第四十一章その4 栄光へのキックパス
俺たちの得点後、疲れを見せていたオーストラリア代表はアクセルを上げ、日本により強いプレッシャーをかけ続けていた。
日本を突き放すべく、激しく身体をぶつけてボールを奪ってくるワラビーズの選手たち。だが刻一刻と時間が流れるにつれてそのプレーには粗が目立つようになり、せっかくゴール前まで日本を追い詰めたにもかかわらず、反則でボールを蹴り戻されるという展開が何度も繰り返される。
そして後半25分を過ぎた時のこと。
ボールを確保していたテビタさんが、日本陣側のタッチライン近くで相手選手のタックルを受ける。だが彼は衝突の直前にむんと足腰に力を入れ、優に100kgはあろう敵選手の一撃に耐えて立ち続けたのだった。
ひとりでは止められない。オーストラリア選手たちはとっさに駆け寄り、3秒と経たないうちに2人目が続けてタックルを入れる。
ついにテビタさんの身体が倒される。だが彼が踏ん張ってくれたおかげで、味方も敵もボールの周りに大勢が集まるだけの時間を作ることができた。
地面に倒れた後もテビタさんはボールを守り、さっと身体を入れた中尾さんらフォワードによってラックが形成される。この間にスクラムハーフ和久田君も駆けつけ、芝の上のボールに両手をそっと添えながら味方の戦列が整うのを待った。
一方、離れた位置にいた俺はこの密集に参加できず、ラックの後方でじっと腰を落として次に備えていた。もしボールを回されたなら、この135kgの身体でぶつかって肉弾戦に持ち込むつもりだ。
ちらっと逆サイドに目を向ける。その時目にとらえたのは、逆サイド方向でぐっとこちらに腕を突き出すセンター秦亮二の姿だった。
はっと息が止まる。そうだ、今こそ最大のチャンス。幸いにもこの密集でオーストラリアの選手たちはこちら側に集まっている。
ボールに手を伸ばして屈むスクラムハーフ和久田君に、俺は後方からぐっと鋭い視線を飛ばす。その想いが通じたのか、周囲を確認していた和久田君がちょうど後ろを振り向き、彼の視線と俺の目がばっちり合わさった。
直後、彼はぐっと口を堅く結んだ。頷いて作戦が読まれるのを隠すために。
そして俺がもう一歩だけ後ろに下がった時、和久田君は相手選手15人の視線を一身に受けながらも目にもとまらぬ手さばきでボールを拾い上げ、ライフル弾のようなパスをまっすぐ俺に送ったのだった。
ドリルのように空を切りながら、猛スピードで飛来する楕円球。下手につかめば皮膚がはぎとられてしまいそうなボールを、俺は抱え込むようにしてキャッチする。
ラック後方からオーストラリアの選手たちが走り出した。プロップに回されたことからフォワード勝負を予想したのだろう、的確にタックルを入れようとすでに姿勢をやや前傾にしている。
距離はまだ離れているというのに震えあがるほどの威圧感だ。だがそんなこと気にしている場合ではない。相手がボールの奪取に夢中で後方の守備が薄くなったこの一瞬、逃すものか!
俺は身体をくるりと横に向ける。そして手に持ったボールを自分の足元に落下させ、全力のキックを叩き込んだのだった。
逆サイド斜め前方向、センターライン付近への大きなキックパスだ!
蹴り上げられたボールが選手たちの頭上を越え、両軍のバックスがわっと走る向きを変える。だが誰よりも早く落下地点に駆けつけたのは、俺の行動を予見し、キックを入れる前から走り出していた日本代表センター秦亮二だった。
地面に落ちた楕円球があっちこっちに不規則に跳ね返る。亮二は高くバウンドするボールめがけ全速力で駆け込むものの、オーストラリアからもゴール前を守っていたウイングが凄まじいスプリントを見せつけて駆け上がってきている。このままでは無事にキャッチできても、すぐさまタックルを入れて止められてしまうだろう。
だが俺の不安はまったくもって無用だった。亮二は足を緩めることなく、前を塞ぐウイングに視線を向けたまま突っ込む。そしてちょうど芝の上を跳ねていたボールに足を伸ばすと、なんとキャッチを挟むことなく前方へと蹴り上げてしまったのだ。
ポーンとボールが高く打ち上がる。まさかのプレーに相手ウイングは急いで両手を上げるものの、指先をかすりさえしなかった。
やがてウイングの後方でバウンドするボールに、スピードを落とさないまま走ってきた亮二が追いつき、胸の高さに跳ね返ってきたところで腕を伸ばして抱え込んだのだった。
「ワンダフル!」
どよめき、拍手、歓声、会場が沸き立つ。ワラビーズの守りを次々と突破し、ガラガラの敵陣を独走する日本代表に5万の観客は熱狂のエールを贈った。
あのワラビーズから、日本が逆転のトライを奪うのか!?
そんな観客の期待が収まりきらないほど声に込められていた。他の日本代表選手たちも何事かあればすぐにサポートに入れるよう、ダッシュで戦列を前に進める。
ついに残すはトライを決めるのみ。だがゴールめがけて一心不乱にひた走る亮二の前に、相手フルバックが立ちふさがる。195cmはあろう長身に、ナンバーエイトでも通用しそうな逞しい筋肉。超強豪ワラビーズのゴールを守る最後の門番として、これ以上ない選手だった。
フットワーク自慢の亮二がかわし切るか、それともフルバックのタックルで止められるのか、勝負はほんの一瞬で決まる。
だがその時、後方の日本陣側からひとりの選手がすでに飛び出し、土埃を巻き上げんばかりの勢いで駆け上がっていることを亮二は見逃してなどいなかった。
「キャプテン!」
相手フルバックにぶつかる直前、亮二はすっと身体をひねらせ、斜め後ろにパスを送る。ふわりと投げられたボールを大きな掌でつかんだのは、数十メートルを全力疾走で飛ばしてきた日本代表キャプテンのジェローン・ファン・ダイクだった。
ボールをつかんだキャプテンはさらに速度を増し、その鋼のような肉体をロケット弾のごとくまっすぐゴールまで走らせる。
しかし相手フルバックも大したもの、ボールが回されたと見るや狙いを亮二からキャプテンへと反射的に切り替える。見た目とは裏腹に軽快なフットワークでタックルの方向を転換させると、鬼神の形相で突っ込んでくるキャプテンの行く手を塞いだのだ。
だが全身全霊を注ぎ込んだキャプテンには、まるで歯が立たなかった。ジェローンさんは高速で走り込みながらもその巨体から大木のような太い腕を突き出し、迫りくるフルバックを力づくで押しのけてしまったのだ。人知を超えた圧倒的なパワーに阻まれ、相手選手ははじき返される。慌てて手を伸ばすも、キャプテンの身体をつかむにはすでに遅かった。
ついに、キャプテンの足がゴールラインを踏んだ。そして大歓声の中スピードを落とさずにゴールポスト裏まで駆け込むと、ようやく倒れ込むようにしてキャプテンはボールを地面に触れさせたのだった。




