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第四十一章その2 人生の集大成

「亮二のヤツ、どうしたんだ?」


 翌朝、練習場に立った進太郎さんは目を丸めていた。練習前のウォームアップ後、選手それぞれがパスや柔軟運動で身体を慣らす中、弟の秦亮二が楕円球をドリブルしながらコートの周りを走っているのを目にしたのだ。


 昨夜の和久田君の提案を受けて、彼は本格的にドリブルの練習を始めていた。試合中、追い込まれた際の自陣の回復や相手の裏をかくのが目的でバックスがパントキックを繰り出すことは少なくない。亮二自身も自分の蹴ったボールを追いかけてもう一度蹴り転がすといったプレーはほとんど経験が無いが、ここ最近の試合でミスと呼べるほどのキックミスは見られないので、練習を重ねればモノにすることは可能だろう。


 とはいえオーストラリア戦まではあと5日。超々強豪相手にそんな付け焼き刃で対抗できるかは未知数でしかない。


「みんな、集合!」


 スタッフを引き連れてヘッドコーチが現れると、散らばっていた選手がすぐに集まる。ドリブル中の亮二も足元のボールを拾い上げるとダッシュで駆け寄った。朝一恒例のミーティングだ。


「次の試合、オーストラリアはプール戦で見せた以上の力を発揮してくるだろう」


 粛々と話すヘッドコーチの声に、選手たちはじっと聞き入っていた。


 オーストラリアほどの強豪であれば、当初は決勝戦にピークを持ってこられるように力加減をしてきたことだろう。


 しかしプール戦でイングランドに敗れて2位になってしまったことで、彼らのプランは崩れてしまった。最初にぶつかる日本は直前の対決でドローになっているため油断はできないであろうし、もしここで勝ち上がっても準々決勝で早々に王者ニュージーランドとぶち当たってしまう。


 きっとニュージーランド戦で全力を出し切れるよう、コンディションを整えているはずだ。日本戦はそれに向けての前哨戦、弾みをつけるためにも圧勝してやろうと意気込んでくるはずだ。


「次の試合は今できる全力でぶつかっていこう、新しい歴史を刻み込むために!」


 ヘッドコーチが話し終えると、選手たちは「はい!」とそろって答えた。そこからは各コーチ陣からポジションごとに指示が出されミーティングが終了する。


「それじゃあ各自練習に戻ってくれ。フォワードは1時間後にスクラム練習だ」


 再び選手たちが散らばり、ポジションごとの練習に移る。


 フォワードの練習のためにスタッフがマーカーコーンを芝の上に並べている最中、俺はボールを手に抱えて準備が終わるのを待っていた。


 ふとボールに目を落とす。昨日のこともあってか、楕円球を見るとどうしてもドリブルに励む亮二の姿が連想されてしまう。


 ラックやモールで起点を作り、じりじりと前に進む日本のスタイルとは大きく異なる戦法。使いこなせば大変有用ではあるが、ミスした際のリカバリーは非常に難しい。特に対戦相手が格上の場合、ターンオーバーの可能性を考えるとリスクの高いプレーは避けるのが賢明だ。


「でも……」


 俺は小さく口を開いていた。成功も失敗も、やってみない限りわからない。


 昨夜、亮二は話していた。足掻けるだけ足掻いてみようと。


 真っ向からぶつかったところでオーストラリアに勝てる可能性は低い現状、これが良いと思ったら多少の規律も無視して持てるすべての力を出し切ってフレキシブルに対応しなければ突破口は見えてこないだろう。イチかバチかで冒険しても誰も咎めはしないはずだ。


「やってみるか……」


 俺はゆっくりと走り出すと、足元にそっとボールを落とす。そして落ちてきた楕円球が地面をまっすぐ転がるよう、丁寧にキックを入れたのだった。




 ついにオーストラリア戦当日を迎えてしまった。会場のアビバ・スタジアムはほぼ満員で、日豪両国だけでなく地元アイルランドや英国、フランスからも大勢のラグビーファンも訪れている。


「いよいよここまで来たか」


 ロッカールームでベンチに腰掛けながら、キャプテンはふうと静かに息を吐いた。テンションと緊張とで若手選手が引きつりがちな顔を浮かべる中、波風ひとつ立たない水面を思わせるほど異様に落ち着いている。


 決勝トーナメント第1回戦。これまでの日本代表が上り詰めている最上の舞台にして、長年乗り越えられないでいる障壁。


 もし今日この壁を突破できたとしたら、俺たちは日本のラグビー史に永久に名を残すことができる。


 先に開催されたプールAとプールBの試合では、アイルランド対スコットランドでアイルランドが、イタリア対アルゼンチンでアルゼンチンが勝ち上がっている。前回大会4位と健闘したスコットランドも、今大会ではベスト12で惜しくも涙を飲む結果となってしまった。


 そしてどのチームもここに調子を合わせてきたのだろう、プール戦よりもプレーが冴え渡っていた。強豪国からすればここからがワールドカップ本番であり、予選突破でひーこら言ってる俺たちとは物事のとらえ方が違うようだ。


「決勝トーナメントでの1勝、この日のために俺はずっと日本でラグビーをやってきたようなもんだ」


 試合直前最後のミーティングで、赤と白のジャージを着た選手たちを前にキャプテンが悠々と話す。その顔は選手たちに向けられてはいるものの、彼の眼前には高校で日本に渡ってきてから10年以上のラグビー漬けの日々が走馬灯のように思い起こされていることだろう。


「もう知っていると思うが、俺はこの大会で代表を引退する。この試合は俺のキャリアの集大成になるだろう」


 選手たちは何も答えなかった。年齢のことを考えれば、現在29歳のキャプテンにとって高いパフォーマンスを披露できるのは今大会が最後であることは容易に想像がついた。身体接触の激しいラグビーは、30を過ぎれば引退するプロ選手がぐっと急増する。


「だからこそ俺は全力でぶつかる。この試合に勝てるのなら、もうここから先の試合でスタメンに選ばれなくてもいいとさえ思っている。でもそこまで命縮めるくらいに挑むからには、勝って終わらせたい」


 キャプテンの声色がガラッと変わった。穏やかで一種の悟りの境地に達していたと思っていたのが突如、猛り狂う不動明王のごとくすさまじい威圧感と気迫が放たれる。


「だからみんな、申し訳ないが俺のわがままに協力してくれ!」


「もちろんだ」


 そう言って一歩前に出たのはチーム一番の巨漢、テビタさんだった。同じく学生の頃に日本へ留学してから、何年にもわたって日本代表で共に戦ってきた彼はキャプテンのことを誰よりも理解していた。


「当たり前です!」


「そのわがままには俺も大賛成です」


 他の選手たちもテビタさんに続く。


 後輩たちのまっすぐな視線を向けられ、キャプテンは少し驚いたような顔を見せると腕で目をこすった。手を離した時には、いつもの鬼気迫る気合満々の表情を俺たちにぎらぎらと飛ばしていたのだった。


「みんな、ありがとうな。よし、いつもの円陣、組むぞ!」

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