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第四十章その5 大混戦を制する者は

 試合開始からわずか3分、相手ゴール手前でラインアウトを獲得した日本代表は、フッカー石井君の「いくでー!」の陽気な声に急かされてささっと列を整える。


 そして投入されたボールは中尾さん……ではなく奥深くへと駆け込んで跳び上がった進太郎さんが、テビタさんのサポートを受けながら高い位置でのキャッチを成功させたのだった。


 相手フォワードがだっと進太郎さんめがけて芝を蹴る。だが彼らが触れる前に、進太郎さんはライン後方ですでに走り出していた和久田君へと素早くパスを回していたのだった。高いところが苦手という進太郎さんも、すっかりラインアウトを上達させたものだ。


 さて、しっかりとボールを抱え込んだ和久田君は、自らトライを奪わんとゴールに向かってまっすぐ突っ込む。だが万一に備えていたフランスバックス陣の素早い対応に、道を塞がれてしまった。


 しかし相手がこのような対応してくることなど、我らがスクラムハーフはとっくにお見通しだった。和久田君はまっすぐ相対する敵選手を見据えたまま頭を微動だにさせず、ボールを抱える手をすっと横に振る。


「何!?」


 次の瞬間、会場にいた誰しもが度肝を抜かれた。なんと和久田君は相手にぶつかる直前、真横へと鋭いパスを放っていたのだ。


 それを受け止めたのは日本代表きってのスプリンター、フィジー出身のウイングだ。彼は自慢の俊足をぶっ飛ばし、守りの薄いエリアをチーターのごとく駆け抜ける。


 狙った方向に目を向けずにパスを送る、いわゆるノールックパスだ。幅広い視野と精密な技術、そして何よりもチームメイトへの信頼がなければ絶対に成功できないビッグプレーだ。


 相手バックスが必死で追いかけるも、スピードに乗った味方ウイングとの距離はどんどん広がっていくばかりだ。日本の先制トライは、火を見るよりも明らかだった。


 ついにボールを前に突き出し、ウイングがゴールラインの向こう側へと飛び込んだ。だがその時、真横から突如小さな影が現れ、トライを決めようとしていた選手に鋭いタックルをぶちかましたのだった。


 相手スクラムハーフのティエリーだ。つい先ほどまでフォワードの後方でラインアウトを警戒していた彼は和久田君にボールが回された時から、その小さな身体に秘められた爆発的なランニング能力でゴールまで駆け戻ってきていたのだ。まるでこうなることを予測していたように。


 予期していたなかったタックルの衝撃に、ウイングの手に収まっていた楕円球は地面に触れる直前で滑り落ちてしまった。ウイングとティエリ-はもつれてゴールラインを越えたところで倒れ込むが、ボールは彼らから少し離れたところを転がっていた。


「ノックオン!」


 レフェリーの無情なコールに、俺たち日本代表と紅白シャツのファンはがっくしと肩を落とす。トライと認められるにはしっかりとボールを押さえて地面に触れさせなくてはならない。


 一方でピンチをしのいだフランス陣営は歓声に沸き立っていた。ティエリーのファインプレーは、会場の空気さえも一変させてしまった。


 これ以降日本とフランスは激しいボールの争奪戦を繰り広げるものの、奪っては奪われを繰り返すので両軍ともにトライは決められないでいた。


 そして訪れたハーフタイム。走って走らされての応酬で、選手たちはへとへとに疲れ切っていた。


「やばい、頭が痛い」


 ロッカールームに向かいながら、俺は目頭を押さえる。防戦一方も辛いが、この試合は攻守がめまぐるしく切り替わるので終始警戒が解けず常に頭をフル稼働させている。肉体以上にメンタルがしんどい。


 前半は互いにペナルティゴール1本ずつの3-3で抑え込んでいる。両軍の本気がぶつかり合うワールドカップでも稀に見るロースコアな展開だ。


「ここまでやってどっちも点数が入ってないってことは、俺たちと相手が高いレベルで拮抗しているって意味の表れだ」


 日本代表の先頭を歩くキャプテンが振り返る。


「この勝負、一瞬でも気は抜けない。だがそれは言い換えれば最後まで粘り続けた方が勝てるということだ」


 そして選手たちに呼びかけ、鼓舞するのだった。


 後半に突入しても、スコアはまるで動かないでいた。日本とフランス、プレーしている俺たちでも実感できるほど、両者の実力は互角だった。


 そして3-3のまま、時計が後半30分を刻んでしばらくのことだった。


 日本陣内でパス回しを行なっていたフランスの選手が、ついに守備ラインの間隙を突いて日本の守りを突破する。それに反応した日本代表フルバックが相手に追き、ゴール目前でタックルの姿勢に入った。


 だが相手選手はその直前に、後方の仲間へのパスを投げ終えていた。手からボールが離れて無防備になった相手に、日本フルバックは激しくぶつかり、極めて危険な体勢で押し倒してしまったのだった。


 フランスの出したパスは追いかけていた秦亮二によってカットされたものの、彼の手の中にボールが収まった瞬間、レフェリーの笛によって試合が止められる。


「レイトタックル!」


 そして高々と、イエローカードが掲げられたのだった。当然キャプテンが抗議に入るものの判定は覆らず、反則を言い渡されたフルバックは血の気の引いた顔でベンチへと戻るしかなかった。


