第四十章その6 いざ、さらなる戦いへ
「本当驚いたな、プロップでドロップゴール決めるなんて。聞いてはいたけどホンモノは初めてだよ」
ティエリーは新種のカバかマンボウでも見るように、興奮しながら俺に話しかけていた。
「和久田君、キミのノールックパス、あれは危なかったよ。どうやったらあんな神業をこなせるんだ?」
まるでヒーローに憧れる子供のように、次々と日本代表選手たちにまくしたてる。すごいと思ったら何のためらいも無くすごいと言えるタイプのようだ。
試合後、スタジアム近くのホテルで開かれたアフターマッチファンクションで、日本代表とフランス代表の選手やスタッフは互いにビールを飲み交わしていた。
さすがはアイルランド、世界に名だたる黒ビール王国とあってホテルの用意するビールはどれもこれも爽快な苦みと深い香りを楽しめた。ギネス以外にも様々な銘柄を飲み比べられるのは、ビール好きにとって天国のようだ。
「うんめぇー!」
「試合で傷ついた身体を癒すにはビールが一番!」
スッキリ爽やかなラガービールを飲みなれた日本代表も、深い味わいのエールビールをすっかり気に入ったようだ。仲間も敵も分け隔てなく話しかけては交流を深める。
会場が和やかなムードに包まれていた、その時だ。
「おい、フィジーが負けたみたいだぞ!」
誰かの声が上がり、聞いて俺たちは各自慌ててスマホを開いた。
どうやら俺たちの試合が終わると同時に始まった別会場の試合で、同じプールDのフィジー代表が南アフリカ代表に敗れてしまったようだ。
だが驚くべきことに、そのスコアは18‐24の僅差だった。主力を休ませた編成とはいえはるか格上の南アフリカから勝ち点1を奪えたのは記念すべき快挙だろう。
そしてこれをもってプールDのすべての試合が終了し、最終的な順位は以下のように決定した。
1.南アフリカ(5勝・24)
2.フランス(2勝2分1敗・16)
3.日本(3勝1分1敗・15)
4.フィジー(2勝1分2敗・14)
5.ウルグアイ(1勝4敗・4)
6.スペイン(5敗・1)
引き分けの少ないラグビーにおいて、2回も同点終了が発生するという稀有なプール戦だった。そんな大混戦の中、日本は無事3位を守って決勝トーナメント進出を決めることができた。
フィジーは4位で惜しくもプール戦敗退となったものの、次回の2035年オーストラリア大会には予選を経なくても出場できる。
「おめでとう。お互いに通過できて良かったね」
「本当だよ、結果聞いた今になって心臓がすっげードクドク言ってる」
俺はビールを机の上に置き、ティエリーと軽いハグを交わした。身長差15cm、体重差60kg以上の男同士だと、まるで大人と子供のようだ。
「まあ決勝トーナメントにも進めるし、結果オーライてことで」
そして押し寄せる解放感のせいだろうか、俺の口からにへへと気の抜けた笑いが漏れ出る。自分でも気付かない内に、かなりの緊張がたまっていたようだ。
「待ちぃな、安心してる場合ちゃうで」
だがそんな俺をすかさず咎めたのは、日本代表フッカーの石井君だった。
「むしろ本番これからやで。しかも次の対戦相手、もう一度見てみぃな」
関西弁で繰り出される痛いツッコミに、俺はうっと言葉を詰まらせる。
俺たちの属するプールD以外の他の予選プールもすべての試合が終了しており、その順位は以下のようになっていた。
プールA
1.ニュージーランド
2.アイルランド
3.イタリア
4.トンガ
5.カナダ
6.香港
プールB
1.ウェールズ
2.アルゼンチン
3.スコットランド
4.サモア
5.ルーマニア
6.ナミビア
プールC
1.イングランド
2.オーストラリア
3.アメリカ
4.ジョージア
5.ロシア
6.ドイツ
各予選プール3位以上はベスト12で決勝トーナメント進出だ。次は2位と3位同士が対戦して、プール戦1位のチームは1試合分の休息が得られる。そして勝利した4チームと各組1位の4チームによるベスト8が残り、準々決勝が行われるのだ。
プールD3位になった俺たちは、決勝トーナメント1回戦でプールC2位とぶつかる。つまり次の対戦相手は……。
「オーストラリア……だね」
