第四十章その3 激突、フライング・フィジアンズ!
予選プール第4戦、10月に入ってから最初の試合。この日、日本代表はアイルランド南西部マンスター地方リムリックのソーモンド・パークを訪れていた。
「今日の試合は絶対に勝つぞ!」
ロッカールームで気合を入れなおした俺たちは、高揚感とともにコートの上へと入場する。決勝トーナメント進出を左右する大一番だけあってか、2万5000人収容のスタジアムはほぼ満席だった。
そして互いに国歌斉唱と握手を終えて両陣営に分かれたところで、対戦相手である白いシャツとヤシの木のエンブレムが特徴のフィジー代表がコートに散らばる。サイドはセンターラインで分かれているはずなのに、まるでこのまま俺たちを取り囲まんとするほど大きく展開した彼らは、そのまま中腰の姿勢になると雄叫びとともに棍棒のような左肘をこちらに突き付けたのだった。
これぞフィジー伝統のウォークライ「ジンビ」だ。6か国対抗戦の度にこれを間近で披露されるのだが、何度見てもこちらの身体がすくみ上ってしまいそうな力強さを感じる。
ラグビーを国技としているだけあって、フィジー代表は世界でも有数の身体能力を誇るメンバーで構成されている。だが彼らの母国は経済基盤が弱く、有力選手は若い内から世界各地のクラブに散らばってしまうため、代表メンバーが集まって強化を図るための時間と経済的余裕が他の強豪ほど得られないでいた。
だが今回のワールドカップは違う。前回大会以降決勝トーナメント進出枠が増えたことを契機に、ナショナルチームも躍進を遂げようと過去に例が無いほどの長時間、代表合宿を実施したそうだ。そして元来の選手個人のレベルの高さに加え、洗練されたチームワークを身に着けたフィジー代表は桁違いに強くなったのだった。
そんな彼らは芝の上を縦横無尽に走り回る機動力と、フランスにも通ずる素早いパス回しからフライング・フィジアンズという愛称で親しまれている。トンガやサモアといった南太平洋の島国の中では、頭一つ抜き出た実力の持ち主だ。
開始早々、フィジーはその名に違わぬ素早いフットワークとパスでボールを運ぶ。フォワードでもバックスのようなスピードが持ち味の彼らは、タックルを入れられる目前で仲間が走り込みパスを受け取るなど、見事に息の合ったプレーを見せて俺たち日本代表を翻弄させた。たしかに個人のスキルやパス回しは目を見張るものがある。
だがそれ以上に連携を鍛えてきた今の日本なら、対処できないレベルではない。ボールを奪い返した俺たちはフォワード陣を中心にじりじりと相手を押し込み、少しずつ陣地を奪っていった。
そして前半15分、俺や石井君といった大型フォワードの肉弾戦により、ゴール手前5メートルまで相手守備ラインを後退させていた時のことだ。
ボールを抱えた俺は、身を屈めて敵選手たちの隙間に突っ込んだ。相手はすかさずタックルを入れて俺を止め、俺の身体はトライラインまであと一歩というところで倒される。俺のすぐ背後からはボールを守るため、味方のバックスが駆け付けていた。
その時、飛び込んできたフィジー選手がサポートに入った日本代表バックスを突き飛ばす。だがそこで勢い余ってしまったのか、相手選手は躓いて地面に伏せる俺の身体に覆いかぶさってしまった。
「オーバーザトップ!」
すかさず反則が言い渡され、フィジー選手たちは苦々しく顔をゆがめた。
ゴール目の前という絶好の位置で、日本に巡ってきたペナルティキックのチャンス。もう試合開始から時間も経っているので、そろそろ先制点を決めておきいところだ。
だが俺たちの選択はペナルティゴールによる3点でもラインアウトでもなかった。
「みんな、スクラムでいいか?」
キャプテンの提案に、フォワード全員が頷き返した。投入時にボールを奪われる可能性のあるラインアウトよりも、このメンバーならスクラムで押し合いになった方が確実だと睨んだのだ。
必要なのはペナルティゴールによる得点ではない。俺たちが欲しいのは勝ち点、1本でも多くのトライだ。
会場がジャパンコールに包まれている間に、俺たち8人はスクラムを形成して相手選手と組み合う。そしてレフェリーの「セット!」の掛け声に合わせて、目の前のゴールめざして身体をぶつけたのだった。
「せーのっ!」
スクラムハーフ和久田君が転がし入れたボールを受け取るなり、フッカー石井君が声をあげる。その合図に合わせて、俺たちはさらにエンジンを全開にさせてプレッシャーを上げた。
だがその時、なんとフィジーもこちらと同じタイミングで凄まじいパワーをもって押し返してきたのだ。まさかのリベンジに日本代表は崩されそうになるも、あわやのところで踏ん張って耐えしのいだ。
7月に戦った時よりも、フィジーのスクラムは格段に強くなっていた。このワールドカップに向けて、とことんチームを作り上げてきたのだろう。
同時にこれ以上は体力の浪費だと判断したのか、スクラムハーフ和久田君はナンバーエイトを務めるキャプテンの足元からボールを拾い上げてすぐさまパスを送る。それをキャッチしたセンター秦亮二は相手バックスを掻い潜ってゴールに飛び込み、身体をねじ込ませたのだった。
「トライ!」
レフェリーのコールに亮二はガッツポーズを作る。すぐにフランカー進太郎さんが「いいぞ亮二!」と飛びつくが、弟は兄を無視して駆け付けた和久田君と抱擁を交わしたのだった。
この後も試合の主導権はほぼ日本が握り続けていた。前半終了間際には相手ゴール前でのラインアウトから押し込んでトライを決めてさらに点差を広げ、スタジアムのムードを味方にする。
そして後半30分。日本はこれまで3トライを挙げ、スコアも21‐10でリードしていた。
ボーナスポイント獲得まであともう1トライ。試合終了が迫る中、俺たちはまたしてもフォワード同士でパスを回し、じりじりと相手陣内に攻め込んでいた。
相手ゴール手前22メートルラインを越えたところで、ボールを保持した石井君がフィジー選手たちに突っ込む。そこに相手選手が素早く飛びついたことで石井君の巨体が傾くが、彼はその最中不安定な体勢から後ろに向けてパスを放り投げたのだった。ちょうど背後には中尾さんも走り込んできており、オフロードパスを狙ったのだろう。
だが俺たちの動きを読んでいたのか、近くにいたフィジーウイングがロケットエンジンのごとき加速で芝を蹴り、空中に投げ出されたボールに手をかけてしまったのだ。
反応した中尾さんが急いで手を伸ばすも、相手選手はボールを抱き寄せると自慢の俊足でその場を切り抜けてしまった。
ここに来てターンオーバーだと!?