 これで10分間の一時退場シンビンだが、すでに試合時間は残りわずか。日本はここから終了までの間を14人で戦うことになる。


 同点を脱する千載一遇のチャンスに、フランス応援団が割れんばかりの拍手で盛り上がる。直後のペナルティキックではゴール手前という好条件も手伝って、フランスのキッカーは余裕でペナルティゴールを決めてしまった。


 これで6-3。ついに均衡が崩されてしまった。


「このタイミングで一人少ないとか……」


 俺と和久田君は頭を抱える。15人が死力を尽くして戦うラグビーでは、メンバーがひとり欠けただけでも作戦に大きな影響が出てしまう。まして実力伯仲の相手ならなおのこと、わずかな戦力差が命とりになりかねない。


 この試合で負けたからといって、即敗退が決まるわけではない。だが勝てる相手には勝つのに超したことはないし、決勝トーナメント進出後の試合相手のことも考えれば予選プールではひとつでも上の順位で抜け出した方が次戦を突破できる可能性も高まるのだ。この大会ではプールD3位になったチームは決勝トーナメント最初の試合でプールC2位のチームと、プールD2位のチームはプールC3位と対戦することになっている。


「どうしよう?」


 和久田君の口からもとうとう本音が漏れ出始めた、まさにその時だった。


「小森、お前キック得意だよな?」


 ナンバーエイトのキャプテンが声をかけてきたのだ。俺は和久田君と同時に顔を上げると、「は、はい」と頷き返す。


「ドロップゴール、何メートルなら決められる?」


 彼が何を言いたいのか、瞬時に理解した俺ははっと雷に打たれたような気分だった。


 現在数で劣る日本代表が正面から突っ込んでいったところで、残念ながらフランス相手に勝ちは見込めない。それならばキックを1本でも決めて同点で終わらせてやろうと、キャプテンは考えているのだ。


「真正面で22メートルラインに入れば、なんとか」


 反則を受けたフルバックは今出場しているメンバーで最もキックが上手い。バックスにもプレースキックの得意な選手はいるが、公式戦でドロップゴールを決めた者は俺以外にいなかった。


「よし、わかった。小森、和久田、頼んだぞ!」


 キャプテンはそのでっかい掌を俺たちの肩にポンと置く。そしてぐっと一度強く力を込めると、すぐさま自分のポジションに戻ったのだった。


 その後、日本のキックで試合が再開され、ボールを持ったフランス選手がだっと走り出した。彼らも3点差では安心ができないようで、あくまでもトライを狙いにくる姿勢だ。


「させるか!」


 だが相手の素早いパス回しを見せる中、ボールを受け止めたばかりの選手に進太郎さんが見事なタックルを決める。そこに駆け付けたキャプテンが腕を伸ばし、ボール奪取に成功したのだった。


 位置はセンターライン付近。モールで押し込むには遠すぎるが、日本代表フォワードならなんとかならない距離ではない。


「みんな覚悟しとけ、絶対にボールを奪われるな!」


 キャプテンの呼びかけに、俺たちフォワードは奮起した。石井君やテビタさんら体格自慢のメンバーが身体ごと相手選手にぶつかり、ラックを形成しながら少しずつボールを前へと進める。そしてボールを守りながらスクラムハーフ和久田君のパスで別選手に回しながら、日本はじりじりと自陣を回復していったのだった。


 そんな肉弾戦を繰り広げる最中、ついに80分経過を知らせるホーンが会場に鳴り響いた。


 ここから先、ボールを手放すことは絶対にできない。俺たちは全身の痛みも忘れ、ただひたすらぶつかっては前に進むを繰り返していた。


 そしてとうとう日本代表がフランスのゴールライン手前22メートルラインを越える。すでに限界以上のパワーを使い果たしてきた日本に、これ以上進む余力は残されていなかった。


 プロップやロックが前方でラックに参加してボールを守る中、俺ひとりだけが少し後ろに駆け戻る。


「小森君!」


 そして放たれる和久田君渾身のパスを、俺はしっかりと受け止めた。


 位置はゴール真正面。だが距離はやや遠く、30メートル近くある。こんな位置でのドロップゴールなんて今まで決めたことが無い。


 だが、やらなくては!


 俺は高鳴る心臓を落ち着かせながら、そっと足元にボールを落とした。


 フランス選手は俺が何をしようとしているのか気付いているようで、ティエリーはじめ数人がこちらに向かってすでに飛び出しているのが見えた。しかしそんなことなど意に介さず、俺はただ信じて足を振り抜いたのだった。


 俺の太い足から蹴り上げられたボールが、チャージを狙って腕を大きく上げたティエリーの指先をかすめる。そしてプロペラのように激しく回転しながら、ゴールポストの2本の柱の間すれすれを通り抜けたのだった。


「ドロップゴール!」


 レフェリーのコールとともに試合が終了する。スコアは6-6の引き分けだった。


「や、やったぁ……」


 勝利の希望から突き落とされてフランス選手たちが落胆するのと同時に、俺たち日本代表も力なく崩れ去ってしまった。ドローにできて良かったという喜びよりも、ようやく試合が終わったという安堵の方がはるかに大きかった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] そろそろ小森のキック対策をしてきてもいいと思うんだが FWのキックって防ぐの難しいのかな?
[一言] 何とかフランス相手に引き分けに持ち込めましたか。 キックがこんなに役に立つようになると、ジェイソン・リーには感謝しかないですね。
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