある声に、俺ははっと頭を上げる。
「浜崎!」
「よう、カッコ良かったよお前!」
観衆の最前列に陣取って、スマホのカメラで俺の姿をパシャパシャと連写する金沢スクール時代のチームメイトがそこにいた。
「よく来てくれたなぁ!」
「あったりまえだよ、補欠の俺に出番なんか無いからな。暇で暇で仕方ねーんだ」
そう言って浜崎は自嘲気味に笑う。大学ラグビーも大詰めを迎えた今日この頃、強豪ラグビー部の一員ながら一軍に選ばれていない彼は暇を持て余していた。
「ま、おかげでここまで来れたんだからな。感謝しろよな、小森!」
「知るかよ!」
パレードの最中、幼少期さながらのやりとりを繰り広げる俺と浜崎。やはり小さい頃からのつながりというものはそう簡単には緩まない。
それだけに心底、この場に西川君や南さんが来られないのが残念で仕方がなかった。
強豪校に属する西川君は当たり前のようにリーグ戦優勝を果たし、来週から始まる全国大会に備えて連日ラグビー漬けの日々を送っているそうだ。この激戦は来年1月まで続く。
そしてそこまで強豪とは言えない南さんの大学も、なんと下部リーグではあるが創部以来初の優勝を果たし、今日はプレーオフで上位リーグとの入れ替え戦に出場している。
というのも以前、俺と電話をした矢野君の存在がフォワード躍進のきっかけになったそうだ。右プロップである彼は体重124kgの体格自慢で、上位リーグでも十分通用するほどスクラムを見せつけている。中学では部活に入っておらずラグビーを始めたのも高校からだが、基本的な運動能力は平均程度はあったそうで、鍛練を積むと同時にみるみる才能を開花させていったらしい。
南さん情報によると、矢野君にはすでにU20日本代表から召集の通知が届いているそうだ。来年のU20チャンピオンシップへの出場を見据えているのだろう。もしかしたら近い将来、いっしょに日本代表としてコートに立つことになるかもしれない。
「そういやニュージーランドにはいつ帰るんだ?」
「ああ、年明けまでいるつもりだよ。あっちは今、シーズンオフだからね」
ワールドカップが終わってからというもの、日本国内のテレビ番組やイベントに引っ張りだこだったからなぁ。年末には地元の区役所で名誉市民の表彰式もあるし。
「じゃあ今度の西川の試合、みんなでいっしょに見に行こうぜ!」
「もちろんだとも!」
俺と浜崎はぐっと拳を突き合わせる。だがその時、駆け付けたスタッフに「ファンとの接触はご遠慮ください!」と注意され、「あ、すみません」とふたりそろって慌てて手を引っ込めたのだった。