攻撃ムードに盛り上がっていた日本代表は慌てて踵を返し、逃げ去るフィジーウイングを追いかける。だが日本代表選手たちが追いかけ始めたころには、この時を狙っていたとばかりにすでに3人のフィジーバックスが先陣を切るウイングを追って並走していたのだった。
一気に日本陣内まで戻される楕円球。迫りくる俊足軍団に日本バックス陣が防ぎに入るものの、タックルを入れる直前に別選手へとパスを回され、あっけなくかわされてしまったのだった。
そしてボールを奪われて10秒と経たない内に、俺たちはトライを決められてしまったのだった。
逆転には至らなかったもののわずかな隙を突いたビッグプレーに、観客は盛大な喝采をフライング・フィジアンズへと贈った。
一方の俺たち日本代表選手たちは、まるで試合そのものに敗れてしまった時のような喪失感に包まれていた。せっかく攻め込めていたのに、一瞬ですべてがチャラにされるなんて……ショックで誰もが言葉を失っていた。
コンバージョンキックは外したものの、スコアは21‐15。1トライで逆転できるほどにまで迫られてしまった。
「最悪の事態は抜け出せたが……厄介な状態に変わりはない」
その夜、ホテルに戻った俺たちは会議室に集まってミーティングを行っていた。試合の反省点を話し合うのがもっぱらの目的だが、今日に関してはいつも以上に空気が重い。ポジティブキングの進太郎さんやムードメーカーの石井君も、組んだ指をそわそわとさせ落ち着かない様子だ。
後半、フィジーにトライを奪い返されながらも、俺たちはもう1トライを目指してその後も果敢に攻め込み続けた。だが焦りのせいか、それとも相手が流れを引き寄せたためか、日本代表は追加点を奪えないまま80分のホーンが鳴り響く。最後はタッチライン際をウイングがボールを持って走っていたところで相手ナンバーエイトからタックルを受け、そのまま外へと押し出されてノーサイドを迎えてしまったのだった。
結局この試合で日本の得られた勝ち点は4。また7点差以内で敗れたフィジーにもボーナスポイント1が付与される。
そして他の試合の結果も踏まえると、各チーム4試合目を終えたプールDの順位は以下のように変動した。
1.南アフリカ(4勝・20)
2.フランス(2勝1敗1分・14)
3.日本(3勝1敗・13)
4.フィジー(2勝1敗1分・13)
5.ウルグアイ(3敗・0)
6.スペイン(3敗・0)
なんと1試合を残して、南アフリカの首位通過が確定してしまった。これまでのすべての試合で勝ち点5を獲得しているあたり、別次元の強さだとしか言いようがない。
そんな南アフリカのプール戦最後の相手は4位のフィジーだ。
南アフリカは決勝トーナメントに調子を合わせるため、主力を温存して試合に臨むだろう。対するフィジーは勝ち点で日本と並ぶものの、今日の直接対決で敗れているため日本より下位になる。だがこの試合で勝ち点1でも得られた場合は日本を抜くことも可能なので、おそらくは死力を尽くしてスプリングボクスに挑むだろう。今の南アフリカが敗れるとは考えにくいが、万が一ということもある。
「2位から4位までが1ポイント差の大混戦だ。次のフランス戦で勝ち点を得られなかった場合、我々が敗退する可能性も高い」
胸を締め付けられるような感触を覚えながら、俺はヘッドコーチの話に耳を傾けた。2位フランスもフィジーの結果次第では安心できない立ち位置だ、次の試合は何としても勝ちにこだわってくるはず。
「フランスは強敵だ、しかも本気で日本を潰しにかかってくる。第5試合はこれまでの比にならない激戦になるだろう」
ヘッドコーチの言葉に、全員が静かに頷く。そんな中、俺はぶるぶると武者震いを堪えていた。
前の人生ではこの大会、日本はフランスとの試合に敗れている。それもかなり大差をつけられての、完全なる敗北だった。あの時とは状況がまるで異なるものの、予選突破のためにはその史実を捻じ曲げねばならないのだ。
次の試合、俺たちに負けは許されない。心して立ち向かわなくては。




