第四十一章その5 世界の歴史がまた変わった!
「日本代表の歴史的1勝、おめでとうございます!」
その日の夜、ホテルの会議室は急遽記者会見場に模様替えされていた。
「お、俺は今日、この日のために、ラグビーをやって……きたんだと思います」
普段なら何十台もカメラを向けられても堂々としているキャプテンが、両目をハンカチで押さえ喉を詰まらせながら話す。日本だけでなくヨーロッパはじめ世界各国のマスコミが会場に押し寄せ、他の選手たちもいつも以上に緊迫した面持ちを貼り付けていた。
ジェローンさんがトライを決めた後、落ち着いてコンバージョンゴールも成功させた日本代表ブレイブブロッサムズは、ついに11-13でオーストラリアに逆転したのだった。値千金の得点に喜びを爆発させ、ハードな試合の真っ最中にもかかわらず俺たちの身体からは蓄積していた疲れもすべてどこかへ吹き飛んでしまった。
そこからの会場は日本ムード一色だった。鳴りやまぬジャパンコール、立ち上がった観客が自然とリズムを一にして手拍子を贈る。そんなスタジアムの空気を打ち砕くべく、オーストラリアは全員が100パーセントフルスロットルで超絶的なスピードとパワーを発揮し、キックパスを多用した超攻撃的なプレーを展開してきたのだった。
だが勝利を目前にした日本代表のモチベーションもまた、かつて経験したことが無いほどにまで高まっていた。足がちぎれそうになってもボールを追いかけてキープ、追い込まれれば即キックでの陣地回復を繰り返し、オーストラリアにトライを決めさせなかったのだ。
途中、相手の蹴り放ったドロップゴールが外れるという幸運にも助けられ、とうとう俺たちは11‐13のまま逃げ切ることができたのだった。
試合終了と同時に、日本代表の選手はほぼ全員が泣き崩れた。日本代表史上、初の決勝トーナメントでの1勝。しかも相手は南半球3強の一角オーストラリア、世界でも間違いなく5本の指に入る強豪だ。
観客がいようと全世界にテレビ中継されていようと知ったこっちゃない。ただただ喜びと達成感に満たされ、内から湧き出す感情を抑えきれず仲間同士抱き合って文字にも書き表せない雄叫びをあげ続けたのだった。
「日本じゃ大騒ぎだよ。早朝なのに近所のあちこちからやったーって声が聞こえてくるし、駅前で新聞の号外配ってたら歩いていた全員が殺到するし」
夜、自室に戻った俺は日本にいる南さんと電話で話していた。彼女は今日の試合も、深夜からずっと家族全員でテレビ中継を見てくれていたそうだ。
日本がお祭り騒ぎになっているであろうことは、アイルランドからでも容易に想像できた。年を重ねるごとに列島全体でラグビー熱が高まってきていることは、選手である俺自身もつくづく感じている。
何せアイルランドでも日本がオーストラリアを破ったという話題はテレビで何度も繰り返されているのだ。ラグビー好きのアイルランド人はアイルランド代表だけでなく、他チームの勝敗や情報についても当然のように関心を向けている。実際にスポーツ番組の解説者も、世界の歴史がまたひとつ変わった、日本の躍進はラグビー界の発展に大きなプラスだと、俺たちの勝利をまるで自分たちのことのように喜んでいた。
それにしても全国のお茶の間、いや世界中に俺のぐしゃぐしゃになった顔が知れ渡ってしまったのか……今更だけど、だいぶ恥ずかしいなこれ。
「速報だけど、瞬間最高視聴率50%いったらしいよ。放送は朝早くなのに、すごいことだよこれ」
「日本の2人にひとりは俺たちを見守ってくれていたのか……」
たしか前にサッカーワールドカップが早朝に中継された時も、視聴率はそれくらいだったかな?
日本におけるラグビーの注目度が、以前よりも桁違いに跳ね上がっていることを端的に表しているのだろう。
「そりゃあね、テレビでもネットでも毎日ラグビーのニュースや特集が組まれてるし、大学でも普段はスポーツに無関心な子からラグビーってどんな競技なのって質問攻めだよ。大抵は秦亮二君ってイケメンだよねって感じで話題に流れるけど」
「俺は俺は?」
「残念ながら名前すら上がってこない。私としては安心なんだけどね」
くそぅ! デブに生まれてきたことを呪うぜ!
「次はニュージーランド戦でしょ? ワラビーズ倒した勢いで、このままオールブラックスもやっつけちゃおうよ!」
励ますように話す南さんだが、俺は「うーん、どうだろう」と返事を渋る。今日の試合に俺たちが勝てたのはいくつもの幸運が重なったところに、全精力を注ぎ込んだ末の出来事。世界最強軍団相手にも同じ手が通じるとは、さすがに考えられなかった。
本日、別会場で行われた試合で、プールD2位のフランスはプールC3位のアメリカに大差で勝利を挙げていた。昨日、今日とでベスト8までが絞られたことで、次の準々決勝戦は以下のような組み合わせで行われることになったのだった。
ラグビーワールドカップ2031準々決勝
・ニュージーランド(A組1位) VS 日本(D組3位)
・ウェールズ(B組1位) VS フランス(D組2位)
・イングランド(C組1位) VS アイルランド(A組2位)
・南アフリカ(D組1位) VS アルゼンチン(B組2位)
ベスト12敗退
オーストラリア アメリカ スコットランド イタリア
プール戦3位のチームが勝ち上がったのは日本が唯一だった。それ以外は概ね順当な結果と言えるだろう。改めて眺めてみると、この顔ぶれにしれっと日本が混じっているのが不思議に思えてくる。
「ハミッシュと戦えるんだから、楽しみだね!」
「う、うん、そうだね」
俺は苦笑いで返す。
今日の試合、日本代表は普段ならセーブしているはずの力まで全開にして戦い切った。そんな無理が祟ったせいか、試合後しばらく経ってから堰を切ったようにどっと疲れが押し寄せ、全員が全員ろくに歩けないほどへろへろになってしまったのだ。
正直に話すと、俺も今まさに猛烈な睡魔と戦っている。気を抜けば耳にスマホを当てたまま眠り落ちてしまいそうだ。
それほどまでに疲弊しきった日本と、1試合分のオフを得たニュージーランド。選手からすればもう勘弁してくれよと愚痴のひとつでも吐き出したくなる状況だろう。




