第四章その5 うわあ、すっげーデブだ
その夜、荷物に歯ブラシを入れ忘れていたことに気が付いた俺はコーチに許可をもらい、民宿近くのコンビニへとひとりで外出した。
小学生のお小遣いでは100円単位でも大きな出費だ。これからはちゃんと荷物をチェックしてから家を出よう。
「超極細とか医学博士監修とかいいから」
店内に入った俺は、とりあえず磨けりゃいいんだよと一番安いのを棚から選ぶ。
そしてレジへ向かって歩いていた時、別の商品棚を見てふと足を止めた。
「Rリーグチップス、か」
袋詰めのスナック菓子だった。つまりはよくあるポテトチップスなのだが、おまけでラグビー選手のカードが1枚付いてくる。
そういえばプロ野球やプロサッカーではカード付きのお菓子はよく見るが、ラグビーでも発売されたのはこの頃が初めてだったな。Rリーグの定着した時代を知る俺にとってはありふれた商品でも、創設当初での商品展開はなかなかに勇気ある挑戦だっただろう。
せっかくだしひとつ買っちゃおうか。横浜グレイトシップスの選手のカードが出ればラッキーだと思おう。
そう棚に手を伸ばしてスナックの袋に触れたところで、横からふっと伸びてきた手が同じ袋に触れた。
「お?」
思わず顔を向ける。そこには俺の隣には同い年くらいの男の子が、丸くした目をこちらに向けて立っていたのだった。
だが、その少年の姿を見た途端、俺が真っ先に思ったのは「うわぁ、すっげーデブだ」だった。
どの口が言っている、と総ツッコミを受けそうな感想だが、事実この少年は俺よりも身長が5センチほど高く、手足もがっしりとした筋肉が脂肪の層に覆われている。たぶん、というか絶対に俺より重い。
まさか同年代で自分よりもご立派な体格の人物に出会うとは思いもしなかった。しかもこんな夜のコンビニで。
「あ、すんまへん。先取ってぇな」
そう言って肥満体の少年は関西弁で俺にお菓子を譲る。関西から来た人なのだろう。
「あ、ありがとう」
俺は軽く一礼すると、スナック菓子をひとつ手に取る。肥満体の少年もそれに続いた。
そして少年は何度か瞬きして俺を見ると、「なあ、君もラグビー合宿に来たん?」と尋ねてきたのだった。
「君もって、君もラグビー?」
「せやで、見るからにって感じやろ」
「だね。俺も右プロップやってるよ、君は?」
「フッカーやで。俺の頭の左側、削らんといてや」
フッカーと右プロップはスクラムで直接接触するからな。
そうして名前も知らない肥満体の彼とはいとも簡単に打ち解けてしまった。ラガーマン同士はなぜか初対面でもすぐ仲良くなれるという言い伝えは、本当のようだ。
コンビニを出た俺と少年は、ふたり並んで夜の道を歩いていた。
暗く不安な夜道でも、彼のような明るい人がいっしょにいると心強かった。
「日本代表、フランスでも勝てるやろか?」
「どうだろうねえ、でも今の勢いならいいとこまでは行くと思うよ」
「うん、クジ運はすごい良かったもんな」
実は去年、つまり2020年の11月、2023年ワールドカップ開催地であるフランスにて次回大会の組み合わせ抽選会が開かれていた。
その結果、各グループリーグの組み合わせは下記の通りに決まった。括弧内は前回大会、つまり2019年大会の順位だ。
グループA
・イングランド(準優勝)
・フランス(ベスト8・開催国)
・フィジー(グループリーグ3位)
・ヨーロッパ地区予選1位
・最終プレーオフ勝者
グループB
・ニュージーランド(3位)
・アイルランド(ベスト8)
・アルゼンチン(グループリーグ3位)
・アメリカ地区予選1位
・ヨーロッパ地区予選2位
グループC
・南アフリカ(優勝)
・オーストラリア(ベスト8)
・スコットランド(グループリーグ3位)
・オセアニア地区予選1位
・アメリカ地区予選2位
グループD
・ウェールズ(4位)
・日本(ベスト8)
・イタリア(グループリーグ3位)
・アフリカ地区予選1位
・オセアニア地区予選2位
各グループから決勝トーナメントに進出できるのは上位2か国のみ。敗退でも3位に入ったならば次回大会への出場を確定できる。
日本の振り分けられたグループDにおいてはウェールズが頭一つ突き出ているものの、日本とイタリアは互角、むしろ近年は日本に勢いがあるために有利とさえ評されている。幸いにも、かなり突破しやすい組に振られたと言ってよいだろう。
他にグループリーグで戦うとなればアフリカ地区1位にナミビア、ケニア、ジンバブエ。オセアニア地区2位にサモアかトンガといったところだろう。いずれも強敵ではあるが、順当にいけば日本なら十分に勝てる相手だ。
「日本はまだいいけど、グループCのスコットランドは辛いね」
「せやな、スプリングボクスとワラビースのどっちかに勝たなあかんとか、無理ゲー過ぎる」
日本大会でもイタリアがニュージーランドと南アフリカと同組になって可哀想だったな。そんな戦う前にへこむなと喝を入れられるかもしれないが、同じティア1の中でも南半球3か国の実力は別格なのだ。
会話をしながら少年はおまけのカードの袋を開く。
「お、ラッキー! 大阪ファイアボールズの木田やって!」
贔屓のクラブを引き当てたようで、肥満体の少年はえらく喜んだ。
そうこうしている間に俺は合宿所の民宿の前まで来ていたので、「じゃあ俺、ここだから」と少年に別れを告げる。
「おう、ほなな」
そう言い残して少年は夜道に消えていった。だがカードを当てたのが嬉しかったのか、近所迷惑も顧みず陽気に口笛なんか吹いている。
俺も民宿の玄関を開ける。ちょうどロビーでは、うちののフッカーの鬼頭君が風呂上がりのフルーツ牛乳を飲んでいた。
「お帰り。今外から関西弁聞こえてきたけど、お前誰かと一緒にいたのか?」
「うん、名前は聞いてないけど、俺よりもでっかい子。フッカーだって」
「フッカーで、小森よりでかい身体の関西人か……」
そう言いながら鬼頭君は牛乳瓶を傾ける。
突如、鬼頭君の口からフルーツ牛乳がぶっと逆流した。汚い。
「お前、それ絶対に明日戦う相手だぞ! 天王寺スクールの石井秀則!」
「石井……秀則?」
はて、どこかで聞いた覚えが。しかし最近のことではなさそうで、俺はだいぶ前の記憶をたどる。
「石井……あ!」
そしてようやく思い出した俺は、とび上がるほど驚いた。
前の人生でテレビで見た2035年ラグビーワールドカップオーストラリア大会。その日本代表のフッカーの名前こそ、まさしく石井秀則だったのだ。