せっかく考えないようにしていたのに。ぷるぷると口の端を震えさせる俺に、石井君は「せやで」と深く頷いた。
オーストラリアは予選プールでイングランドに敗れてはいるものの、優勝も狙える超強豪だ。
当然ながら、ここから先は一発勝負のノックアウト方式。敗れた瞬間、俺たちは荷物をまとめて日本へ帰国せねばならない。負けは許されず、引き分けの場合も延長戦で雌雄を決する。
そして万が一勝利できた場合も、戦いはまだまだ続く。しかもよりによってその次の相手は、プールA1位のニュージーランドだ。
ちなみに2位になったフランスの次の対戦相手は3位のアメリカだ。彼らの実力ならば勝って当然であり、主力メンバーを落とした日本であっても勝ちの見込める相手だ。そしてここで勝利した場合もベスト8でぶつかるのはプールB1位のウェールズなので、俺たちよりも突破の可能性ははるかに高い。
決勝トーナメント1勝の壁。歴代日本代表が越えるに越えられないでいるその壁の高さを、俺たちは改めて思い知らされたのだった。
その夜、俺はホテルのベッドに腰かけながら国際電話をかけていた。
「決勝トーナメント進出おめでとう! 明け方までハルキのお店に集まって、みんなで見てたよ!」
電話の向こうから聞こえてくるのは南さんの明朗な声。日本は現在、昼過ぎくらいだろうか。
「ありがとう、引き分けにできて良かったよ」
時差の関係で放送は深夜だったのに。みんなが起きて応援してくれていたと知ると、選手としてこれ以上に嬉しいことは無い。
実際に試合が終わってからというもの、スマホのメッセージアプリやパソコンのメールには、両親にハルキ、西川君、さらにはオースティン一家とこれまでお世話になった人々からの着信が絶えなかった。こんなに多くの人がリアルタイムで俺たちの試合を見てくれていたと思うと涙が出てきそうだ。
「次はオーストラリアでしょ? 6か国対抗戦で持ち越しになった決着を、しっかりと着けないとね!」
「強気だなぁ」
「戦う前から弱気になってどうすんのさ。引き分けにできたんだから、きっと勝てるよ! 自信もっていこ!」
強く言い切る南さんに、俺は「はいはい」と笑い返す。だがその時、スピーカーから別の人物の声が聞こえたかと思ったら、「え?」という返事とともに南さんの声も遠ざかる。誰かに話しかけられたのだろうか。
そして数秒の後、「ごめん、もしもーし」と彼女は電話口に戻ったのだった。
「あ、ちょっと後輩が太一と話したいって言ってるんだけど、変わっていい?」
「え、うん、いいけど?」
「ありがとう」
そう言いながら南さんの声が離れた。俺と話したいなんて、どんな暇人だろう?
「小森さん、お忙しいところすみません」
聞こえてきたのは、なんと男の声だった。つい俺はばっと身構える。
「僕、ラグビー部1年でプロップの矢野と申します。南先輩にはいつもお世話になっています」
なんだラグビー部の後輩だったのか。ほっと安心した俺は、「いえいえどうもどうも」とにこやかに返した。
「実は僕、ニュージーランドでプレーする小森さんをニュースで知って、高校からラグビーを始めたんです。そこからずっと、小森さんみたいな選手になるんだって思いながらラグビーを続けてきました」
「え?」
驚いた俺は、スマホを握りながら目を何度も瞬きさせた。
選手の活躍を見た子がその競技を始めるというのは別段珍しい話ではない。中には漫画やドラマが始まりだったという子もいるだろう。
だがまさか俺がきっかけになってラグビーを始めて、しかもずっとプレーし続けている人がいたなんて。そういうのはあり得るとしてももっと華やかなポジションの選手の話であって、プロップの俺がそんなことを言われるとはまったく考えたことすら無かった。
「小森さんは僕の憧れです。決勝トーナメント、応援してます!」
「あ、ありがとう……」
スマホで良かった。これまで経験したことのない感情の昂ぶり。目の奥から熱いものがこみ上げ、声もうわずってしまうのでろくな返事もできない。
そして同時に、俺は心に誓ったのだった。
応援してくれるみんなのためにも、次のオーストラリア戦、絶対に勝たないとな。




